第24章:右翼の旋風、泥に咲く黒百合
左翼から響くバルカスの怒号を背に、
右翼拠点は静かな、
しかし確実な「浸食」に晒されていた。
そこは断崖に面した細い通路が続く、
鉄錆の関門における「要」だ。
ここを抜かれれば、
ルルノアがいる中央ステージの真横を突かれることになる。
「陣形を崩すな! 一歩も引くことは許しません!」
第三騎士隊副隊長、アステリアの鋭い声が響く。
その長身は、漆黒の夜闇の中でも際立っていた。
背中まで伸びる黒髪を激しくなびかせ、
彼女は愛剣を振るい、
次々と城壁を這い上がる剥製兵を斬り捨てていく。
だが、右翼を襲ったのは物量だけではなかった。
ギルバートが送り込んだ第二の刺客
――『剥製兵:影縫いのフィオナ』。
目に見えない糸を操り、
兵士たちの動きを物理的に拘束する。
――強敵だ。
「……っ、体が動かない!?」
「助けてくれ、副隊長!」
アステリアの部下たちが、
次々とフィオナの「不可視の糸」に捕らわれ、
操り人形のように互いに剣を向け合う。
さらに、右翼側を受け持つ二頭目のベヒーモスが、
その巨大な角を壁に突き立て、地響きを鳴らす。
「……そんな。私の指揮が、通用しない……?」
アステリアの心に、冷たい汗が伝う。
彼女は完璧主義者だった。
王立士官学校を首席で卒業し、
「十三英団」候補とまで称えられたエリート。
彼女にとって、
戦場とは理知と規律で制御すべきものであり、
ルルノアの「歌」のような不確定な感情論は、
本来忌むべきものだった。
「……カルティア様。私は、間違っていたのでしょうか」
憧れの先輩であるカルティアが、
なぜあの怪しげな男と、
非力な少女にすべてを託したのか。
自分には理解できない。
その「理解できない恐怖」が、彼女の足をすくませる。
その時だ。
『――泣かないで。君の震える指先は、
明日を掴むためにあるんだ!』
中央から、ルルノアの絶唱が届いた。
それは、アステリアが「非科学的だ」と
切り捨てたバフの波動。
だが、その声が耳に届いた瞬間、
アステリアの全身を縛り付けていた
「フィオナの糸」が、激しい振動と共にパチンと弾け飛んだ。
「……何……!?」
『アステリアさーん!! 信じてるから!!』
拡声魔法を通した、ルルノアの必死の叫び。
それは戦略的な指示ではない。
ただの、剥き出しの信頼。
アステリアの胸の奥で、何かが壊れた。
完璧でいなければならない。
気高くあらねばならない。
部下を一人も欠かしてはならない。
そんな重圧でガチガチに固まっていた
彼女の「規律」が、
ルルノアの不器用で真っ直ぐな歌声によって、
甘く溶かされていく。
「……ああ、そうか。私は、怖かっただけなのね。
自分の無力さを認めるのが」
アステリアは自嘲気味に笑い、首筋の汗を拭った。
彼女は、泥塗れの地面に膝をつき、
一度だけ深く息を吸う。
そして立ち上がった時、
その瞳からは「冷徹な指揮官」の影が消え、
一人の「戦士」の熱が宿っていた。
「第三騎士隊、全軍に告ぐ!
規律は捨てなさい! 陣形も不要です!」
「えっ、副隊長……!?」
「今この瞬間より、私たちは騎士ではありません!
あの少女を守る、ただの……『ファン』になりなさい!!」
(カルティア様、
貴方が仰った『推し』の意味、
わかってきたかもしれません。
――『推し』の『推し』は、これまた『推し』であると!)
アステリアが剣を天に掲げる。
ルルノアの歌う『共鳴の方程式』。
その加速するビートに、
彼女は自分の心拍数を無理やり同期させた。
長躯の肢体が、ルルノアの歌に合わせて、
しなやかに、そして爆発的に躍動する。
「……行きますよ。私の『推し』を侮辱した罪、
高くつきますからね!」
アステリアが疾走する。
フィオナが放つ無数の糸を、
彼女は歌のリズムで「予測」し、最小限の動きで回避。
そして――。
「『黒百合の円舞曲・共鳴旋回』!!」
ルルノアのハイトーンに合わせて、
アステリアの剣が旋風を巻き起こした。
フィオナの糸をすべて巻き取り、
その本体ごと一刀両断にする。
さらには、そのままの勢いで
ベヒーモスの眉間に跳びかかり、歌
の魔力を乗せた一撃を深々と突き刺した。
「ガアアアア……ッ!?」
巨獣が怯む。
右翼の兵士たちは、
泥まみれになりながらも美しく戦うアステリアの姿に、
熱狂的な歓声を上げた。
「はあ、はあ、これで、少しは戦況が……ッ」
しかし。
現実は。
厳しく立ちはだかる。
フィオナを倒したアステリアの前に、
不気味な影が降り立つ。
空中揺籃から降りてきた。
ソリラリスだ。
「……あなたの心、すこしだけ
……あたたかくなった。
……だから。」
「冷たくしてあげるね」
ソリラリスが、その白い指先をアステリアに向ける。
一瞬にして、アステリアの周囲の温度が
氷点下へと叩き落とされた。
ソリラリスの「絶望の歌」による、
ピンポイントの精神汚染。
「くっ……あ、あ……」
ルルノアの歌で熱くなったアステリアの心に、
急速に「虚無」が流し込まれる。
アステリアの瞳から、光が消えかかる。
「……ごめんなさい、ルルノア……。私、やっぱり……」
絶体絶命。
右翼の拠点が、一人の歌姫の手によって、
静かな死の園へと変えられようとしていた。




