第1話:0(ゼロ)に還った魔王
第1章:威光の終焉、おじさんの始まり
――魔界の空は、
いつも、どろりと濁った
血の赤に染まっていた。
だが、その日。
魔王ゼノスの視界を
支配していたのは、
冷徹な白銀の輝きだった。
「終わったな、ゼノス。
お前の『理想』という名の狂気も、
ここで潰える」
静謐な、あまりに静かな声が、
半壊した玉座の間に響く。
魔王ゼノスは、
自らの胸を深く貫く光の刃を、
ぼうぜんと見つめていた。
その刃を握っているのは、
魔界最強の騎士にして、
最も信頼を置いていた右腕。
――ゼオだった。
「……ゼオ……。
貴様、なぜだ……」
口の端から溢れる血を拭う余裕さえない。
「俺が目指した……
魔界の新しい形が、
理解できんのか……。
力で奪い合うだけの時代は、
もう終わるんだ……」
「理解はしている。
だが、それは魔族に対する冒涜だ」
ゼオは、一切の感情を排した、
精密機械のような瞳で
ゼノスを見下ろした。
「魔族に必要なのは、渇き。
それを癒やすための他者の血。
そして絶対的な強さだ。
夢や希望など、
牙を奪い、精神を腐らせる
弱者の毒でしかない」
ゼオにとって、
ゼノスの思想は
魔界を病ませるノイズだった。
ゼノスが晩年、
心血を注いでいたのは、
領土拡大でも大虐殺でもない。
それは、歌。踊り。芝居。
魔族たちの荒ぶる魂を、
暴力ではなく
「感動」という名の共鳴で
束ねようとする文化革命。
ゼノスはそれを、
異世界の知識から
『エンターテインメント』
と呼んでいた。
「魔王ともあろう者が、
あろうことか
『拍手が欲しい』だと?滑稽すぎる」
「……お前には……
わからねえんだな……。
剣を振るう腕が震えるのは、
恐怖だけじゃない……」
「心が震えたとき、
本当の、とんでもねえ
『力』が生まれるんだよ……」
「不要だ。
0(ゼロ)に還れ、ゼノス。
お前の愛した
『無駄』とともに」
ゼオが非情に呪文を唱える。
魔界の理を根底から歪める
禁忌魔法――『転生追放』。
ゼノスの意識は、
爆発的な白光に飲み込まれ、
奈落へと堕ちていった。
「……が、はっ……!」
激痛と共に意識が浮上したとき、
ゼノスが最初に感じたのは、
重力という名の暴力だった。
身体が、信じられないほど重い。
全身の細胞が、
水を含んだ泥に
作り変えられたかのような
逃れられない倦怠感。
「……ここは……。
……っ、うあぁ……!」
立ち上がろうとした瞬間、
腰に稲妻のような鋭い痛みが走った。
全盛期のゼノスなら、
一跳びで雲を突き抜けられた。
だが今の身体は、
数センチ浮くことさえ拒絶する。
冷たい雨が、
容赦なく叩きつけていた。
視界に入ったのは、
節くれ立ち、薄汚れた
「人間の中年男性」の手だ。
慌てて近くの
水溜まりを覗き込む。
そこに映っていたのは、
魔王の角を失った、
ひどくくたびれた
「おじさん」の顔だった。
「……ははっ。
……ゼオの奴、
本気で、やりやがったな……」
声まで枯れている。
魔力は完全に消え失せ、
マナ回路は
錆びついた鉄屑のように
沈黙していた。
ゼノスは震える手で
懐を確かめた。
指先に触れたのは、
一枚の羊皮紙。
それは、彼が書き殴った
『魔界ドームツアー構想
・第1案』だった。
雨に濡れ、滲んだインクが、
今の彼と同じように
無様に汚れている。
「……っ……、ぅ……」
壁を伝い、立ち上がろうとする。
だが、膝が笑い、
足元がおぼつかない。
全盛期なら一瞬で治せた
筋肉の損傷さえ、
肉体は「加齢」によって
修復を拒んでいる。
(……これが、
『物理』の限界ってやつか。
不便なもんだな……)
だが、男の瞳の奥で、
まだ消えていない火花があった。
「……見ていろ、ゼオ。
効率こそが正義だと?
無駄を省いた先に、
何が残るっていうんだ」
「お前が作ったその『静寂』。
……俺が、最高のノイズで
ぶち壊してやる」
世界をひっくり返すのに
魔力はいらない。
必要なのは、
たった一人の「原石」と、
それを輝かせるための
「執念」だ。
路地裏のゴミ箱にぶつかりながら、
おじさんは歩みを進める。
魂に刻まれた
「世界中を熱狂させたい」
という渇望だけは、
魔法でも消せなかった。
「……待ってろよ。
……最高のアンコールを、
お前に聴かせてやる」
闇の中、一人の男が歩き出す。
それは魔王の帰還ではなく、
泥に塗れた
「一人のプロデューサー」による、
熱い復讐劇の始まりだった。
はじめまして。よろしくお願いします。
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