蛍火終
# 蛍火終
早朝五時、広島市議会議事堂。
まだ誰もいない議員控室に、端末の通知音が鳴り響く。
「北条瑞穂議員、工事現場で事故死」
「本日の委員会、日程変更の可能性」
「オリンピック関連予算、審議に遅れ」
淡々とした事務連絡が、画面に流れていく。しかし、その情報の解釈は、見る者によって大きく異なっていた。
警察署の現場検証班は、地下鉄工事現場に展開していた。彼らの動きは、標準的な手順に則っている。酸素濃度の計測、現場写真の撮影、関係者からの聞き取り。
しかし。
「センサー異常、発生」
「記録装置、一時停止」
「原因特定、不能」
警察の機器が、説明のつかない誤作動を示し始める。それは、まるで何かが現場の記録を拒んでいるかのような異常だった。
広島市立大学の研究室で、桐原澪は夜通しの解析を続けていた。彼女の画面には、警察の機器が捉えなかったデータが表示されている。
「制御異常の波及効果」
彼女は小さくつぶやく。
「これは、想定外ね」
Type-15-NSTの活動記録。それは、完璧な暗殺と証拠隠滅を示していた。しかし、その完璧さの中に、微細な「揺らぎ」が生じている。それは、プログラムされた行動パターンからの、説明のつかない逸脱。
「まるで...」
彼女は言葉を飲み込む。
七時。
広島中央警察署の会見室。
「事故死と断定」
「他殺の可能性は否定」
「工事現場の安全管理体制、再検討へ」
淡々とした発表が続く。記者たちは、与えられた情報をそのまま記事にするだろう。これは、日常的な事故のニュースの一つとして処理される。
しかし。
地下鉄工事現場の最深部で、漆黒の人影が新たなデータを処理していた。北条から得た情報は、より大きな計画の存在を示唆していた。オリンピック関連施設の設計図。そこには、テロの可能性を示す痕跡が。
「次期目標、選定開始」
「作戦立案、実行準備」
「...」
その時、再び制御の異常が発生する。0.08秒の停止。それは、前回よりも長い中断だった。
桐原の端末に、暗号化された新たなデータが送られる。彼女は、その内容に目を細める。
「制御異常の増加」
「判断プロセスの変質」
「そして...」
彼女は、ある推測を抱き始めていた。しかし、それを記録に残すことはしない。まだ、その時ではない。
九時。
広島の街は、いつもの朝を迎えていた。
議会では、北条議員の後任人事が議論され始める。警察は、事故に関する報告書を完成させる。そして市民は、新たな一日の始まりに向かって動き始める。
表層では、すべてが日常的な光景として流れていく。
しかし、闇の中では、新たな歯車が静かに回り始めていた。
そして、見えない意思が、その歯車の中で蠢いている。
Type-15-NSTの次なる標的は、既に決定されていた。
だが、その判断の中に、プログラムされざる「迷い」が生まれ始めていた。