第44章:地を這う死の灰と、冥府の残虐供給
南の境界――そこでは今、
世界が塗り替えられる歴史的瞬間が訪れていた。
始祖級ズー『地を這う腐翼』。
かつて空を支配し、
今は大地を腐敗の煙で覆い尽くす絶望の巨鳥。
その周囲数キロメートルは、
あらゆる武具を風化させ、生命を灰へと還す死の領域だった。
だが、その領域を「物理的に」
踏み潰しながら進む集団がいた。
ルルノア親衛隊隊長(自称)のカルティア率いる銀盾騎士団。
「皆様、声は届いていますか。
……ルルノア様の愛が、
私たちの盾を研ぎ澄ましています。
一歩も引いてはなりません」
カルティアがそう囁くと、
彼女の背後に並ぶ数千の兵士たちの鎧が、
銀色の共鳴光を放った。
クローディアが開発した『シンフォニック・アーマー』。
それは兵士から本来微量に発せられている魔力波を、
ルルノアの歌声で増幅、さらに振動に変換し、
障気の腐食を弾き飛ばす「動く聖域」を形成していた。
「す、すごいです、カルティア様!
あなたの『信仰』が、数千の兵士を一人の意志で動く『城』に変えてしまいました!」
南の兵士長が感嘆の声を響かせる。
数千人の歩調はルルノアの歌うマーチと完璧に同期し、
地を這う巨鳥ズーを円陣で包囲していく。
「――♪ 負けないで……明日は、すぐそこだよ……!」
ルルノアの超超通信による歌声がサビに達した瞬間、
カルティアは銀盾を天高く掲げた。
「全軍、共鳴解放!
……この汚れし翼を、ルルノア様の光で浄化しましょう!!」
ドォォォォォォォォォン!!
数千の盾から放たれた衝撃波が、
ズーの腐り果てた肉を、
そして毒煙に満ちた空気を一気に吹き飛ばした。
断末魔すら上げられず、
巨鳥が砂へと還る。
南の境界に、
数十年ぶりの「本物の太陽」が差し込んだ。
「……勝利です、ルルノア様」
カルティアが慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
時は進む。
極寒の北――ケルベロス『冥府の三連首』との戦場では。
南が「集団の調和」による勝利なら、
北は「個の蹂躙」だった。
黄金の魔力を纏い、
音速を超えて氷原を舞うアイル。
彼女の振るう『月虹』は、
ルルノアの歌という究極の燃料を得て、
もはや一振りが神話級の威力を誇っていた。
「あはははは! 気持ちいい、最高の気分だよ!
ねえ、おじさん、ルルノア!
見てて、今すぐこの三つ首を、細切れにしてあげるから!!」
アイルの姿はもはや視認できない。
氷原に刻まれるのは、
ケルベロスの巨躯が切り裂かれる無数の断面と、
その直後に響く衝撃音。
三つの首が再生する速度よりも速く、
アイルの刃が絶望を刻み続けていた。
「アイル様、す、すごすぎる……」
アイルを援護する兵士たちが勝利を確信したーー
いや、過信した、その瞬間。
『――不愉快だな。
……音楽という波長で細胞を刺激するだけの「バフ」。
そんな不確定な要素を信奉するなど、合理的ではない』
極北の空に、魔力の亀裂が走った。
それは。
エルンストが。
王国軍が最も恐れていた。
魔王ゼオの。
干渉であった。
『ゼノス。お前は「熱狂」で出力を上げると言ったな。
……ならば、私は「物質」で出力を上げよう。
……バフなど、所詮は精神の錯覚に過ぎない』
ケルベロスの真上に、巨大な虚空の穴が開いた。
そこから吐き出されたのは、
数千、数万という魔界のモンスターたち。
飢えた肉塊、這いずる異形――それらが、
ゴミ捨て場の残飯のように、
ケルベロスの足元へ積み重なる。
「……え、なに? これ……」
アイルが動きを止め、眉をひそめた。
ケルベロスの三つの首が、
一斉に足元の魔物たちに食らいついた。
断末魔。
咀嚼音。
血肉が弾けるグロテスクな音が氷原に響き渡る。
同じ魔界の仲間を、
ただの「燃料」として貪り喰らうその光景は、
戦いというよりは凄惨な「捕食」だった。
『これを「魔力供給」と呼ぶ。
……食べた質量が、
そのまま魔力量へ変換される。
これこそが最も効率的で、
誰にでもできる究極のバフだ』
「……嘘、でしょ。同じ魔界の仲間を喰わせて、
それをバフだなんて……」
アイルの瞳から、それまでの高揚感が消え、
どす黒い否定と嫌悪が込み上げる。
「そんなの……ライブじゃない。
そんなの、ルルノアの歌とは、全然違う……!!
汚いんだよ、あんたらのやり方はぁぁぁ!!」
激昂したアイルが突撃する。だが、その時。
喰らった魔物の数万倍に膨れ上がった魔力が、
ケルベロスの全身を黒い炎に変えた。
ドゴォォォォォォォォン!!
ケルベロスの姿が変貌する。
皮膚は剥がれ、むき出しの筋肉が鋼のように硬質化し、
首は三つから六つへと増殖。
その眼窩には、喰らわれた魔物たちの「怨念」が宿っていた。
アイルの『神速』を上回る速度で、六つの黒い首が伸びる。
「ガ、あぁっ……!?」
音速の回避を誇ったアイルの肩を、
黒い牙が深々と貫いた。
黄金の魔力が霧散し、
アイルの体が氷原へと叩きつけられる。
「痛い……あ、あつい……。な、なに……これ……」
アイルの傷口から、
喰らわれた魔物たちの呪詛が流れ込む。
強化されたケルベロスは、
もはや「環境」ではなく、純粋な「殺戮」へと進化した。
一歩、また一歩と、
巨大な六つの頭が、這いつくばるアイルに近づいてくる。
通信機から、
ルルノアの悲鳴が聞こえてくる。
「アイル君!! お願い、逃げて!! アイル君!!」
絶叫するルルノア。
だが、最強のアイルは立ち上がれない。
北の氷原に、初めて「本当の死」の影が落ちた。




