女神ですが信者の不憫令嬢を幸せにするためざまぁしたり奔走していたら、公爵に求婚されました
「女神様、どうかお許しください……! 私もう耐えられません。生きているのが辛いのです……っ」
私は目を見開いた。
ここは廃れた教会。目の前にはナイフを手に持ち、剣先を自らの胸に突き当てている若い娘がひとり。彼女の名は、ユーフェミア・コールエタース子爵令嬢。
亜麻色の髪に緑色の瞳で、たれ目がちな目じりが特徴だ。白い頬に、とめどなく伝う涙が痛ましい。
――そして彼女は、“女神”である私ノクスの唯一の信者だ。
女神像に跪くユーフェミア。すると彼女はぎゅっと目を瞑り、震える手で剣を振り上げた。このまま胸に突き刺す気だ。私は居ても立っても居られなくて、必死で彼女に手を伸ばす。
『駄目! 待ちなさい!』
霊体である私は生身の人間に触れられない。けれどこの優しいユーフェミアが死ぬなんて耐えられなかった。神だと言うのに、悲しむ女の子1人救えないだなんて。
伸ばした手がユーフェミアに届きそうになったその時、突然まばゆい閃光が走った。
『――!?』
目を開けて居られなくて、思わず目を瞑る。すると、カランという乾いた音が耳に入った。恐らくナイフの落ちた音。そして手には温かい感触。
温かい、感触?
「えっ」
ハッと目を開くと、私の腕の中にはユーフェミアがいた。瞼は閉じられていて、気を失っているように見える。無事――と思いきや、彼女の胸のあたりから白く細いなにかがスルスルと抜け出ていく。
「いけない! 魂が抜けてしまう」
私はハシッとユーフェミアの魂を掴み、急ぎ魔法で保護した。早く肉体に戻さねばならないが、魂が肉体に入るのを拒絶し言うことを聞かない。
「どうやらかなり魂が傷ついているようね……。時間をかけて回復させないと無理かしら」
するとあることに気が付いた。私の指先が少しづつ透けてきているのである。ユーフェミアを救うために起きた奇跡は時間制限つきらしい。迫りくる選択肢に、気がせく。決断しなけれなならない。私は、彼女の身体をぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさい、ユーフェミア。しばらく貴方の身体を借りるわね」
空っぽの肉体をここに放置すれば、結末は目に見えている。私はこの女神像から離れられない。ここで愛しい信者が虫にまみれ、土に還るのを眺めるなんて絶対いやだ。であれば私がユーフェミアの中に入り肉体を保護するしかない。ふわりと私の姿が消え、ユーフェミアに馴染んでいく。
「……ねえユーフェミア。星明りの女神ノクスの前で自害するなんて、罰当たりが過ぎのではなくて? だから私が貴方を苦しめるものをすべて排除してあげる。……こんなこと望まないのでしょうけど、今はゆっくり休んでいて」
ふふ、とユーフェミアの声で笑う。
これより私は、期限付きのユーフェミア・コールエタース子爵令嬢だ。
「さあ。私のユーフェミアを虐めたいけない子には、お仕置きをしなくちゃね」
*
私はユーフェミアの身体の記憶から、なぜ彼女が苦しんでいるかを読み取った。普通の人間にはできないが、末端とは言え女神なので朝飯前である。
ユーフェミアにはかつて母が居た。
コールエタース家の当主ニコラスは、彼女の母であるラベンダーを溺愛していた。だが三女であるユーフェミアを産んだ際、亡くなってしまう。そのためニコラスは実の娘であるにもかかわらずユーフェミアを疫病神と罵った。
それを見て育った長女と次女は、直接いじめはしないものの見て見ぬふりを貫いた。コールエタース家は優秀な魔法使いの家系だが、ユーフェミアが全く魔法を使えなかったのも、家族からの冷遇を受ける原因だったのだろう。ユーフェミアは姉たちを恨んではいないが私からしたら同罪である。
そうすると今度は使用人さえも彼女を見下すようになる。犬小屋で寝かされ、朝はバケツの水をかけられ起こされる。その後はひたすら馬糞の処理やら使用人が嫌がる仕事を一通りさせられた。食事はカビたパンと残飯のスープ。助けてくれる者は誰一人いない。
彼女はこの家の黒い部分をひたすらに押し付けられて育った。
そんなユーフェミアが唯一安寧を得られるのが、夜だった。ある時彼女は女神像の前でこう言った。
「女神様。ああ、星明りの女神ノクス様。あなた様がおられるから、私はまだ生きていられます。この美しい星空の下夜を享受することだけが、たったひとつの私の救いです……」
と。私はユーフェミアが哀れで哀れで、どんなに助けてやりたいと願ったことか。だがユーフェミアは苦しんでいる様子ではあったが、誰が彼女を苦しめているのかは決して口にしなかった。でも今はすべてがわかる。
「ふむ……。ユーフェミアったらちゃんと魔法の才能があるじゃない。しかも治癒魔法師! 大陸に数えるほどしかいない超貴重な存在よ。ただ魔力量はからっきし。それで魔法を使えなかったのね」
この素晴らしい才能があれば、コールエタース家を出ることも可能だろう。しかしその前に彼女を虐めてきた者たちには痛い目を見てもらわなければならない。
「まずはコールエタース家に戻ってみましょうか」
