第43章:迷宮の蜷局、解析される絶望
西の境界。
そこには、
神話の時代から続く「終わりの壁」が存在していた。
始祖級ユルムンガンド『迷宮の蜷局』。
地平線を埋め尽くすほどの巨躯を幾重にも重ね、
自らの肉体で巨大な山の如き「迷宮」を形成する大蛇。
その鱗は周囲の空間を歪ませ、
侵入した者の方向感覚を魔力的に奪い去る。
一歩踏み込めば、そこは上下左右も定かではない肉の牢獄だ。
「……はわわ、師匠! 計測器の針が狂ったように回ってます! これ、空間そのものが蛇の意志で書き換えられてますよぉ!」
巨大な蛇の壁を前に、
一人の少女が大きな丸眼鏡を震わせながら叫んでいた。
クローディアの一番弟子、エリーだ。
彼女は師匠と同じく魔導技師の白衣を纏っているが、
その臆病な性格からか、常にオドオドと周囲を警戒している。
「落ち着きなさい、エリー。
計測器が狂うのは、
そこに『未知の法則』があるからに
決まっていますわ。
技師なら、パニックになる前に、
その狂いの周期を計算なさい」
背後で冷静に言い放ったのは、
クローディアだ。
彼女は最新鋭の魔導通信イヤホンを調整しながら、
不敵な視線で蛇の壁を睨みつけていた。
「……西は『暴力』じゃあ突破できねえ。
物理的な迷宮と、精神的な混濁。
……そこを解き明かすのは、
知性の暴力――すなわち、
クローディアの変態的な創造力だ」
本陣のゼノスから、通信が入る。
「おい、クローディア。
リハーサルは終わりだ。
……『あれ』をオンにしろ。
この迷宮に、唯一の『正解』を響かせてやれ」
クローディアが、その『秘密兵器』を起動させる。
「――聴いてください、おじさん、クローディアさん! エリーちゃん!!みなさん!!」
ルルノアの『録音済み』の歌声が、
全兵士と技術班のイヤホンに流れ込んだ。
その瞬間、クローディアの脳内に「火」がついた。
「……っ!? ぁ、あぁ……。これ、これよ……!!」
クローディアの瞳孔が開き、
眼鏡の奥で異様な光が明滅する。
ルルノアの歌声――それはクローディアにとって、
単なる音楽ではなかった。
それは脳細胞の結合を極限まで加速させ、散らばったデータを一瞬で一つの数式に統合する「思考のガソリン」だ。
「……来たわ。バフが脳幹を焼いている。
……今なら、この世界の理さえ
書き換えられる気がするわ」
「成功だ。『バフ』の音源化。チャートランクインも間違いないぜ。
クローディアは猛烈な勢いで、背負っていた巨大な魔導トランクを展開した。
中から飛び出したのは、ルルノアの歌声と共鳴して駆動する自律型解析機『ハミング・バード』。
「エリー! ボーッとしてる暇はなどありませんわ!
ルルノア様の声を『クロック周波数』に同期させなさい!
座標計算、誤差0.0001秒以内!
迷宮の『解答』を、今ここで創造わよ!」
「は、はいぃっ!! 歌声、同調完了!
思考ブースト、最大値です!」
エリーもまた、バフの影響で覚醒していた。
震えていた手は止まり、
指先は残像を残すほどの速さで空中に浮かぶ魔導パネルを叩き始める。
「――解析開始。
ゼノス様が読み取った魔力の波形から、
歌の波長を蛇の鱗の反射角にぶつけて
……空間の歪みを逆位相で打ち消す。……見えたわ」
クローディアが指を鳴らす。
次の瞬間、
兵士たちの視界にルルノアの歌声のリズムに
合わせた「光の道」が浮かび上がった。
「全軍、迷宮の壁は無視しなさい!
