表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

スライムたちのカフェ体験

異世界と現代日本を繋ぐ不思議な扉を持つ喫茶店。新しくウェイトレスとして働き始めたリュミエが、少しずつ笑顔を見せるようになった頃、店に一風変わった客たちが訪れます。それは、複数のスライムたち。彼らはカップに分かれて入り、「味を共有する」という不思議な飲み方を披露するのですが――


午後二時。昼の混雑が落ち着いた頃、俺は厨房でコーヒーカップを洗っていた。


「マスター、テーブル三番のお客様、お帰りになりました」


背後から、リュミエの声が聞こえた。彼女がウェイトレスとして働き始めて、もう一ヶ月が経つ。最初は緊張して声も小さかったが、今ではだいぶ慣れてきた様子だ。


「ありがとう。お疲れさま」


「はい」


リュミエは小さく微笑んだ。まだ時々不安そうな顔をするが、以前に比べればずっと表情が明るくなった。


――いい傾向だ。


俺は満足げに頷き、洗い終わったカップをラックに並べた。


「マスター、次のお客様が――」


リュミエが何か言いかけた時、店の扉のベルが鳴った。


カラン、カラン、カラン、カラン……


――ん?何か様子がおかしい。


ベルが何度も鳴り続けている。一人の客が入ってきたにしては、やたらと長い。


俺は厨房を出て、店内を見渡した。


「いらっしゃいま――」


言葉が途中で止まった。


扉の前には、五つのスライムが並んでいた。それぞれ直径三十センチほどの、半透明のゼリー状の生物。色はそれぞれ違っていて、青、緑、赤、黄色、そして紫。


――スライムか。


この店にも色々な客が来るが、スライムは初めてだ。というか、スライムって意思疎通できるのか?


「マスター、これは……」


リュミエが不安そうに俺を見た。


「大丈夫。お客様だ」


俺はそう言いながら、スライムたちに近づいた。


「いらっしゃいませ。何名様ですか?」


――って、何名って聞くのもおかしいな。五匹?五体?


その時、青いスライムがぷるぷると震えた。すると、スライムの中央部分に人の顔のようなものが浮かび上がった。


「ゴボゴボ……五……名……」


――喋った!?


驚いたが、表情には出さない。プロとして冷静に対応しなければ。


「かしこまりました。お好きな席へどうぞ」


俺はテーブル席を指差した。


五つのスライムは、ぴょんぴょんと跳ねながら席に向かった。その動きは予想以上に軽やかで、床にはほとんど跡が残らない。


リュミエは目を丸くしながら、その様子を見ていた。


「リュミエ、大丈夫か?」


「は、はい……初めて見ました、スライム」


「俺もだ」


俺たちは顔を見合わせた。


***


スライムたちはテーブルの上に乗った。それぞれが椅子の上ではなく、直接テーブルに陣取っている。


――まあ、椅子に座れる体型じゃないしな。


俺はメニューを持って、テーブルに近づいた。


「ご注文は?」


青いスライムが再び震えた。


「ゴボゴボ……飲み物……共有……したい……」


「共有?」


俺は首を傾げた。


「ゴボゴボ……我々……スライム……味を……共有……できる……」


「味を共有?」


「ゴボゴボ……そう……五つ……違う……飲み物……注文……それぞれ……カップに……入る……味……共有……する……」


――なるほど、そういうことか。


つまり、五つのスライムがそれぞれ別の飲み物を注文して、それぞれがカップに入る。そして、味を共有するというわけか。


「分かりました。それでは、ご注文をどうぞ」


「ゴボゴボ……青……コーヒー……」


「ゴボゴボ……緑……紅茶……」


「ゴボゴボ……赤……ココア……」


「ゴボゴボ……黄色……オレンジジュース……」


「ゴボゴボ……紫……ハーブティー……」


それぞれのスライムが、順番に注文した。


――全部違うのか。


「かしこまりました。少々お待ちください」


俺はカウンターに戻った。リュミエが不安そうな顔で待っていた。


「マスター、大丈夫ですか?あのお客様、カップに入るって……」


「ああ、そう言っていた。まあ、やってみよう」


俺は五つの飲み物を準備し始めた。コーヒー、紅茶、ココア、オレンジジュース、ハーブティー。それぞれを別々のカップに注ぐ。


リュミエも手伝ってくれた。彼女はハーブティーを淹れるのが得意だ。


「はい、できました」


五つのカップをトレーに並べ、テーブルに運ぶ。


「お待たせしました」


カップをテーブルに置くと、スライムたちは一斉に動き出した。


青いスライムはコーヒーのカップに、緑のスライムは紅茶のカップに、赤いスライムはココアのカップに、黄色いスライムはオレンジジュースのカップに、紫のスライムはハーブティーのカップに、それぞれ飛び込んだ。


