眠れぬ賢者と深夜のカフェオレ
異世界と現代日本を繋ぐ不思議な扉を持つ喫茶店。閉店間際、いつもなら客が来ない時間。その時、扉が勝手に開き、一人の老賢者が現れます。彼が抱える悩みは「不眠の呪い」。刺激物を避けたいという賢者に、この店は何を提供できるのでしょうか――
――今日も平和な一日だった。
私はカウンターの奥で、いつものようにポットを洗いながら店内を見回す。午後十時を過ぎ、店はすでに閉店の準備をしている。窓の外を見ると、街の灯りが遠くで輝いている。店内には静かな空気が漂い、ジャズのBGMももう止まっている。
――まあ、この時間になると、客はほとんど来ないな。常連客たちも帰っていき、エリナは既に引き上げた。
リュミエは、まだ片付けの作業をしている。今日も一生懸命に働いてくれた。エリナも、ハーブティーの調合についてリュミエに色々と教えてくれた。二人の成長が、毎日のように見られるのは嬉しいことだ。
――今日は特に大きな出来事もなかったな。午後には商人ギルドのおじさんが来て、紅茶を飲みながら世間話に花を咲かせていた。近衛兵の青年も、いつものようにケーキを真剣な顔で食べていた。
――そろそろ、閉店の準備を完了して帰ろうかな。
私はカウンターを拭き、椅子を片付け始めた。明日のために、店内をきれいにしておきたい。
――この時間に客が来ることは、めったにない。扉の向こう側も、今夜は特に繋がっていないようだ。
その時、突然扉が開いた。
ガラガラガラ――
――おや?誰か来たのか。こんな時間に。
振り返ると、そこには深い紫色のローブをまとった老人が立っていた。長い白髭を蓄え、頭には月桂樹の葉で編まれた冠を被っている。その手には、古びた杖を持っている。年齢は七十を超えているだろうか。しかし、その瞳には深い知恵が宿っているように見えた。
――賢者か、それとも魔法使いか。いずれにせよ、かなり高齢の方だな。
「ここが、噂の喫茶店か」
老人の声は、低く、どこか疲れを帯びていた。その目には、深い疲労の色が浮かんでいる。
「いらっしゃいませ」
私は自然に挨拶を返した。どんな客が来ても、変わらず接客する。それがこの店の役割だ。たとえ閉店間際であっても、扉が開いている限り、この店は営業している。
「お客様、お好きな席へどうぞ。ただし、こちらは閉店間際ですが……」
「閉店間際か。すまないな。だが、どうか少しの時間、お願いしたいのだ」
老人は深く頭を下げた。その動作は、非常に丁寧で、礼儀正しい。
「構いません。どうぞ、お座りください」
老人は、窓際の席に座った。椅子に深く腰を下ろすと、肩を落として大きく息を吐いた。
「疲れているようですね」
「ああ、長い旅の末、ようやくここまで来ることができたのだ」
――長い旅?どこから来たのだろう。
「お客様、どちらから?」
「遠い北の魔法学院からだ。ここまで来るのに、三日もかかった」
――北の魔法学院?かなり遠い場所なのかもしれないな。
「そうですか。では、何かお飲み物はいかがでしょうか?コーヒーや紅茶、ハーブティーなど、色々とございます」
「飲み物か」
老人は少し考え込んだ。
「実は、私には不眠の呪いがかかっているのだ。もう百年以上、眠ることができていない」
――不眠の呪い?百年以上も眠れていない?
