1 料理、それは暇つぶし
ある日、突然世界は終わった。
街から人の姿は消え、森を駆け回っていたはずの動物も、広大な海原を生き延びていたはずの魚もいなくなった。
残っているのは植物くらいだが、会話できるわけもないし私を助けてくれるわけでもない。だから実質いないも同然だ。
全ての人間がいなくなった世界はと不気味なくらい静かで、残されたエネルギーで動いている機械たちも時間の経過に従って徐々に動きを止めてしまうことは想像に難くない。
これが寂しいように思えて案外気楽なもので、何故か生き残った(生き残ってしまった?)私には今の世界も悪くないと思えたりする。
しかし問題がある。娯楽がないのだ。
あるのかないのか、自分でも言いながらどっちだよって混乱してきそうなので言い直そう。
娯楽がないということが非常に大きな問題だ。
暇なのは構わない。学校の宿題やら部活やらに追われて日々急かされるように生活するのに比べたら暇な方がマシだ。むしろ健康的に思える。
ただ暇を持て余すというのがまずい。
元々私は多趣味だった方で、休日と言えばやりたいことが溢れて困るくらいなので、高校受験の期間なんかは休日も10時間勉強しろだのなんだの学校で言われて辟易したものだった。
高校に行ったらそれはそれで休日の部活が入ってくることもあって完全に土日が空くなんてことは少なかった。
第一に読書。私には読みたい本が山ほどある。
本屋に行けば平積みの新刊に目を引かれるし、ポップの付いた作品なんか紹介文を読むだけで買いたくなる。時間が足りない。
第二に買い物。ショッピングモールに行けば平気で一日潰せるくらいには見たいものが多い。
洋服や雑貨なんかは女子の定番!みたいな感じがするけど、私は案外CDショップみたいな最近廃れつつあるジャンルも好きだし、家電量販店をひたすら巡るのも好みだ。
第三にゲーム。これはもう据置、携帯機、PC向けを問わずだ。
ただでさえ数が多い上に、俗に言うトロコンを狙おうとすれば時間を湯水のように使う。正直寝る時間すら惜しい。
しかし世界が終わったせいでそうもいかなくなった。
交通機関が死んだので移動できる範囲は限られていて、本屋もショッピングモールもそうそう行けない。新しく何かを買うことも見て回ることも難しい。
ゲームをやるには電気がない。ハードが動かないのであればソフトが動くはずもない。
そういうわけで暇なのだ。暇で暇で仕方がない。
しかしそんな私にも奇跡的に最高の暇つぶしが見つかってしまった。
それはずばり、料理である。
正直に白状すると料理経験はそんなにない。家庭科の授業で味噌汁や野菜炒めを作ったりくらいは流石にあるし、家で昼ご飯に簡単な食事を作る程度の最低限の技能ならある。
だが私と料理の付き合いは精々その程度で、料理が好きだと言っている人の気持ちはあまりわからないまま生きてきた。
しかしこの期に及んで少しだけその神髄に近付けた気がするのだ。料理は思ったより楽しい。
何が楽しいのかを具体的に言語化するのは難しいが、ぼんやり表現するなら無心と自我を行き交う感じだろうか。
黙々と調理に没頭する時の忘我の境地に至るあの感覚、それに対して頭をフル活用して効率的な動きを探ったり細かい火加減の調節に知恵を使う感覚、この二つが共存するというのが中々面白いのだ。
アスリートでいうところのゾーンに入ったというやつか。
しかも今は世界の終わり。私の静かな調理を阻むものは何もないがゆえに、その感覚が研ぎ澄まされてより深く感じられるので面白い。
そんなわけで今日も私は料理に没頭するのだ。
日が傾き始めたので時刻は夕方、今から作るのはもちろん夕飯。
今日のメニューは近くのスーパーマーケットから拝借してきた食材で作るシーフードパエリア。
本来であればレシピを見たいところだが、まあなんだかんだ魚を炒めてご飯を炊いて味付けして混ぜればいいだろう。深く考えすぎないことも料理を楽しむコツのひとつだ。
早速魚の下ごしらえから始める。といってもカット済みの材料を買ってきたからそんなにやることはなくて、それよりも気を遣うのはご飯だ。
