2.夢の終わり
村外れの森の奥、そこは昼でも薄暗い常闇の場所だった。
月明かりの届かぬ黒い木々が、まるで何かを隠すように不気味な静けさを湛えていた。
その木々の陰に、いくつもの影が蠢いていた。
吐息さえ鳴らぬほどに沈黙し、血のような鉄と獣のような臭いを纏ったそれらの影は、ただの旅人ではなかった。
一団の男たちは、黒ずんだ鎖帷子を身に纏い、口元を布で覆っていた。
手には曲がった刃物や鉄の棍棒を携え、背には麻袋と縄、そして火種を忍ばせている。
そのすべてが、目的のためだけに最小限に整えられた「仕事道具」だった。
彼らは、言葉を交わさない。
誰が命令するでもなく、誰が道を示すでもなく、それぞれが迷いのない足取りで、静かに獣道を踏みしめる。
荷馬車の車輪は泥に沈み、きしみもなく村へと近づいていく。
一人が木の陰で立ち止まり、村を見下ろした。小さな灯りがちらつき、家々の屋根が月に鈍く反射している。
その男は、布越しに口元を歪め、喉の奥でくぐもった笑い声を転がした。
そして、目配せひとつ。それで十分だった。
一団は散開した。森の闇に溶けるように姿を消し、それぞれの標的に向かって進んでいく。
今夜に限って、村を守るはずの老兵は酒に溺れ、薪棚に寄りかかったまま眠っていた。
犬も吠えない。不思議なほどに静かな夜。
月は雲に隠れ、風すらも息を潜めていた。
眠る村は、無垢で無防備だった。まるで、眠りの中で微笑む幼子のように。
やがて、男たちは家々の戸口に忍び寄り、扉の隙間に火を滑り込ませた。
藁と油の香りが混ざると、すぐに紅蓮が上がる。
そして、火が煙となり、煙が悲鳴を引き出す前に、扉は蹴り破られる。
中から逃げ出してきた男たち、怯えて立ち尽くす女たち。誰一人として、彼らの刃から逃れることはできなかった。
子供以外は、全て処理されていく。
それが、この夜の”運命”だった。
誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが命乞いをした。
だが神は沈黙していた。火と刃だけが、この夜の支配者だった。
テトの家にも、同じ炎が襲いかかった。
壁が破られ、天井が軋む音と共に、父は剣で胸を貫かれた。呻き声ひとつ漏らさず、ただ、テトの前に崩れ落ちた。
母は、叫ぶ間もなく喉を裂かれた。
悲鳴も涙も残せぬまま、見開いた瞳がそのまま、動かなくなった。
家は一瞬にして紅蓮に包まれた。
柱が燃え、梁が落ち、破裂音と共に夜空には無数の赤い火の粉。まるで赤い蝶の群れのように、くるくると舞い上がった。
村の他の家も、同じように燃え、同じように崩れ、同じように命が散っていった。
耳を裂くような悲鳴。
鉄錆と焦げの混ざった臭いが鼻を灼き、熱風が肌を焼く。
すべてが現実とは思えず、悪夢の中に投げ込まれたようだった。
それでも、手は確かだった。
つい先ほどまで一緒に毛布に入っていた母の手の温もりが、まだ指先に残っている。
その温もりを、テトは振り払うことすらできず、ただ立ち尽くしていた。
その小さな背に、突如として荒々しい手が伸びた。
肩を掴まれ、体ごと引きずられるように抱え上げられ、袋のように担がれる。
目隠しがされ、縄で縛られ、力なく馬車の荷台へと放り込まれた。
薪のように乱雑に。物のように。
馬車が動き出す。
揺れが続き、胃が上下にかき乱される。吐き気が込み上げても、声は出なかった。
涙も出なかった。恐怖も痛みも、ただ遠く、ぼんやりとした霧の中にあった。
それが、人攫いに連れ去られた夜。
平和が崩れ去った、夢の終わり。
そして同時に、全ての始まりだった。