第40章:不動の暴君、沈滅の残響
東の境界。
そこにはかつて豊かな森が広がっていた。
だが今、目の前にあるのは生命の音を奪われた
「静寂の死地」である。
視界の全てを遮るようにそびえ立つのは、
標高数千メートルに達する巨山――ではない。
それは、魔界が誇る第一の楔、
始祖級ベヒーモス『不動の暴君』の背中であった。
「……位相調整、全方位同期。」
クローディアが指を鳴らした瞬間、
全軍の周囲に配置された数千の魔導拡声器が一斉に展開し、重低音のビートが大地を揺らす。
特設ステージに立ったルルノアの声が、拡声器を通じて戦場全域に降り注いでいる。
凍り付いていた兵士たちの血管には、爆発的な熱が迸り続けている。
ルルノアの歌声は、
彼らの恐怖を「推しを死守する」という狂熱へと
変換する最高の触媒だ。
「……おおおおおっ! 体が、燃えるようだ!!」
「ルルノア様が、俺たちを見てるぞ!
膝をついてる暇なんてねえ!!」
数万の兵士たちの魔力が、
ルルノアの歌のテンポに合わせて一つの
巨大な波となって同期していく。
だが、数万人の個々の力を、一つの「点」へ集約するには、まだ圧倒的な統率が必要だった。
「……案ずるな、兵士たちよ。
我らが旗の向かう先に、敗北の二文字はない」
地を這うような、深く重厚な声。
軍勢の割れた間から、一人の男が静かに歩み出た。
十三英団が一人――『7(セブン)』ブライオル。
称号は『軍旗』。
使い込まれた重厚な漆黒の甲冑を纏い、
鍛え込まれた大きな体と戦傷が刻まれたその顔には、
正統なる騎士としての風格と、不屈の意志が宿っていた。
「……ようやく重い腰を上げたな、ベテランさんよ」
「ゼノス殿。貴殿の演出には先日のライブから驚かされているが、
……今回のは一段と派手であるな。
だが、あの少女の歌声……。
あれは守るに値する『光』だ」
ブライオルが軍旗を高く掲げ、大地を突く。
『軍旗』の称号を得た所以――それは、
戦場で積み重ねた、
その掛け声で配下にある全ての兵士たちを
魂レベルで一つに繋ぎ、
軍勢全体を一つの巨大な生命体へと
変貌させる、究極の統率術。
ルルノアの歌が兵士の「心」を昂らせ、
ブライオルが旗がその「力」の奔流を一つの正解へと導く。
「アステリア、まずは守護の型を。
皆の命、貴殿の盾に預けるぞ」
「承知いたしました、ブライオル殿!
――全軍、盾を合わせよ!!」
アステリアが盾を地に突き立てると同時に、
ブライオルが旗を翻す。
ルルノアの歌声のバフとブライオルの統率力が重なり、
数万の兵士が掲げる盾が、
まるで見えない鎖で繋がれたかのような
完璧な障壁へと変貌した。
ベヒーモスが放つ、
山を砕くほどの震動波。
本来なら軍を壊滅させるはずの衝撃が、
強化された数万人の力が「寸分の狂いなく均等に分散」されたことで、ただのそよ風へと変えられた。
「すごい……この一体感。数万の鼓動が、
一つに聴こえる……!」
アステリアが感嘆の声を上げる。
ブライオルの指揮下では、
兵士一人一人が隣の者の呼吸を、
魔力の揺らぎを、
自らのことのように把握できていた。
「……さすが十三英団様というところか。
ルルノアのメロディを『行軍の律動』にしやがった。
さあ、守りの次は攻めだ。
ブライオル、頃合いだ!」
「よかろう。――全軍、剣を抜け!!
あの少女の調べを、
勝利の凱歌に変えるのは我ら騎士の役目だ!!」
ブライオルが軍旗をベヒーモスの喉元へと
真っ直ぐに突き出した。
ルルノアの歌が大サビへと突入し、
天を衝くような旋律が響き渡る。
「――届けぇぇぇ!! 私の、全部の想い!!」
ルルノアの絶唱に応えるように、
数万の兵士が一斉に聖銀の剣を掲げた。
ブライオルの『軍旗』の力が、
兵士一人一人が放つ微弱な魔力を磁石のように吸い寄せる。
万の力が一点に集まり、
その突撃はを裂くほどの巨大な「光の槍」へと姿を変えた。
「「「「うおおおおおおおお!! ルルノア様のためにぃぃぃ!!」」」」
ブライオルが旗を振り下ろした瞬間、万を束ねた光の槍が放たれた。
ベヒーモスの、鋼鉄をも凌駕する絶対防御の外殻。
だが、数万人の魔力を一点に、寸分の狂いもなく
叩き込んだ。
パキィィィィィィン!!
王国最高の戦力たちが束になっても
退けることはできなかった「不動の山」が、ついに悲鳴を上げた。
一点に集中した熱狂の力が、
外殻を粉砕し、その内側にある柔らかな核心へと
到達したのだ。
ズゥゥゥゥゥゥン……。
地を揺るがすベヒーモスの断末魔。
かつて誰も成し遂げられなかった始祖級の撃破。
それは、ルルノアという「魂」と、アステリアという「盾」、そしてブライオルという「指揮」が、
数万の兵士という「楽器」を弾きこなした、
至高のライブパフォーマンスの結果であった。
「……見たか、ゼオ。……個の強さじゃねえ、
熱狂で束ねられた『軍勢』の美しさだ。
……お前の合理性じゃあ、この一体感は
一生生み出せないぜ。」
崩れ落ちる巨獣の影で、
ゼノスは不敵な笑みを浮かべ、
次なる「戦場」の譜面を
頭の中に描き始めた。