――マジか。


俺とリュミエは、その光景を唖然として見ていた。


スライムたちはカップの中に完全に収まっていた。それぞれのカップから、スライムのぷるぷるとした質感が見える。飲み物の色と混ざり合って、不思議な見た目になっている。


「ゴボゴボ……美味しい……」


青いスライムがカップの中で震えた。


「ゴボゴボ……これは……コーヒー……苦い……でも……良い……」


「ゴボゴボ……紅茶……香りが……良い……」


「ゴボゴボ……ココア……甘い……最高……」


「ゴボゴボ……オレンジジュース……酸っぱい……爽やか……」


「ゴボゴボ……ハーブティー……優しい……味……」


それぞれのスライムが、自分の飲み物の感想を述べた。


そして、次の瞬間。


五つのスライムが一斉に震え始めた。カップの中で、ぷるぷると激しく揺れている。


「ゴボゴボゴボ……味……共有……開始……」


――何が起こるんだ?


俺は目を凝らした。


すると、不思議なことが起こった。五つのスライムの色が、徐々に変化し始めたのだ。青いスライムに緑や赤が混ざり、緑のスライムに青や黄色が混ざり――


「ゴボゴボ……全部の……味……感じる……」


「ゴボゴボ……コーヒーも……紅茶も……ココアも……」


「ゴボゴボ……全部……美味しい……」


スライムたちは満足そうに震えていた。


――味を共有って、こういうことか。


俺は感心した。スライムという生物は、こんな能力を持っているのか。


リュミエも驚いた顔で見ていた。


「すごい……マスター、あれ、本当に全部の味が分かるんでしょうか」


「みたいだな」


俺はカップの中のスライムたちをじっと見つめた。それぞれの色が微妙に変化し続けている。まるで、味の情報が視覚的に表現されているかのようだ。


「マスター、あの……質問してもいいですか?」


リュミエが恐る恐る青いスライムに近づいた。


「ゴボゴボ……どうぞ……」


「その、味を共有するって、どういう仕組みなんですか?」


「ゴボゴボ……我々……スライム……体……繋がっている……目に……見えない……糸で……」


青いスライムが説明を始めた。


「ゴボゴボ……その……糸……通して……感覚……共有……する……味だけ……じゃなく……温度も……香りも……全部……」


「すごいです……」


リュミエは目を輝かせた。彼女の表情には、純粋な好奇心が溢れている。


――こういう反応ができるようになったんだな。


俺は少し嬉しくなった。最初の頃のリュミエなら、こんな奇妙な客に怯えていただろう。でも、今では興味を持って接している。


「ゴボゴボ……この……店の……飲み物……とても……美味しい……初めて……こんな……味……」


赤いスライムがココアのカップの中で震えた。


「ゴボゴボ……特に……この……甘い……温かい……飲み物……最高……」


「それはココアと言います」


リュミエが優しく説明した。


「ゴボゴボ……ココア……覚えた……また……飲みたい……」


「ぜひ、また来てください」


リュミエは笑顔で答えた。その笑顔は、以前よりもずっと自然で、温かいものだった。


俺はカウンターに戻りながら、心の中で呟いた。


――リュミエも、随分と成長したな。


「すごい……」


「ああ」


俺たちはしばらく、その光景を見守っていた。


***


十五分後。


スライムたちはカップから出て、満足そうにテーブルの上でぷるぷると震えていた。


「ゴボゴボ……満足……美味しかった……」


「良かったです」


俺は微笑んだ。


「ゴボゴボ……また……来る……」


「お待ちしております」


スライムたちは料金を支払い――どこから出したのか分からないが、小銭がテーブルに置かれた――店を後にした。


カラン、カラン、カラン、カラン……


再びベルが何度も鳴り、スライムたちは路地の奥へと消えていった。


「……行きましたね」


リュミエがほっとしたような顔で言った。


「ああ」


俺も安堵のため息をついた。


――さて、と。


俺はテーブルを見た。そこには五つのカップが残っている。


「よし、片付けよう」


俺はカップを持ち上げた。


その瞬間。


「――うわっ」


思わず声を上げた。


カップの内側が、やたらとぬめぬめしている。スライムの体液だろうか。普通の洗剤では落ちそうにない。


「マスター?」


「いや、なんでもない」


俺は苦笑いしながら、カップを厨房に運んだ。


五つのカップを洗い始める。予想通り、ぬめぬめした粘液がなかなか落ちない。スポンジでゴシゴシと擦る。


――こんなに洗い物が大変だとは……。


一つ目のカップを洗い終わるのに、いつもの倍の時間がかかった。


――あと四つ。


二つ目、三つ目……。


――まだ二つある。


四つ目、五つ目……。


「……やっと終わった」


俺は深くため息をついた。両手が洗剤でガサガサになっている。


リュミエが厨房に入ってきた。


