スライムたちのカフェ体験
異世界と現代日本を繋ぐ不思議な扉を持つ喫茶店。新しくウェイトレスとして働き始めたリュミエが、少しずつ笑顔を見せるようになった頃、店に一風変わった客たちが訪れます。それは、複数のスライムたち。彼らはカップに分かれて入り、「味を共有する」という不思議な飲み方を披露するのですが――
午後二時。昼の混雑が落ち着いた頃、俺は厨房でコーヒーカップを洗っていた。
「マスター、テーブル三番のお客様、お帰りになりました」
背後から、リュミエの声が聞こえた。彼女がウェイトレスとして働き始めて、もう一ヶ月が経つ。最初は緊張して声も小さかったが、今ではだいぶ慣れてきた様子だ。
「ありがとう。お疲れさま」
「はい」
リュミエは小さく微笑んだ。まだ時々不安そうな顔をするが、以前に比べればずっと表情が明るくなった。
――いい傾向だ。
俺は満足げに頷き、洗い終わったカップをラックに並べた。
「マスター、次のお客様が――」
リュミエが何か言いかけた時、店の扉のベルが鳴った。
カラン、カラン、カラン、カラン……
――ん?何か様子がおかしい。
ベルが何度も鳴り続けている。一人の客が入ってきたにしては、やたらと長い。
俺は厨房を出て、店内を見渡した。
「いらっしゃいま――」
言葉が途中で止まった。
扉の前には、五つのスライムが並んでいた。それぞれ直径三十センチほどの、半透明のゼリー状の生物。色はそれぞれ違っていて、青、緑、赤、黄色、そして紫。
――スライムか。
この店にも色々な客が来るが、スライムは初めてだ。というか、スライムって意思疎通できるのか?
「マスター、これは……」
リュミエが不安そうに俺を見た。
「大丈夫。お客様だ」
俺はそう言いながら、スライムたちに近づいた。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
――って、何名って聞くのもおかしいな。五匹?五体?
その時、青いスライムがぷるぷると震えた。すると、スライムの中央部分に人の顔のようなものが浮かび上がった。
「ゴボゴボ……五……名……」
――喋った!?
驚いたが、表情には出さない。プロとして冷静に対応しなければ。
「かしこまりました。お好きな席へどうぞ」
俺はテーブル席を指差した。
五つのスライムは、ぴょんぴょんと跳ねながら席に向かった。その動きは予想以上に軽やかで、床にはほとんど跡が残らない。
リュミエは目を丸くしながら、その様子を見ていた。
「リュミエ、大丈夫か?」
「は、はい……初めて見ました、スライム」
「俺もだ」
俺たちは顔を見合わせた。
***
スライムたちはテーブルの上に乗った。それぞれが椅子の上ではなく、直接テーブルに陣取っている。
――まあ、椅子に座れる体型じゃないしな。
俺はメニューを持って、テーブルに近づいた。
「ご注文は?」
青いスライムが再び震えた。
「ゴボゴボ……飲み物……共有……したい……」
「共有?」
俺は首を傾げた。
「ゴボゴボ……我々……スライム……味を……共有……できる……」
「味を共有?」
「ゴボゴボ……そう……五つ……違う……飲み物……注文……それぞれ……カップに……入る……味……共有……する……」
――なるほど、そういうことか。
つまり、五つのスライムがそれぞれ別の飲み物を注文して、それぞれがカップに入る。そして、味を共有するというわけか。
「分かりました。それでは、ご注文をどうぞ」
「ゴボゴボ……青……コーヒー……」
「ゴボゴボ……緑……紅茶……」
「ゴボゴボ……赤……ココア……」
「ゴボゴボ……黄色……オレンジジュース……」
「ゴボゴボ……紫……ハーブティー……」
それぞれのスライムが、順番に注文した。
――全部違うのか。
「かしこまりました。少々お待ちください」
俺はカウンターに戻った。リュミエが不安そうな顔で待っていた。
「マスター、大丈夫ですか?あのお客様、カップに入るって……」
「ああ、そう言っていた。まあ、やってみよう」
俺は五つの飲み物を準備し始めた。コーヒー、紅茶、ココア、オレンジジュース、ハーブティー。それぞれを別々のカップに注ぐ。
リュミエも手伝ってくれた。彼女はハーブティーを淹れるのが得意だ。
「はい、できました」
五つのカップをトレーに並べ、テーブルに運ぶ。
「お待たせしました」
カップをテーブルに置くと、スライムたちは一斉に動き出した。
青いスライムはコーヒーのカップに、緑のスライムは紅茶のカップに、赤いスライムはココアのカップに、黄色いスライムはオレンジジュースのカップに、紫のスライムはハーブティーのカップに、それぞれ飛び込んだ。
――マジか。
俺とリュミエは、その光景を唖然として見ていた。
スライムたちはカップの中に完全に収まっていた。それぞれのカップから、スライムのぷるぷるとした質感が見える。飲み物の色と混ざり合って、不思議な見た目になっている。
「ゴボゴボ……美味しい……」
青いスライムがカップの中で震えた。
「ゴボゴボ……これは……コーヒー……苦い……でも……良い……」
「ゴボゴボ……紅茶……香りが……良い……」
「ゴボゴボ……ココア……甘い……最高……」
「ゴボゴボ……オレンジジュース……酸っぱい……爽やか……」
「ゴボゴボ……ハーブティー……優しい……味……」
それぞれのスライムが、自分の飲み物の感想を述べた。
そして、次の瞬間。
五つのスライムが一斉に震え始めた。カップの中で、ぷるぷると激しく揺れている。
「ゴボゴボゴボ……味……共有……開始……」
――何が起こるんだ?