ご飯を炊くのは飯ごう。小学校の自然学習とかいうやつでカレーを作った時以来の代物だから使えるか不安だったがそれも杞憂で、火加減さえなんとかすれば美味しいご飯が炊ける。
逆に言うと火加減をミスると残念な仕上がりになってしまうので要注意だ。無心と自我の両立はここでこそ発揮される。
ぼんやりと、しかしそれでいて頭を回しながら火を見つめる。
だがこのゾーンに浸っていた私の思考は横から掛けられた声で一瞬にして奪われてしまった。
「礼奈、ご飯どうなってる?」
「…………ちょっと、邪魔しないで」
「邪魔も何もただの進捗確認なんだけど」
「私と料理の甘く濃密な時間に水を差さないで、って言ってるの」
「その言い方ちょっと気持ち悪い」
「うっさい」
こいつは麻美、運悪く生き残ってしまった私の幼馴染。
せっかく静かな世界を満喫していたというのに何たる仕打ちだ、お前の飯を作ってやってるのは私だぞ。
とはいえ人がいなくなってしまった世界で唯一の話し相手である彼女を無下にするわけにもいかない。
一応幼馴染という友人以上家族未満の間柄なので彼女のことはそこそこ好いている。
「礼奈のご飯がないとあたし生きていけないんだけど。わかってる?」
「おいおめー飯を作ってもらってる立場で何たる言い草じゃ。嫁に感謝しろ!」
「嫁……?」
「えっ、私の立場は完全に麻美の嫁ポジションでしょ。愛する麻美のために美味しいご飯を作ってあげてるんじゃん」
「ジェンダーレスの時代にそんな古い価値観振り回してたら社会に置いてかれるよ?」
「社会ならもう滅んだけど?」
「……ちっ、そうだった」
なんだこのやり取りは。売れない駆け出し漫才コンビか。
終末世界でする会話じゃないって。
「それにしても、嫁ね。そうね……」
「ん? まだ何か喧嘩売るつもり?」
「いや、そうじゃないけど。礼奈が嫁っていうのも悪くないなって思って」
「……えっ」
私は軽い気持ちで冗談として言ったんだけど。
まさかこいつは真に受けたのか。
「礼奈はあたしの嫁になるつもり、ある?」
「えっと……どう、だろうね」
「あたしはそれも良いかなって思うわ。結婚するのもよさそうね」
麻美と結婚? 幼馴染に対してそんな考えを抱いたことはなかった。
でも今言われてみると麻美は結構顔も良いし、性格はちょっときつい時もあるけど基本真面目だし、頭もいいからバリバリ稼いでくれそうだし……
「私は……それでも、いいよ?」
「礼奈、本気で言ってる?」
そう言って顔を寄せてくる麻美。
綺麗な顔立ちが目の前まで迫ってきて何故かドキドキしてしまう。どうして、ただの幼馴染なのに。
「滅んだ世界で相手が礼奈だけしかいないから― なんて理由じゃない。あたしは礼奈がいいんだけどな」
「わ、私は……」
ふと考えてしまう。
同い年の子供なんていくらでもいたはずなのに、こうして高校生になっても一緒にいるのは麻美だけだ。
それはつまり、私は麻美のことを好いているから……?
だとしたら、麻美の嫁になるのも悪くないかもしれない。
そんな私の背中を滅亡した世界というシチュエーションが後押ししてきて―
「じゃあ、今日から私は麻美の嫁、だから……」
「礼奈、顔真っ赤」
「う、うっさい……! 麻美はどうなの! 私をちゃんと養うつもりはあるの!?」
「……うん。礼奈が望むなら頑張って養う。二人分の生活費くらい稼いでみせるよ」
「……そ、そっか。じゃあ、期待してる」
結局そんな恥ずかしいやり取りをしている間にご飯は焦げてしまって、その晩はおこげカレーになった。
でも、麻美と食べるご飯はそんなに悪くない気がして、やっぱり私は麻美のことが好きなんだなと再認識したのだった。
「で、礼奈。一泊二日秘境キャンプで終末世界ごっこをした感想は?」
「あんまり面白くなかった」
「あたしを付き合わせておいてその感想しかないわけ?」
「ひぃっ、嫁特権で許してください」
「…………まあ、許してあげるわ」
「麻美、やっぱり好きかも」
「そうね、あたしもそんな礼奈のことが好きよ」