3.薄暗い地下牢
馬車に乗せられ連れて来られたのは、地上の光が一切届かない地下牢だった。
石造りの壁には苔がこびりつき、どこかで水がぽたぽたと落ちる音だけが、永遠のような沈黙の中に響いていた。
空気は重く、濁っていた。湿り気を帯びた腐臭と、人間の排泄物の臭い、そして乾ききった血の鉄の匂いが混じり合い、吐き気を催す。
薄暗がりのなか、ぼんやりと灯るのは、鉄の燭台に据えられた煤けた蝋燭だけ。
その光に照らされる空間に、幾つもの檻が並んでいた。鉄格子で仕切られた無数の区画。中にいるのは年端もいかない子どもばかり。歳の近い者、もっと幼い者、まだ言葉も覚えぬような赤子すらいた。
皆、黙っていた。泣き声も、怒声もなかった。
泣くことをやめた子どもたち。叫ぶことを諦めた子どもたち。
その目だけは、生きていることを訴えているようだった。血は濁って、心は乾き、恐怖と諦念だけを湛えたまま。
テトもまた、そこに入れられた。
鉄の首輪をはめられ、足には錆びた鎖。動ける範囲は、わずか数歩。もちろん走ることなど出来はしない。
床には薄汚れた藁が敷かれ、上には毛布の代わりにもならないボロ切れが投げ出されていた。
食事は、日に一度。
乾ききった、もはやパンと呼べるかも怪しい塊がひとつ。
水は、バケツの底に溜まった泥水。誰が手を入れたかもわからない、水と呼ぶのも烏滸がましい濁った液体だった。
口にすると胃がきしみ、腹が痙攣する。それでも、飲まなければ死ぬ。だから、渋々飲む。
言葉を発することは許されなかった。
うかつに目を合わせても、寝息を漏らしても、罵声と共に鞭が飛んでくる。
「大人しくしろ、クズが」
「売り物のくせに、汚らしい目をしやがって」
怒鳴る声。踏み鳴らされる足音。鉄の鍵が錠前を回す音。
それらすべてが、地下牢の中で生きる子どもたちにとって、死よりも恐ろしい合図だった。
テトは、何度も殴られた。
無理やり声を押し殺したつもりでも、目が気に入らない、姿勢が気に入らない。
理由など関係なかった。
ただ、力を持つ者が気まぐれに、憂さ晴らしに、暴虐を振るう。そのたびに、テトの体には青い痣が全身を包んでいった。
蹴られたときは、あばらが軋む音がした。
殴られた顔は数日間腫れ上がり瞼が開かない日も何度もあった。
そんな時は、いつも口の中が鉄の味で満たされた。
泣いた。喚いた。けれど、誰も助けてはくれなかった。むしろ、もっと酷くなった。
瞼を閉じると、焼け落ちる家の影と、血まみれで倒れた両親の姿が浮かんだ。
母の温もりがまだ指先に残っていて、それが余計に苦しかった。
助けて、と何度も心の中で叫んだ。けれど、助けは来ない。来るのは鞭と怒声だけ。
それでも、泣いていた。希望があると思っていた。
その希望が、完全に砕かれたのは、あの日だった。
同じ村から連れて来られた顔見知りの少年が、鞭打ちの罰を受けた。
理由は、水を一口多く飲んだこと。
一打、また一打と鞭が振るわれ、少年の背がぱっくりと裂け、赤い線が走る。
悲鳴もあった。血も流れた。だが、奴らは止めなかった。
その少年は、五発目の鞭のあと、叫ぶのを止め、動かなくなった。
誰も騒がなかった。誰も泣かなかった。
ただ、次の日にはその子の遺体がどこかへ運ばれていっただけだった。
布一枚でくるまれ、黙って片付けられる。まるで、それが日常であるかのように。
テトは、その時から、泣くのをやめた。
泣いても、叫んでも、何も変わらない。誰も来ない。
心の奥に、冷たい石のような何かが落ちてきて、水は跳ね返らず、すとんと沈んでいった。
「泣いても無駄だ」
そう、心に刻みつけた。
痛みも、飢えも、絶望も、
自分がまだ生きているという事実も、
すべて、ただの状態になっていく。
目を閉じ、声を殺し、息を潜めて。
生きるために、すべてを飲み込むしかなかった。
自分が商品だと認識することに、痛みを覚えなくなった。
だが、心のどこかに、小さな灯が残っていた。
それは憎しみだった。奴らへの。世界への。
そして、あの夜の、自分自身への。