俺は目を凝らした。
すると、不思議なことが起こった。五つのスライムの色が、徐々に変化し始めたのだ。青いスライムに緑や赤が混ざり、緑のスライムに青や黄色が混ざり――
「ゴボゴボ……全部の……味……感じる……」
「ゴボゴボ……コーヒーも……紅茶も……ココアも……」
「ゴボゴボ……全部……美味しい……」
スライムたちは満足そうに震えていた。
――味を共有って、こういうことか。
俺は感心した。スライムという生物は、こんな能力を持っているのか。
リュミエも驚いた顔で見ていた。
「すごい……マスター、あれ、本当に全部の味が分かるんでしょうか」
「みたいだな」
俺はカップの中のスライムたちをじっと見つめた。それぞれの色が微妙に変化し続けている。まるで、味の情報が視覚的に表現されているかのようだ。
「マスター、あの……質問してもいいですか?」
リュミエが恐る恐る青いスライムに近づいた。
「ゴボゴボ……どうぞ……」
「その、味を共有するって、どういう仕組みなんですか?」
「ゴボゴボ……我々……スライム……体……繋がっている……目に……見えない……糸で……」
青いスライムが説明を始めた。
「ゴボゴボ……その……糸……通して……感覚……共有……する……味だけ……じゃなく……温度も……香りも……全部……」
「すごいです……」
リュミエは目を輝かせた。彼女の表情には、純粋な好奇心が溢れている。
――こういう反応ができるようになったんだな。
俺は少し嬉しくなった。最初の頃のリュミエなら、こんな奇妙な客に怯えていただろう。でも、今では興味を持って接している。
「ゴボゴボ……この……店の……飲み物……とても……美味しい……初めて……こんな……味……」
赤いスライムがココアのカップの中で震えた。
「ゴボゴボ……特に……この……甘い……温かい……飲み物……最高……」
「それはココアと言います」
リュミエが優しく説明した。
「ゴボゴボ……ココア……覚えた……また……飲みたい……」
「ぜひ、また来てください」
リュミエは笑顔で答えた。その笑顔は、以前よりもずっと自然で、温かいものだった。
俺はカウンターに戻りながら、心の中で呟いた。
――リュミエも、随分と成長したな。
「すごい……」
「ああ」
俺たちはしばらく、その光景を見守っていた。
***
十五分後。
スライムたちはカップから出て、満足そうにテーブルの上でぷるぷると震えていた。
「ゴボゴボ……満足……美味しかった……」
「良かったです」
俺は微笑んだ。
「ゴボゴボ……また……来る……」
「お待ちしております」
スライムたちは料金を支払い――どこから出したのか分からないが、小銭がテーブルに置かれた――店を後にした。
カラン、カラン、カラン、カラン……
再びベルが何度も鳴り、スライムたちは路地の奥へと消えていった。
「……行きましたね」
リュミエがほっとしたような顔で言った。
「ああ」
俺も安堵のため息をついた。
――さて、と。
俺はテーブルを見た。そこには五つのカップが残っている。
「よし、片付けよう」
俺はカップを持ち上げた。
その瞬間。
「――うわっ」
思わず声を上げた。
カップの内側が、やたらとぬめぬめしている。スライムの体液だろうか。普通の洗剤では落ちそうにない。
「マスター?」
「いや、なんでもない」
俺は苦笑いしながら、カップを厨房に運んだ。
五つのカップを洗い始める。予想通り、ぬめぬめした粘液がなかなか落ちない。スポンジでゴシゴシと擦る。
――こんなに洗い物が大変だとは……。
一つ目のカップを洗い終わるのに、いつもの倍の時間がかかった。
――あと四つ。
二つ目、三つ目……。
――まだ二つある。
四つ目、五つ目……。
「……やっと終わった」
俺は深くため息をついた。両手が洗剤でガサガサになっている。
リュミエが厨房に入ってきた。
「マスター、次のお客様が――あれ?大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ。ちょっと洗い物に時間がかかっただけだ」
「そうですか……」
リュミエは心配そうに俺を見た。
「スライムのお客様、また来るかもしれませんね」
「……そうだな」
俺は遠い目をした。
――また来たら、洗い物が倍増する。