「百年以上も?」
「ああ。ある日、研究の過程で誤って呪いを掛けてしまい、それ以来、一度も眠ることができなくなった。いくら魔法で解こうとしても、解けない。薬も試したが、効果がない」
――不眠の呪いか。それは、本当に大変なことだな。
「だから、私は刺激物を避けなければならない。カフェインが含まれている飲み物は、避けたいのだ」
――カフェインを避けたい?では、コーヒーや紅茶は出せないな。
「かしこまりました。では、カフェインを含まない飲み物をお出しします。ハーブティーや、カフェオレなら、ミルクを多めにしてカフェインを薄めることもできますが……」
「カフェオレ?それは、どんな飲み物だ?」
「コーヒーにミルクをたっぷり入れた飲み物です。甘くて、優しい味がします。カフェインの量も、通常のコーヒーよりも少なくできます」
「優しい味……それは、私の今の心境にぴったりかもしれないな」
――優しい味がいいと言っている。では、カフェオレをミルク多めで作ってみよう。
「では、リュミエに、優しいカフェオレを作ってもらいましょう。砂糖も入れますか?」
「砂糖……甘いものか。久しぶりに、甘いものを口にしてみたい気もするな」
「かしこまりました」
その時、リュミエが作業を終えて、カウンターに戻ってきた。
「マスター、お客様が来られたんですね」
「ああ、リュミエ。ちょうど良かった。カフェオレを作ってくれないか」
「カフェオレですか?分かりました。ミルクを多めに、優しい味にしますね」
リュミエは、すぐにエスプレッソマシンに向かった。その手つきは、以前よりもずっと滑らかで確実になっていた。
――リュミエが作ってくれるなら、安心だな。
「お客様は、カフェインを控えめにしたいとのことなので、エスプレッソは少なめにしてくれ」
「はい、分かりました」
リュミエは、丁寧にエスプレッソを抽出した。通常よりも、少しだけ少なめにした。カフェインを控えめにするためだ。
――リュミエも、接客に慣れてきたな。お客様の要望をしっかりと理解している。
ミルクを温め、泡立てる。リュミエの手が、丁寧にミルクをカップに注いだ。たっぷりのミルクを注ぎ、その上にエスプレッソをゆっくりと流し込む。
――これで、優しいカフェオレができた。リュミエの手で作られたカフェオレは、きっと優しい味になるだろう。
「マスター、できました」
「ありがとう、リュミエ。では、お客様にお出ししよう」
リュミエは、カップをトレイに載せた。私はそれを手に取り、老人の席へと向かった。
「お待たせしました。カフェオレです。この店のウェイトレス、リュミエが、ミルクを多めにして、優しい味に作りました」
「ありがとう」
老人はカップを手に取った。その手は、年齢のせいか少し震えている。
「温かい……」
「はい、温かくしてお出ししました。冷たい飲み物は、体に負担をかけるかもしれませんから」
「気が利く店だな」
老人はカップを口元に運んだ。一口、静かに飲んだ。
その瞬間、老人の表情が変わった。
「……これは」
「いかがでしょうか?」
「これは、優しい味だ。ミルクの甘さと、コーヒーの香りが調和している。まるで、優しい手で包まれているような気がする」
――優しい手で包まれているような気がする?カフェオレは確かに優しい飲み物だけど。
「それは、良かったです」
「いえ、良かっただけではない。この味は、私の心を和ませてくれる。まるで、長い間求めていたものに出会えたような気がするのだ」
――求めていたものに出会えた?カフェオレは、それほどまでに老人の心を動かしたのか。
「砂糖を入れてみますか?さらに甘くなりますよ」
「ああ、お願いしたい」
私は砂糖を添えた小皿を置いた。老人は、小さなスプーンですくい、カフェオレに入れた。
「これで、さらに甘くなるはずです」
老人は、もう一度カップを口元に運んだ。
「……甘い。優しくて、甘い。これは、本当に美味しい」
――甘いカフェオレを、美味しいと言ってくれている。良かった。
「不眠の呪いがあっても、この飲み物を飲むと、少しだけ心が安らぐような気がするのだ」
「心が安らぐ?」
「ああ。長い間、眠ることができず、心も体も疲れ切っていた。しかし、この飲み物を飲むと、まるで夢の中にいるような、穏やかな気分になるのだ」
――夢の中にいるような気分?不眠の呪いがかかっているのに、夢の中のような気分になるのか。
「それは、良かったです」
「いえ、良かっただけではない。この飲み物を飲むと、百年以上続いてきた不眠の苦しみが、ほんの少しだけ軽くなるような気がするのだ」
老人は、ゆっくりとカフェオレを飲み続けた。
「マスター、あなたの店は、本当に不思議な場所だな」
「不思議な場所?」