「マスター、次のお客様が――あれ?大丈夫ですか?」


「ああ、大丈夫だ。ちょっと洗い物に時間がかかっただけだ」


「そうですか……」


リュミエは心配そうに俺を見た。


「スライムのお客様、また来るかもしれませんね」


「……そうだな」


俺は遠い目をした。


――また来たら、洗い物が倍増する。


――いや、でもお客様は大切だ。スライムだろうと、人間だろうと。


――でも、洗い物は増える。


――うーん……。


俺は心の中で葛藤した。


「マスター、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」


「いや、なんでもない」


俺は首を振った。


「それより、次のお客様は?」


「ああ、はい。常連のエリナさんが来店されました」


「分かった。すぐ行く」


俺は厨房を出て、店内に向かった。


***


その日の夜、閉店後。


俺はカウンターで一人、コーヒーを飲んでいた。


リュミエは既に部屋に戻り、休んでいる。今日も一日、よく働いてくれた。


――スライムか。


今日の出来事を思い返す。


あの不思議な「味の共有」。五つの飲み物を一度に楽しむという、人間にはできない体験。


――面白い客だったな。


でも、洗い物は本当に大変だった。


俺は手を見た。まだ少しガサガサしている。


――次に来た時は、どうするか……。


いや、来たら来たで、ちゃんと対応しよう。それが店主の務めだ。


――でも、洗い物は増える。


――まあ、仕方ない。


俺は苦笑いしながら、コーヒーを一口飲んだ。


窓の外を見ると、夜の街が静かに広がっている。扉の向こう側は、今夜はどこに繋がっているのだろう。


――この店には、色々な客が来る。


エルフ、人間、魔族、吟遊詩人……そして、スライム。


みんな、この店で何かを求めている。温かい飲み物、会話、安らぎ。


――俺はそれを提供するだけだ。


洗い物が増えようと、手間がかかろうと、それが俺の仕事だ。


「よし、明日も頑張ろう」


俺は立ち上がり、カップを洗った。今度は普通のカップだから、すぐに終わる。


――やっぱり普通のカップが一番だな。


そう思いながら、俺は店の電気を消した。


明日もまた、新しい客がやってくるだろう。


それがどんな客であれ、俺は変わらず接客を続ける。


――それが、この店の役割だから。


翌日の昼過ぎ。


店内は穏やかな空気に包まれていた。常連の商人ギルドのおじさん――グレンが紅茶を飲みながら、新聞を読んでいる。


リュミエはカウンターで、ハーブティーの調合を練習していた。だいぶ手際が良くなってきた。


「マスター、この配合で合っていますか?」


「ああ、完璧だ」


俺は頷いた。リュミエの顔に、小さな笑顔が浮かぶ。


その時、扉のベルが鳴った。


カラン、カラン、カラン、カラン……


――また、あの鳴り方。


俺は嫌な予感がした。


案の定、扉から入ってきたのは、昨日と同じ五つのスライムだった。


「ゴボゴボ……また……来た……」


――やっぱり来た。


俺は深くため息をついた。


「いらっしゃいませ」


プロとして、笑顔で迎える。


「ゴボゴボ……今日は……違う……飲み物……試したい……」


――洗い物が増える……。


心の中で愚痴りながらも、俺は丁寧に対応した。


リュミエが小声で言った。


「マスター、頑張ってください」


「……ありがとう」


俺は苦笑いを浮かべた。


グレンがニヤニヤしながら言った。


「マスター、面白いお客さんだね」


「……ええ、まあ」


俺は目を逸らした。


――この店には、本当に色々な客が来る。


それが、この店の魅力でもあり、大変なところでもある。


でも、それでいいのだ。


俺はメニューを手に、スライムたちのテーブルへ向かった。


スライムたちの「味の共有」という不思議な飲み方は、マスターにとって新鮮な驚きでした。五つの飲み物を一度に楽しむという、人間にはできない体験。しかし、その代償として洗い物は倍増し、マスターの心の声には愚痴が溢れます。


それでも、マスターは変わらず丁寧に接客を続けます。それが店主としての務めであり、この店の役割だからです。リュミエも少しずつウェイトレスとして成長し、二人でこの不思議な店を支えています。


新しくウェイトレスとして働き始めたリュミエは、スライムという奇妙な客にも動じることなく、マスターをサポートしました。彼女の成長は、この店にとっても大きな力となっています。


異世界と現代を繋ぐこの喫茶店には、今日もまた新しい客がやってくることでしょう。


次回予告:ドワーフの鍛冶師が店を訪れる。彼はコーヒーを「黒ビールの親戚」と勘違いし、大ジョッキを要求する。香ばしい豆の香りに感動した彼は、自作のマグカップを置き土産にしていく――


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