歌の『休符』の瞬間に、空間の隙間が生まれる。
そこに突撃するのよ!」
「「「う、うおおおおおおお!!」」」
重装兵たちが、
クローディアの指示通りに蛇の壁へと突撃する。
本来なら激突して終わるはずの彼らの体が、
歌のリズムに合わせて「すり抜ける」ように
巨蛇の体内へと侵入していった。
「……クク、『ハッキング』完了だな。
蛇の体が歪ませていた空間そのものを『通路』に
逆変換しやがった。
……クローディア、次は本体だ。蛇の頭を探り当てるぞ」
「……言われるまでもありませんわ。
エリー、第二段階よ!
『エコー・ロケーション』展開!」
クローディアが新たに放り投げた装置が、
ルルノアのサビの盛り上がりに合わせて
強力な音波を放つ。
歌声が巨蛇の体内を駆け抜け、
その「不協和音」が一点に集中する場所――そこが、
迷宮の心臓部。
「座標確定! 迷宮の心臓
……いいえ、この蛇の脳は、
とぐろの地下300メートル地点に隠されているわ!
本来なら絶対に到達できない『隔離空間』……だけど!」
クローディアの口角が吊り上がる。
彼女は腰に下げた工具鞄から、
ルルノアの声に反応して真っ赤に熱を帯びる特殊弾頭を取り出し、自作の魔導レールガンに装填した。
「エリー! 空間座標を固定しなさい!
歌声の『共鳴』を一点に束ねて、
世界を貫く一撃を放つのよ!」
「はい、師匠! ターゲットロック
……ルルノア様の声、最大出力!!」
「ゼノス様、準備はよくて!?」
ゼノスは黙って頷いた。
複雑怪奇な魔力波形を、彼の『演出魔術』で束ねていく。
ピンスポットライトのように、それは収束していく。
「――届けぇぇぇ!! 闇を照らす、一筋のメロディ!!」
ルルノアの絶唱が、戦場に響き渡る。
その瞬間、クローディアの指がトリガーを引いた。
ドォォォォォォォォォォン!!
放たれたのは、弾丸ではない。ルルノアの声というバフを
クローディアを通じて
「物理的な破壊エネルギー」に変換し、
さらに魔力で「空間貫通」の特性を付与された一撃だ。
蛇の巨大なとぐろが、内側から爆ぜた。
空間の歪みごと物理的に抉り取られたその穴の先で、
ユルムンガンドの巨大な頭部が、
初めて苦悶の表情を浮かべて露わになる。
「……チェックメイトよ、
巨大な知恵の輪さん。
ルルノア様の歌声が、
あなたの『答え』を書き換えちゃったみたいね」
クローディアが調整した
最終兵器――魔力の矢『コンダクター・アロー』が
一斉に放たれ、無防備になった巨蛇の脳を正確に貫いた。
キィィィィィィィン……!!
ユルムンガンドが悲鳴と共に砂へと還っていく。
迷宮が崩壊し、西の境界に再び地平線が戻った。
「……はぁ、はぁ……。
すごいです、師匠……。
迷宮を『解析』して倒しちゃうなんて……」
バフが解け、いつもの臆病なエリーに戻った彼女が、
膝をつきながらクローディアを見上げる。
「当然よ。ルルノア様の歌声という、
最強の『バフ』にゼノス様という演出があったんですもの。
……私たちが照らせないステージなんて、
この世界には存在しないわ」
クローディアは汗を拭い、
少しだけ満足げに笑って眼鏡を押し上げた。
それと同時に、役目を終えたのか、『音源』としていた装置は、
沈黙をした。
「『音源』は一度きり、時間制限あり、か。
やはり収録の歌番組だとギリギリの戦いではあったな。」
「……だが、よし、西も突破だな。
……残る決着は、南の腐鳥『ズー』。北の『ケルベロス』。
……そして、その先にあるゼオの玉座だ」
ゼノスは通信を切ると、立ち上がった。
四柱のうち二柱を撃破。
絶望の包囲網は、
今やルルノアの歌声によって
「凱旋の道」へと変わりつつあった。
「……さあ、ツアーの後半を飾ろうじゃねえか。
……ルルノア、あとは、まかせたぜ。」
「はい! 最後まで、全力で歌います!」
通信のあと、ゼノスは力尽きたように座り込む。
ただその顔は安心して託した様子だった。
そう、ステージは始まってしまえばそれは『アイドル』のものなのだから。