「ああ。この店に来ると、心が和む。まるで、魔法がかかっているかのように」
――魔法がかかっている?まあ、確かにこの店は不思議な場所だけど。
「この店には、色々な客が来ます。それぞれの好みや事情に合わせて、できる限り対応するのが、この店の役割です」
「役割か。それは、素晴らしいことだ。この店には、客を癒す力があるのかもしれないな」
――客を癒す力?まあ、確かに温かい飲み物には、癒しの力があるかもしれない。
老人は、ゆっくりとカフェオレを飲み干した。
「マスター、もう一杯いただけないか?」
「かしこまりました。リュミエ、もう一杯お願いします」
「はい、分かりました」
リュミエは、再びエスプレッソマシンに向かった。同じように、優しく丁寧にカフェオレを作った。
「お待たせしました。こちらも、ミルクをたっぷり入れて、優しい味にしました」
「ありがとう」
老人は、二杯目のカフェオレも、ゆっくりと味わった。
「この店に来て、本当に良かった。長い旅の疲れも、少しだけ癒されたような気がするのだ」
「それは、光栄です」
「いえ、こちらこそ。この店で過ごせた時間は、私にとって貴重なものとなった」
老人は、カップを置いた。
「マスター、一つお願いがあるのだが」
「はい、何でしょうか?」
「実は、私は今、非常に疲れている。百年以上眠ることができず、心も体も限界に近い。もし、この店で少しの間、目を閉じることが許されるなら……」
――目を閉じる?眠りたいということか。でも、不眠の呪いがかかっているから、眠れないはずだが。
「構いません。どうぞ、ゆっくりしていてください」
「ありがとう」
老人は、椅子に深く腰を下ろした。そして、目を閉じた。
――目を閉じた。でも、不眠の呪いがかかっているから、眠れないはずだが。
私は静かに店内を見回した。老人は、椅子に座ったまま、静かに目を閉じている。その表情には、深い安らぎが浮かんでいるように見えた。
――まるで、本当に眠っているように見える。でも、不眠の呪いがかかっているから、眠れないはずだが。
しばらく時間が経った。
店内には静かな空気が漂い、老人は動かない。まるで、本当に眠りについているかのようだった。
――もしかして、本当に眠っているのかもしれない。不眠の呪いが、この店で解けたのか?
私は静かに老人の様子を見守っていた。老人の胸が、ゆっくりと上下に動いている。まるで、深い眠りについているかのようだった。
――本当に眠っているのかもしれない。不眠の呪いが、この店で解けたのか?
その時、突然老人の体から、ほのかな光が放たれた。
――光?何が起きたんだ?
光は、しばらくの間老人を包み込み、やがて消えていった。そして、老人の表情は、さらに安らかなものになった。
――本当に、不眠の呪いが解けたのかもしれない。
私は静かに見守っていた。時間はゆっくりと過ぎていった。
やがて、夜が更け、窓の外には月が昇っていた。
老人は、そのまま眠り続けていた。まるで、百年以上の眠れなかった時間を取り戻すかのように、深く、静かに眠っていた。
――このまま、見守っていよう。老人が、これまでどれだけ苦しんできたか、想像がつく。
私はカウンターに戻り、静かにポットを温めた。そして、コーヒーを淹れて、一人で飲んだ。
――今日は、本当に不思議な夜だったな。
老人との出会い、不眠の呪い、カフェオレ、そして今の深い眠り。いろいろなことがあったが、結果的には良い夜になったかもしれない。
――老人が、本当に眠ることができているなら、それだけで十分だ。
夜が更け、時間は午前零時を過ぎた。
私は、老人が目を覚ますのを待っていた。しかし、老人はそのまま眠り続けていた。
――もう、かなり長い時間眠っているな。本当に、不眠の呪いが解けたのかもしれない。
やがて、朝が近づいてきた。
窓の外には、薄明かりが差し込み始めていた。
――もうすぐ朝だ。老人が目を覚ますかもしれない。
しかし、老人はそのまま眠り続けていた。
私は、そっと老人に近づいた。
「お客様、もうすぐ朝です。お目を覚ましになりませんか?」
老人は、動かなかった。
――まだ眠っているのか。それとも、何か起きたのか?
私は、もう一度声をかけた。
「お客様?」
しかし、老人は答えなかった。
――おかしいな。もしかして、本当に深く眠りについているのかもしれない。
私は、老人の様子を確認した。老人の胸は、ゆっくりと上下に動いている。生きていることは確かだ。
――生きている。ただ、深く眠っているだけなのかもしれない。
私は、もう少し見守ることにした。
やがて、朝の光が店内に差し込み始めた。
その時、私は気づいた。
――あれ?老人の姿が、薄くなっているような気がする。
窓の外からの光が、老人の体を透かして見せている。
――これは、幻影か?
