第22章:漆黒の獣、蹂躙の開幕
歓声が関門を揺らしていた。
第一攻勢を完封し、
兵たちの士気は最高潮。
「ルルノアの歌があれば勝てる」という、
甘く熱い期待が場を支配していた。
だが、ゼノスだけは笑っていなかった。
彼は、霧の奥でギルバートが浮かべた
「卑屈な笑み」を見逃さなかった。
「……クク。ハハハ! 実に愉快だ、ゼノス。
お前なんだろう?人間どもに『歌』の力を与えたのは。
人間の体に堕ちたと聞いたが、こんなところで会えるとは。
愛した『人間』どもが、
たかが歌一曲で全能感に浸っている。
……ならば、その希望を、
物理的な質量で圧し潰してやろう」
ギルバートが杖を高く掲げ、地面を激しく叩いた。
その瞬間、地響きが変わった。
ズゥゥゥゥ――ン……!!
先ほどまでの死霊たちの歩法とは比較にならない、
大気を震わせる重低音。
山脈の影から現れたのは、
漆黒の毛並みに覆われた、山のごとき巨躯だった。
「……何だ、あれ。牛……か?いや、それにしてはでかすぎる……」
ロキが呆然と呟く。
それは、『境界の巨獣』ひとつに数えられる、
――ベヒーモス。
境界の巨獣。
かつてゼノスが統治していた魔界と、
人間界を明確に隔てる境界。
それはそれぞれの巨獣が、まるで動く城、
のように拠点をじりじりと人間界に押し込む国境線。
環境そのものを魔界へと変えてしまう巨獣だが、
その大きさゆえに、
移動のスピードは大幅な時間がかかる。
さらには王国の英雄『十三英団』により、
その侵攻は緩慢としているはずである。
「あれは……ベヒーモス?こんな、明確な人間界の領土まで移動できるはずが...」
ゼノスもまた、彼らとは違う驚愕をこめつつ呆然と呟く。
「いや、境界の巨獣にしては明らかに小さい。まさか……幼体か――」
どうやって生み出したのか。おそらくはゼオの魔術儀式によるもの、としか考えられないが、
「考えても実現しえないこと」を目の前で見せつけられている。
幼体とはいえ、その巨体は関門の城壁を優に超える。
四つの瞳は血のように赤く、
鼻から吐き出される息はそれ自体が
猛毒の霧(障気)となっていた。
「なぜ、ここまでの接近に気づけなかった」
ゼノスは当然の疑問を浮かべる。
「黒幕オール解除。
……さあ、食事の時間だ」
ギルバートの合図と共に、
巨獣の周囲に展開されていた「隠蔽魔法」が解ける。
一頭ではない。関門の正面、
そして左右の絶壁。
合計三頭のベヒーモスの幼体が、
同時に姿を現したのだ。
「そんな……っ。あんな化物、どうやって……!」
アステリアの悲鳴が上がる。
物理法則を無視した突進が、関門の左翼に激突した。
ルルノアの歌による圧倒的なバフを受けていたはずの精鋭たちが、
その「圧倒的な質量」の前に、紙屑のように吹き飛ばされる。
「ルルノア! 歌を止めるな! 出力を最大まで上げろ!」
ゼノスが叫ぶ。
だが、事態はさらに悪化していた。
ブオオオオオオオオ!!!!!
巨獣の咆哮が、
ルルノアの声という「波形」を物理的にかき消し、
攪乱し始めたのだ。
「おじさん……っ。声が、届かない……!」
ルルノアの喉が震える。
音響増幅の魔石が、
過負荷でパチパチと火花を散らした。
さらに最悪なことに、
巨獣の背中から、
特殊な『剥製兵』たちが雪崩のように溢れ出してきた。
各拠点の要所に、ピンポイントで強敵が送り込まれる。
それは、巨獣をコンパクト化し、移動要塞とする。
あまりに冷徹で「効率的」な作戦だった。
前線なんてものを飛び越えて、メインステージに強襲する。
「チッ……。ライブ妨害かよ。タチの悪い観客だ。」
ゼノスは苦虫を噛み潰したような顔で、
戦況を見極めた。
「バルカス、左翼へ行け! アステリア、右翼だ!
カルティアは中央、ルルノアを死守しろ!」
要所は三箇所。
それぞれに、ルルノアの歌を中継する拠点。
いわゆる「サブステージ」を維持しなければ、
この関門は一分も持たずに崩壊する。
「ルルノア。……ここからが、
本番の『二番』だ」
ゼノスは、震えるルルノアの背中に手を添えた。
「客席に乱入してきたマナーの悪い連中を、
叩き出しにいくぞ。
……いいな、ファンを一人も欠かさせるなよ」
ルルノアは、もう涙は流さない意思を胸に熱く秘め、力強く頷いた。
自分のプロデューサーがいつか教えてくれた。
『アイドル』はどんな絶望的な状況でも、ファンの前では泣かないのだ。
絶望の第二幕。
アイドルの意地と、騎士たちの矜持を懸けた、泥沼の防衛ライブが始まった。




