第19話:『剥製公』ギルバートと、空っぽの歌姫
関門の北方、山脈を覆い尽くすほどの霧。
その霧が意志を持つ生き物のように蠢き、
関門の第一防壁へと這り寄る。
兵士たちが手にする槍の先が、
カチカチと音を立てて震えていた。
「……見ろよ。あれが、あいつのやり方だ」
ゼノスが指差す先。霧の合間から、
ゆらりと巨影が現れた。
六頭の死白馬が引く、
不気味なほど装飾過剰な馬車。
その屋根の上、
豪奢な椅子に深く腰掛けた男がいた。
『剥製公』ギルバート。
金糸をふんだんに使った軍服を纏い、
青白い肌に冷酷な笑みを貼り付けた男。
彼は片手に、
まるで工芸品のように
加工された「人間の手首」の形をした
杖を握っていた。
「クク……。
ああ、いい顔だ。
恐怖、絶望、後悔。
この鉄錆の関門には、
実に見事な『素材』が揃っている」
ギルバートが杖を振ると、
霧の中から行進する軍勢が姿を現した。
それを見た若い兵士、
ロキが悲鳴を上げた。
「……あ、ああ……!
なんだよ、あれ……!?」
現れたのは、ただの骸骨兵ではない。
生前の皮膚を丁寧になめし、
藁を詰め、不気味な刺繍で繋ぎ合わせた
「人間の剥製」たちだった。
彼らは生前の防具を纏い、
生前の武器を手にしながら、
光のない眼窩で関門を見上げている。
「死んだ後も、
私のコレクションとして永遠に飾ってあげよう。
感謝したまえ、無価値な人間ども」
ギルバートの背後から、さらに異質な「音」が響いた。
それは、旋律でありながら感情を拒絶し、聴く者の心に氷の楔を打ち込むような高音。
「……ソリラリス。あいつも来ているのか」
ゼノスは空を仰いだ。
月を背に、
巨大な蝙蝠のような魔獣が牽く空中揺籃に、
一人の少女が座っていた。
ソリラリス。
白金色の髪を夜風になびかせ、
人形のように整った顔立ちをした彼女は、
虚空を見つめたまま喉を震わせている。
「『誰も……いない』。
……『何も……ない』。
……『夜が……降る』」
彼女の歌は、
バフでもデバフでもない。
「無」そのものだ。
彼女が一声放つたびに、
関門を守る兵士たちの心から、
大切な記憶が削り取られていく。
マーサが思い描いていた息子の笑顔が霞み、
ロキが握りしめていたペンダントが、
ただの汚れた真鍮の塊に見え始める。
「……力が、入らない……。
なんで、俺……戦ってるんだっけ……?」
ロキの槍が、カランと虚しい音を立てて石畳に落ちた。
戦意という名のガソリンが、
ソリラリスの歌によって一滴残らず揮発していく。
これこそが、
魔王ゼオが構築した「効率的な絶望」の最終形。
戦う前に、人間であることを辞めさせる呪いだ。
「カルティア、アステリア!
兵を下げろ!
これ以上聴かせれば、戦う前に心が壊れるぞ!」
ゼノスの怒声が響く。
アステリアは唇を噛み切り、
血を滲ませながら叫び返した。
「下がる場所などありません!
ここが抜かれれば、
背後のポルカ村も、王都も終わる!」
「だからといって、
このままじゃ剥製にされるのを待つだけだ!」
ギルバートが優雅に立ち上がり、
関門に向けて杖を向けた。
「さあ、コレクションを増やそうか。
死霊騎士団、前進。
……一番美しい絶望を見せた者は、
私の私室に飾ってやろう」
ズゥゥゥン!!
死霊たちの歩調が一段と強まり、
関門の門扉が悲鳴を上げる。
ソリラリスの虚無の歌が、
夜の闇を塗り潰していく。
絶望が臨界点を突破しようとしたその時。
ゼノスは、隣で震えながらも、
一歩も引かずに前を見据えるルルノアの肩を強く掴んだ。
「ルルノア。あいつを見たか?」
「……はい。あの歌、すごく……寂しいです。
空っぽで、誰もいない部屋に閉じ込められてるみたい」
「ああ、あれは歌じゃねえ。
ただの『絶望の景色』だ。
……なあ、ルルノア。あいつに教えてやれよ」
ゼノスの瞳に、
かつての魔王としての冷徹さを超えた、
プロデューサーとしての狂熱が宿る。
「誰もいない部屋にだって、
窓を開ければ夜明けが来る。
……2000人の命。
こいつらの明日を、
あんな剥製野郎に売ってやる必要はねえ」
「……はい、おじさん」
ルルノアは、
震える手で自分のマイク(魔導増幅器)を握りしめた。
恐怖はある。
脚も笑っている。
けれど、さっき食べた黒パンの温かさが、
まだ胸の奥に残っていた。
「……見ろよ、ギルバート。
お前の古臭い剥製趣味を、
俺の秘蔵っ子が今から、
粉々に叩き割ってやる」
ゼノスが指を鳴らした。
それが、反撃の合図だった。
ギルバートの撒き散らす死の静寂を切り裂いて、
ルルノアが、土嚢の上に一歩踏み出した。