私は、もう一度老人の席を確認した。
そこには、確かに老人が座っていた。しかし、その姿は、まるで霧のように淡くなっていた。
――何が起きているんだ?
その時、老人の目が、ゆっくりと開いた。
「……マスター」
「お客様、目を覚まされたのですか?」
「ああ、本当に眠ることができた。百年以上、眠ることができなかったのに、この店で眠ることができたのだ」
――本当に眠ることができた?不眠の呪いが、本当に解けたのか?
「それは、本当ですか?」
「ああ、本当だ。この店の力なのか、それともカフェオレの力なのか、分からないが、とにかく眠ることができたのだ」
老人の表情には、深い感謝の色が浮かんでいた。
「マスター、本当にありがとう。この店で過ごせた時間は、私にとって最高の贈り物となった」
「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」
「いえ、こちらこそ。そして、もう一つお願いがあるのだが」
「はい、何でしょうか?」
「実は、私はもう長くはない。不眠の呪いが解けた今、もう一度眠りたいのだ。最後の眠りに、つきたいのだ」
――最後の眠り?
「この店で、もう一度深く眠らせてもらえないだろうか?」
「構いません。どうぞ、ゆっくりしていてください」
「ありがとう」
老人は、再び目を閉じた。
そして、その体は、さらに淡くなっていった。
――まるで、消えていくように。
やがて、老人の姿は完全に消えていった。
そこに残っていたのは、古びた杖だけだった。
――杖だけが残っている。老人は、本当に消えてしまったのか。
私は、杖を手に取った。その杖には、小さな文字が刻まれている。
「この店で、百年の眠りから目覚めることができた。感謝を込めて、この杖を置いていく。これは、眠れた証だ」
――眠れた証か。老人は、本当に眠ることができて、満足して去っていったのだろう。
私は杖を、カウンターの上に置いた。
――今日は、本当に不思議な夜だったな。
老人との出会い、不眠の呪い、カフェオレ、そして深い眠り。老人が、本当に眠ることができたなら、それだけで十分だ。
***
その日の午後、いつものように店を開けた。
常連客たちが、それぞれの好みの飲み物を注文する。リュミエはハーブティーの調合を練習し、エリナは優しくアドバイスをしている。
――今日も、平和な一日だ。
カウンターの上には、老人が残していった杖が置かれている。その杖を見るたびに、あの夜の出来事を思い出す。
――リュミエが作ったカフェオレで、老人が眠ることができた。リュミエの優しい手で作られたカフェオレが、老人の心を和ませたのだろう。
――老人は、本当に眠ることができたのだろうか。不眠の呪いが解けて、満足して去っていったのだろうか。
――この店には、色々な客が来る。それぞれの好みや事情に合わせて、できる限り対応する。それが、この店の役割だ。
――老人のように、不眠の呪いを抱えている客もいる。そんな客にも、少しでも癒しを提供できるなら、それだけで十分だ。
私はポットを温めながら、次の客を待った。
今日もまた、この店で小さな物語が生まれている。
――今日も平和な一日だ。
閉店間際に訪れた老賢者との出会いを通じて、この店の不思議な力がさらに示されました。百年以上も眠ることができなかった賢者が、この店でカフェオレを飲み、ついに深い眠りにつくことができたという出来事は、この店が持つ癒しの力の一端を示しているかもしれません。
リュミエが優しく丁寧に作ったカフェオレが、賢者の心を和ませ、不眠の呪いを解くきっかけとなったのでした。リュミエの成長と優しさが、この物語の重要な役割を果たしています。賢者が残していった杖は、この店にとって特別な置き土産となりました。
この店では、どんな客が来ても、どんな悩みを抱えていても、できる限り対応します。それが、この店の役割であり、魅力でもあります。不眠の呪いを抱えた賢者のように、この店で癒しを見つけることができる人々がいることは、この店を続けていく上での大きな励みになります。
次回は、花の精霊と季節外れのブレンドティー。異世界側が満開の花畑と繋がり、花の精霊がふわりと入店する。お楽しみに。




