第28章:『アイドル』の誕生
静寂が、鉄錆の関門を支配していた。
かつて熱狂の震源地だった中央ステージには、
ただ泥と血に汚れた少女が倒れ伏している。
「……あ、……ぁ……」
ルルノアが喉を震わせる。
だが、そこから漏れるのは、掠れた風の音だけだ。
『剥製公』ギルバートの形態『絶望のコレクター』が、
再生を終えた禍々しい質量で彼女を見下ろしている。
「終わったな、歌い手。
……ソリラリス、トドメを刺せ。
その『空っぽ』の喉に、絶望を詰めてやれ」
空中揺籃から、ソリラリスが氷の眼差しを向ける。
彼女は、かつてないほど濃密な「虚無」の魔力を
指先に集めていた。
「……あなたの歌は、もう聴こえない。
……あとは、わたしの夜が……降るだけ」
ソリラリスが唇を開き、
死の旋律を奏でようとした、その時だった。
「――♪……『僕らの夜を』」
掠れた、ひどく不器用な歌声が響いた。
ルルノアではない。
崩れた城壁の陰で、
片腕を失い、
槍を杖にしてかろうじて立っている
若い兵士――ロキだった。
「……『勝手に、終わらせるな』……」
彼は、血に染まった唇を震わせ、
ルルノアの歌のフレーズを口ずさんでいた。
それはバフでも何でもない。
ただの、音程の外れた下手な歌だ。
「……何をしている、ゴミ屑が。死ね」
ギルバートが触手を放つ。
だが、その一撃が届く前に、別の場所から声が上がった。
「……『予定調和の……その外側へ』……」
炊き出し所の瓦礫の下で、
血を流しながら這い出してきたマーサだ。
彼女は、愛する息子のために買った小さな靴を胸に抱き、
枯れた声で歌い継ぐ。
「……『連れて……いって、やる』……」
一人、また一人。
倒れていた兵士たちが、
膝をつきながらも顔を上げ、
言葉にならない声を重ねていく。
それはルルノアが、
ポルカ村で、
そしてこの関門で、
彼らに「明日」という名のチケットを売り歩いた結果だった。
「アンコール……だと?」
ゼノスが、信じられないものを見るように周囲を見渡した。
「アイドルが退場したあとも……まだ聴きたいと……ファンからの『アンコール』……」
「……バカ野郎どもが。バフもかかってねえのに、
そんな声で何ができる。……だが……」
ゼノスの胸の奥が、
かつて魔王として君臨していた時にも感じたことのない、
熱い「何か」に締め付けられる。
兵士たちが歌っているのは、
自分の命を守るためではない。
自分たちに光を見せてくれた、
あの小さなアイドルを……ルルノアを、
もう一度ステージに立たせるための
『アンコール』なのだ。
もうだめかもしれない。
ただ死ぬのかもしれない。
ここで終わるのかもしれない。
でも。
それでも。
終わってほしくないのが『アンコール』だ。
「……ぁ……みんな……」
ルルノアが顔を上げた。
瞳から溢れる涙が、顔の汚れを拭っていく。
聴こえる。
自分への、祈りのような歌声。
かつてはお荷物だった自分を、
必要としてくれる2000人のファン。
ルルノアは、震える手でマイクを握りしめた。
喉は、もう焼けるように痛い。
一音出せば、二度と話せなくなるかもしれない。
けれど。
ファンを笑顔にするのが。
ファンの気持ちに応えるのが。
きっと『アイドル』なんだ。
初めての『アンコール』。
「私の歌を、『ライブ』を、求めてくれる人たちがいる。」
「私の歌が、『ライブ』で、救える人たちがいる。」
「……私、今……世界で一番、私の歌が、『ライブ』が好き」
瞬間。
ルルノアから放たれるのは、黄金色の光。
「――っ、ぅ……あああああ!!」
ルルノアが、魂を削り出すような「叫び」を放った。
メロディはいらない。
バフの方程式なんて、もう知らない。
ただ、自分を好きだと言ってくれる人のために、
剥き出しの言葉を届ける。
それは歌ですらない、ただの独白。
だが、その声が響いた瞬間、
関門を包んでいたソリラリスの「虚無」が、
物理的に弾け飛んだ。
「……っ!? ……わたしの、夜が……割れる……?」
ソリラリスが戦慄する。
絶望を食い破る、『夜明けの共鳴(暁のレゾナンス)』。
「おじさん……見てて。……私……最後まで、『アイドル』だから!」
黄金色の光に包まれたルルノアは、
いちばん大事な人に言う。
それは。
『アイドル』のスタート。
自信のなかった彼女が。
欠けだらけの三日月が。
足りなかったひとつのピース。
彼女は、
たったいま。
自分自身の最大の『ファン』になった。
血を吐きながら、ルルノアが笑った。
その笑顔を見た瞬間、ゼノスは確信した。
ここからが、本当の『ライブ(逆襲)』だと。