――いや、でもお客様は大切だ。スライムだろうと、人間だろうと。
――でも、洗い物は増える。
――うーん……。
俺は心の中で葛藤した。
「マスター、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」
「いや、なんでもない」
俺は首を振った。
「それより、次のお客様は?」
「ああ、はい。常連のエリナさんが来店されました」
「分かった。すぐ行く」
俺は厨房を出て、店内に向かった。
***
その日の夜、閉店後。
俺はカウンターで一人、コーヒーを飲んでいた。
リュミエは既に部屋に戻り、休んでいる。今日も一日、よく働いてくれた。
――スライムか。
今日の出来事を思い返す。
あの不思議な「味の共有」。五つの飲み物を一度に楽しむという、人間にはできない体験。
――面白い客だったな。
でも、洗い物は本当に大変だった。
俺は手を見た。まだ少しガサガサしている。
――次に来た時は、どうするか……。
いや、来たら来たで、ちゃんと対応しよう。それが店主の務めだ。
――でも、洗い物は増える。
――まあ、仕方ない。
俺は苦笑いしながら、コーヒーを一口飲んだ。
窓の外を見ると、夜の街が静かに広がっている。扉の向こう側は、今夜はどこに繋がっているのだろう。
――この店には、色々な客が来る。
エルフ、人間、魔族、吟遊詩人……そして、スライム。
みんな、この店で何かを求めている。温かい飲み物、会話、安らぎ。
――俺はそれを提供するだけだ。
洗い物が増えようと、手間がかかろうと、それが俺の仕事だ。
「よし、明日も頑張ろう」
俺は立ち上がり、カップを洗った。今度は普通のカップだから、すぐに終わる。
――やっぱり普通のカップが一番だな。
そう思いながら、俺は店の電気を消した。
明日もまた、新しい客がやってくるだろう。
それがどんな客であれ、俺は変わらず接客を続ける。
――それが、この店の役割だから。
翌日の昼過ぎ。
店内は穏やかな空気に包まれていた。常連の商人ギルドのおじさん――グレンが紅茶を飲みながら、新聞を読んでいる。
リュミエはカウンターで、ハーブティーの調合を練習していた。だいぶ手際が良くなってきた。
「マスター、この配合で合っていますか?」
「ああ、完璧だ」
俺は頷いた。リュミエの顔に、小さな笑顔が浮かぶ。
その時、扉のベルが鳴った。
カラン、カラン、カラン、カラン……
――また、あの鳴り方。
俺は嫌な予感がした。
案の定、扉から入ってきたのは、昨日と同じ五つのスライムだった。
「ゴボゴボ……また……来た……」
――やっぱり来た。
俺は深くため息をついた。
「いらっしゃいませ」
プロとして、笑顔で迎える。
「ゴボゴボ……今日は……違う……飲み物……試したい……」
――洗い物が増える……。
心の中で愚痴りながらも、俺は丁寧に対応した。
リュミエが小声で言った。
「マスター、頑張ってください」
「……ありがとう」
俺は苦笑いを浮かべた。
グレンがニヤニヤしながら言った。
「マスター、面白いお客さんだね」
「……ええ、まあ」
俺は目を逸らした。
――この店には、本当に色々な客が来る。
それが、この店の魅力でもあり、大変なところでもある。
でも、それでいいのだ。
俺はメニューを手に、スライムたちのテーブルへ向かった。
スライムたちの「味の共有」という不思議な飲み方は、マスターにとって新鮮な驚きでした。五つの飲み物を一度に楽しむという、人間にはできない体験。しかし、その代償として洗い物は倍増し、マスターの心の声には愚痴が溢れます。
それでも、マスターは変わらず丁寧に接客を続けます。それが店主としての務めであり、この店の役割だからです。リュミエも少しずつウェイトレスとして成長し、二人でこの不思議な店を支えています。
新しくウェイトレスとして働き始めたリュミエは、スライムという奇妙な客にも動じることなく、マスターをサポートしました。彼女の成長は、この店にとっても大きな力となっています。
異世界と現代を繋ぐこの喫茶店には、今日もまた新しい客がやってくることでしょう。
次回予告:ドワーフの鍛冶師が店を訪れる。彼はコーヒーを「黒ビールの親戚」と勘違いし、大ジョッキを要求する。香ばしい豆の香りに感動した彼は、自作のマグカップを置き土産にしていく――




