第36章:首都熱狂、エースが恋に落ちる夜
王都の太陽が地平線の彼方へと沈み、
空が深い群青色に染まる頃。
首都中央広場は、
かつてない異様な熱気に包まれていた。
石畳を埋め尽くすのは、
煌びやかなドレスを着た貴族でも、
着飾った市民でもない。
明日をも知れぬ境界への遠征を控えた、
数万人の兵士たちだ。
彼らは一様に、
困惑と緊張の混じった表情で立ち尽くしていた。
手渡されたのは、
クローディアの技術の結晶である
『発光式魔導棒』。
「おい、本当にやるのかよ。
魔物と戦う前にこんな棒きれを振らされるなんて、
何の冗談だ」
「ああ、俺たちの税金がこんな光る棒に化けたのかと
思うと、泣けてくるぜ……」
広場のあちこちで、
冷ややかな呟きが漏れる。
彼らにとって、『アイドル』とは未知なるものであり、
それは平和な時代の贅沢品であり、
死地へ向かう自分たちには無縁の存在。
そう信じて疑わなかった。
だが、
その冷気は。
一瞬にして爆ぜた。
ドォォォォォォォン!!
地響きのような重低音が、
首都の建物を震わせた。
広場の中央にそびえ立つ、
クローディア特製の巨大ステージが、
まばゆいばかりの魔導光を放つ。
それと同時に、
夜空をスクリーンに変える超広域投影魔導器が、
一人の少女の姿を天高く映し出した。
純白のステージ衣装に身を包み、
黄金の魔力をその身に纏った、ルルノア。
「――おじさん。私、みんなに届けたい。
……この声が、みんなの盾になるように!」
ステージ袖のゼノスに向けた小さな呟き。
それは、拡声魔法を通じて数万人の耳へと、
羽毛のように優しく、
しかし確かな重みを持って届けられた。
――ジャカジャカジャカ、ジャン!!
爆音のイントロが、夜の帳を切り裂く。
ルルノアがステージの中央へと踊り出た。
その瞬間、彼女から放たれた『輝き』は、
もはや物理的な光を超えていた。
「聴いてください!
私たちの、……いえ、王国の夜明けを告げる歌!
『夜明けのファンファーレ』!!」
歌声が、弾けた。
関門の戦いを経て、
多くの人の生死を背負い、
それでも「歌いたい」と願ったルルノアの喉は、
今や神域に達していた。
透き通るようなハイトーンが、
広場の空気を一瞬で浄化していく。
その歌声に触れた瞬間、
兵士たちの心に巣食っていた
「死への恐怖」や「未来への不安」が、
霧散していくのが分かった。
「……なんだ、これ」
「体が、……軽い。魔力が、
心の底から湧き上がってきやがる!」
最前列。ゼノスの指令通り、
アステリアとカルティアが、
羞恥をかなぐり捨てて行動を開始した。
「ルルノア様ァァァ!! 行けェェェ!!」
あの鉄壁のアステリアが、
顔を真っ赤にしながらペンライトを狂ったように振り回し、地を揺らすような声でコールを送る。
その隣で、高潔なカルティアが完璧なリズムで跳躍し、
コールを重ねる。
その光景が、兵士たちの最後のリミッターを破壊した。
「アステリア様まであんなに……!?
なら、俺たちが黙っていられるかよ!」
「うおおおおお! ルルノア様ぁぁぁぁ!!」
一人が叫び、十人が続き、百人が拳を突き上げる。
数万人の『光る棒』が、
ルルノアの歌声に合わせて激しく波打ち、
広場は七色の光の海へと変貌した。
それは、一人の少女が数万人の軍勢を
「精神的に」完全掌握した瞬間だった。
その圧倒的な光景を、ステージの影、
暗がりの中から見守っていた者がいた。
『神速』のアイルだ。
彼女は、自分の手が、
小刻みに震えていることに気づいた。
武者震いではない。恐怖でもない。
ステージの上で、自分よりもずっと小さな体で、
数万人の絶望を一人で受け止め、
それを歓喜へと変換し続けているルルノア。
その背中が、あまりにも尊く、神々しく見えたのだ。
「……きれいだ。……なんて、きれいなんだろう」
アイルは、いつも自分に甘えてくるルルノアを知っている。
一緒に練習し、
時にはお菓子を分け合い、
他愛もないことで笑い合う、
隣の席の少女のような彼女を。
だが、今そこにいるのは、
数万人の視線を一身に集め、
彼らの魂に火を灯す、唯一無二の「王」だった。
曲はサビへと向かい、
ボルテージは最高潮に達する。
ルルノアが軽やかにターンを決め、
そのスカートの裾が、
星屑を撒き散らすように翻った。
その刹那。
ルルノアの視線が、
ふとステージ袖のアイルを捉えた。
ルルノアは、数万人の観客が見守る中、
アイルだけに分かるような、
いたずらっぽく、
そして最高に愛らしいウィンクを送ったのだ。
――ドクン。
アイルの心臓が、
爆発したかのような衝撃を受けた。
音速を超えて戦場を駆ける彼女の動体視力をもってしても、その一瞬の「輝き」を避けることはできなかった。
胸の奥が熱く焦げ付き、視界が白く染まる。
「……あ、ああ……。そうか。
……僕は、この子のために、死んでもいいんだ」
それは、騎士としての忠誠心などという、
型に嵌まった言葉では説明がつかない感情だった。
世界で一番大切なものを見つけたという確信。
彼女の笑顔のためなら、
どんな絶望をも切り裂いてみせるという、
狂おしいまでの独占欲と献身。
アイルは、自分の『月虹』の柄を、
砕けんばかりの力で握りしめた。
アイルの瞳から、迷いが消えた。
代わりに宿ったのは、
一人の少女を「神」として崇める、
狂信者のような熱い光だ。
彼女は今、ルルノアという名のアイドルの、
世界で一番強い「ガチ恋ファン」へと成ったのだ。
歌が終わる。
王都を震わせるような、地鳴りにも似た拍手と喝采。
「ルルノア! ルルノア! ルルノア!」
数万人の男たちが、
涙を流しながら一人の少女の名前を絶叫している。
その光景は、もはや出陣式ではなく、
新しい神の誕生を告げる儀式ですらあった。
ゼノスは、
ステージの端でタバコを深く吸い込み、
紫煙を夜空に吐き出した。
その瞳は、
狂騒に沸く広場を冷徹に観察し、
兵士たちの魔力パラメータが
限界を超えて安定しているのを確認していた。
「……クク、最高に仕上がったな。
……見てるかゼオ。お前の計算には、
この『熱狂』による出力上昇は入ってねえだろ?
……兵士一人一人がルルノアの盾になり、矛になる。
……これこそが、最強の軍隊だ」
ゼノスは、満足げに笑いながら、
呆然とルルノアを見つめ続けるアイルの肩を叩いた。
「おい、エース。
見惚れるのはその辺にしとけ。
……次は、お前がその『神速』で、
彼女の道を切り拓く番だ」
「あー、もう。……分かってるよ、おじさん」
アイルは、今まで見せたことのないような、
鋭く、そして不敵な笑みを浮かべた。
「僕の全部を、彼女に捧げる。
……邪魔する奴は、
ベヒーモスだろうが神様だろうが、
僕が全部細切れにしてあげるさ」
夜明け。
熱狂の余韻を残したまま、
王国史上最強の「親衛隊」が、
境界の絶望へと向けて進軍を開始した。




