第37章:十三英団の『5』
首都ライブの狂騒から一夜。
王都を埋め尽くしていた数万の兵士たちは、
もはや昨日までの「死を待つ敗残兵」ではなかった。
彼らの瞳には、
喉を枯らしてルルノアの名を叫んだ後の清々しさと、
彼女の歌声を戦場で再び聴くという、
唯一にして最強の生への執着が宿っていた。
だが、その熱狂を冷徹な眼差しで見つめる場所がある。
王宮地下に隠された戦略会議室。
そこでは、巨大な境界地図を前に、
ゼノス、クローディア、
そして新たな『十三英団』の一人が対峙していた。
「――おじさーん、また難しい話してるの?」
ルルノアが、眠い目をこすりながらカルティアに
伴われて部屋に入ってくる。
その無垢な姿は、
この殺風景な戦術室にはあまりに不釣り合いだった。
「ルルノア、座ってろ。
……悪いな、始めてくれ。
うちの看板娘に今回の『ライブコンセプト』もとい、
戦いの全体像のレクチャーを。」
ゼノスが促した先に、一人の男がいた。
十三英団が一人――『掌握』の称号を持つ、
知謀の天才、エルンストだ。
彼は白髪混じりの髪を無造作にまとめ、
度の強い眼鏡の奥で、感情を排した瞳を光らせている。
あらゆる知識。
あらゆる軍略。
心理掌握。真理掌握。
全てをその掌の上に持つ彼は、
もはや物語の書き手のごとく、
盤面を支配する。
故に十三英団の5、『掌握』のエルンストの称号を手にしているのだ。
「……感情的な熱狂にはあまり興味がありませんが、
ルルノア氏、先日のライブは見事でした。
その『バフ』が戦術に十分組み込める数値であることは
私も認めていますし、王にも進言しています。」
「あ、ありがとうございます!」
ルルノアの緊張をほぐしたのか、心理を掌握したのか。
エルンストは語り始める。
「……では、始めます。
我々がこれから直面する絶望――
『境界の巨獣』の真実を」
エルンストが魔導卓を叩くと、
空中に漆黒の獣の姿が浮かび上がる。
それは関門で戦ったものとは比較にならない、
山をも飲み込むほどの巨躯を誇る個体だった。
「あなた方が戦ったベヒーモスは、
単なる巨大生物ではありません。
あれは『環境の王』です」
「環境の、王……?」
ルルノアが小首を傾げる。
エルンストは抑揚のない声で続けた。
「奴らの周囲数キロメートルは、
常に超高濃度の『魔界の障気』で満たされている。
……つまり、人間がそこに足を踏み入れるだけで、
呼吸は止まり、魔力回路は逆流し、精神は崩壊する。
戦う前に、我々は『世界』そのものに拒絶されるのです。
これが、王国軍がこれまで敗れ続けてきた最大の原因です」
「(その通り。……土俵が『魔界』じゃあ話にならねえってわけだ。俺が魔王だったころも、逆に言えば人間界から攻められない、最強の『環境兵器』だった。
当然……ゼオの野郎、それを攻めに転じてきてやがる)」
「まあ、ご存知かとは思いますが」
エルンストの『言葉』がなぜだかゼノスに向いているように感じた。
ゼノスはタバコを噛み締め、
エルンストの言葉の裏を読む。
「こいつも、「王」と同じく、なにか感づいてやがるか?」
エルンストは地図を指し示した。
「現在、王国の東西南北、四つの境界に一柱ずつ、
計四柱の『始祖級』が鎮座しています。
奴らが障気を排出し続ける限り、
王国は緩やかに、だが確実に魔界へ飲み込まれる。
これを打破するために必要なのは、二つ」
エルンストは指を二本立てた。
「一つ目は、
奴らの『障気領域』を中和する、
移動式の聖域。
……これは、ルルノア様の歌声が担うことになります」
「私の歌……。
みんながその中でも呼吸ができるほど
自己強化されるように、
歌えばいいんだね?」
「ええ。ですが、それは大前提。
始祖級の強大さは関門の幼体の比ではありません。
……そこで二つ目が必要になる。
……『共鳴の増幅』です」
エルンストの瞳が、初めてゼノスを捉えた。
「ゼノス氏。ルルノア氏の歌声を、
ただの『全体強化』で終わらせてはならない。
つまり防御力のアップだけではない。
……始祖級を討つには、
彼女の声を『物理的な剣』に変え、敵を討つ。
……それができなければ、
兵士たちはほんの数刻でただの肉塊に変わるでしょう」
部屋に沈黙が降りる。
ルルノア一人にかかる期待と、責任。
それは少女の肩に乗せるには、
あまりに重すぎる現実だった。
だが、その沈黙を破ったのは、
部屋の隅で『月虹』を磨いていたアイルだった。
「……できるよ。いや、やるんだ」
アイルは立ち上がり、
ルルノアの隣に立った。
昨夜のウィンク以来、
彼女の瞳には、一切の迷いがない。
「ルルノアの歌を、僕が一番速く、
一番遠くまで届けてあげる。
……そのためなら、僕の『神速』も、
この命も、全部使っていいからさ」
「アイル君……」
「アイル、でいいよ。そう呼んでほしいな」
「……クク、いい顔になったな、エース。
……エルンスト、作戦は決まりだ。
……四柱の始祖級。
それを一気に叩く『アリーナツアー』
……もとい、『境界掃討作戦』を開始する」
ゼノスは、作戦図の上に視線を落とし、
不敵に笑った。
「ルルノア、準備はいいか。
……お前が歌うのは、
ただの歌じゃねえ。
……この国の『生存領域』を奪い返すための、
宣戦布告だ」
「はい、おじさん! 私、精一杯歌うよ!」
ルルノアの瞳に、アイドルの輝きと、
戦士の決意が混ざり合う。
王国の運命を賭けた、境界への大遠征。
その一歩目が、今まさに踏み出されようとしていた。




