第23章:左翼の咆哮、老兵は静かに燃える
関門の左翼。そこは切り立った崖と、
古びた監視塔が並ぶもっとも足場の悪い難所だ。
そこに、漆黒の質量――ベヒーモスが激突した。
「ガアアアアアアアア!!」
鼓膜を揺らす咆哮。
同時に、巨獣の背から這い出してきた影たちが、
城壁の上へと躍り出る。
それはギルバートが「兵士」の死体を
加工して作り上げた精鋭剥製兵、『断罪の十人』の一人、
重装鎌使いのベルドッドだった。
その姿は見る影もない。巨大な鎌を何本も背に取り付けられ、
複数の巨大な腕で、それらを振り回す姿は、
「……ヒッ、化け物……!」
「逃げろ! こんなの勝てるわけが――」
恐怖が伝播し、
左翼を守る若い志願兵たちが
総崩れになりかけたその時。
地響きのような足音と共に、
一人の大男が最前線に躍り出た。
「逃げるなァ! 逃げた先にあるのは、
お前らの家族の剥製だぞッ!!」
守備隊長、バルカスだ。
彼は身の丈ほどもある巨大な戦斧を担ぎ、
剥製兵の鎌を真っ向から受け止めた。
キィィィィン!
と火花が散り、
石畳がバルカスの足元からひび割れる。
「隊長……! でも、あの巨獣はどうすれば!」
「ルルノアお嬢ちゃんの歌を聴け!
あの声が、お前らの心臓の音より
小さく聴こえるかよ!!」
バルカスの吼え声に応えるように、
関門中央からルルノアの声が響き渡る。
ゼノスが、あらかじめセッティングをした、
中央ステージと左翼拠点を繋ぐ「共鳴の魔石」が
過負荷で赤く発光し、
バルカスの全身にルルノアの歌声
――その激しいビートが「熱」として流れ込んだ。
「……クソッタレが。ずいぶんと重労働じゃねえか、
ゼノスの旦那」
バルカスは口角から血を流しながら、
ニヤリと笑った。
彼の筋肉は、ルルノアの歌う『共鳴の方程式』の
重低音に合わせて膨張し、血管が浮き出ている。
これはただの強化魔法ではない。
ルルノアの「生きてほしい」という願いが、
バルカスの「生きたい」という意志に火をつけた結果の、
限界突破だ。
「行くぞ、野郎ども! ライブの邪魔をする野次馬は
……俺が叩き出すッ!!」
バルカスが地面を蹴った。
巨躯からは想像もつかない速度。
ルルノアの歌のテンポ(BPM)に合わせた、
正確無比な連撃。
ガキイイン!
ベルドッドの鎌の連撃がバルカスを襲う。
それらに刃を合わせ、渾身の一振りで弾き飛ばし、
その無機質な首を戦斧で一刀両断にする。
「ひとまず先に休んでろよ。ああ、俺も休みたいのはやまやまだ」
真の絶望はまだ終わらない。
ベヒーモスが、
その巨角を振り回し、
左翼の城壁の一部を粉砕した。
崩れ落ちる瓦礫。
その下敷きになりかけた若い兵士
――ロキを、バルカスが片手で放り投げて救い出す。
「隊長! 腕が!」
「かすり傷だ! それより槍を構えろ!
お嬢ちゃんのサビが来るぞ!!」
ルルノアの歌が、転調する。
さらに激しく、さらに高く。
バルカスは、
かつて自分が戦場で見捨てることとなった
数多の部下たちの顔を思い出した。
自分は英雄ではない。
ただの、生き残ってしまった汚れ仕事の専門家だ。
けれど。
「……ああ、そうだ。
俺は、こんなガキが死ぬのを見たくなくて、
軍人を続けてきたんだったな」
バルカスは、折れた腕を無理やり戦斧に固定し、
ベヒーモスの鼻先に立ち塞がった。
「おい、牛のガキ……。
お前には、あの娘の歌がどう聴こえる?」
「知らねえだろうがな。
……若いモンの遊びだと思っていたけどよぉ。
髭の蓄えた俺みてえな小汚ねえおっさんにもな……
『アイドル』ってのはどうやら刺さるもんなのよ。」
「俺にはな……。元気がもらえるあの歌は。
『まだ寝てんじゃねえ、いけるとこまでいけよクソジジイ』
って聴こえるんだよ!!」
ルルノアの絶唱と共に、
バルカスの戦斧が黄金色の魔力を帯びた。
『大旋風・共鳴砕』。
振り下ろされた一撃は、
ベヒーモスの硬質な表皮を食い破り、
その巨体を大きくのけぞらせた。
城壁全体が歓声に包まれる。
だが、バルカスの全身からは、
魔力枯渇による白い煙が立ち上っていた。
「……ハァ、ハァ……。
ゼノスの旦那……。
左翼は、まだ落とさせねえ……。
だが、次は……早めに頼むぜ……」
バルカスは膝をつきそうになりながらも、
決して武器を離さなかった。
背後で戦う兵士たちの瞳には、もはや恐怖はない。
一人の「推し」を守るために死力を尽くす
老兵の背中を見て、
彼らもまた、真の「ファン」へと変わり始めていた。
しかし、戦況は残酷だ。
左翼が持ち堪えたその時、
右翼からはアステリアの部下たちの悲鳴が響き始めた。
さらに不気味なのは、
空に浮くソリラリスが、
バルカスの戦いを見て、静かに微笑んだことだった。
「……あたたかい。……こわしたい」
ソリラリスの指先が、死の魔力を紡ぎ出す。
ライブの熱狂は、さらなる混沌へと引きずり込まれていく。