ユーフェミアが寝起きしていた場所は、酷いありさまだった。当主が飼っている猟犬2匹の檻、その一番奥に彼女の“部屋”はある。じめじめと湿った床にわずかな藁。とてもではないが子爵令嬢が居るべきところではない。虫唾が走って、険しい表情になる。
「はあ。この家でユーフェミアの生活を改善させるのは無理ね。ひどすぎる」
実際見ると本当にひどい。悪臭が鼻につき手で覆う。今まで感染症にならなかったのが奇跡だ。
最初は、この家の者を改心させてユーフェミアの立場を改善する方法も考えた。しかしこの光景を目の当たりにすれば、この子はコールエタース家に居るべきではないと思えてしまう。
「毒の繋がりだとしても家族……。できれば傍に居させてあげたいけど、これは駄目」
誰がこの子をここに放り込んだのか。
それはコールエタース家の侍女頭イヴリンである。女の顔が頭に浮かび、しかと脳裏に焼き付けた。ジリジリとした怒りが腹の底から背骨を伝い上って来る。――絶対に許さない。
私は怒りそのままに、犬小屋から屋敷へ歩みを進めた。廊下を歩いているとぎょっとした顔の使用人たちに見られたがかまうものか。次女エミリーの部屋に入り、クローゼットを拝借しぼろきれの服からドレスに着替える。そして侍女頭が寝泊まりしている部屋で、ソファに座りワインを開けた。
ガチャリ。
扉の開いた音がして、侍女頭イヴリンが仕事を帰って来た。彼女は目を丸くして、狐につままれたような表情を浮かべる。
「ユーフェミアっ!? 一体ここでなにをやっているの!? それにその服は……エミリー様の御召し物じゃない! 今すぐ脱ぎなっ!」
イヴリンは正気を取り戻すと、顔を真っ赤にしてキーキーうるさく捲し立て始めた。
「それにこのワインは旦那様のもの! この薄汚い泥棒がぁ……! よほど犬の餌になりたいようだね!」
うるさい。イヴリンの唾があたりに飛び散って大変不快だ。私は椅子に座ったままで、はあと深いため息をついた。
「使用人のくせになんて口の利き方なの? この服はお母様が私に遺したドレスよ。エミリーから取り戻しただけ。それに……ふふっ。ワインはお前の部屋にあった物よ、不思議ねえ。お父様の年代物のワインがこの部屋の戸棚に隠されてるなんて」
「っ」
私は、人間の‟欲望”が見える。
お星さまどうか願いを叶えてくださいまし――といった具合に。不思議と人間は星に願いをかけるものだ。
「お前、とっても欲張りさんね? 薄汚い泥棒はどっちかしら。今までたくさんくすねてきたでしょう。最近ではエミリーの宝石かしら。彼女が飽きて忘れた頃を狙ったのね、賢いわ」
私は笑顔でパチパチと拍手した。イヴリンは突然人が変わったユーフェミアに驚いたのか呆然としている。そして顔を青ざめさせた。覚えがありすぎるみたいだ。
「何を世迷言を……! 私は忠実な僕! 決して盗みを働いたりなんかしないわ!」
「そう。じゃあ旦那様に報告しないとねえ。私が貴方を貶めて嘘をついているって」
「だ、旦那様はお忙しいの。報告するようなことじゃないっ」
エミリーから盗んだ宝石の香りが鼻をくすぐった。欲望の香りはいつもかぐわしい。醜いのに魅力的で、面白い。まるで刺激的な香辛料の香り――。どうやら宝石はつてで宝飾店に売ったらしい。
イヴリンが否定してもどこで売ったかなんてすぐわかる。
あと盗んだ宝石が悪かったわね、あれは亡きラベンダーの形見よ。といわけでコールエタース家当主の部屋へ直行。
「お父様……! 私見てしまったのです。侍女頭イヴリンがエミリーの部屋に入り、お母様の形見である宝石を盗むのを……。どうしても取り返したくて後を追いかけたら、ある宝飾店にたどりつきまして」
イヴリンが盗みを働いたこと以外、ほとんど嘘である。
震えながら必死に涙をしぼりだす。いつものユーフェミアに見えるように。ただの宝石だったら嘘をつけと一蹴されるだろうが、当主は今でもラベンダーを愛している。ユーフェミアのことはどうでもいいが、妻の形見のために動くだろう。
イヴリンを最初につついたお陰で、証拠隠滅を図ったイヴリンと宝石が見つかり、彼女はお縄となった。当主の怒りはすさまじく、クビにした上彼女を雇うべからずと御触れを出した。イヴリンはこの先働けず路頭に迷うであろう。ああかわいそうに。
でもイヴリンは最後にとてもいい仕事をしてくれた。ユーフェミアを虐げていた使用人たちも盗みに一枚かんでいたらしく、道連れにしてくれたのだ。良かった。
ユーフェミア虐待の根源たる当主ニコラスにも痛い目を見せてやりたい。だが当主の欲望を覗くとラベンダーへの愛だけがほとんどを占めている。そうなると中々今はお仕置が難しい。長女と次女は、ある意味ニコラスの被害者でもあるが私は甘くない。彼女らの婚約者が、女と金と暴力への欲望強めということは教えてあげないことにする。貴方達がしてきたことをそっくりそのまま返してあげるわ。せいぜい苦労してね。
ユーフェミアが幸せに暮らせる場所を最優先で探さなければ。
才能が認められ、彼女が自由でいられるところがいい。真っ先に思い浮かんだのは代々“聖女”を輩出している家門、シャソルネイ公爵家だ。シャソルネイ家では貴重な治癒魔法師が生まれやすい家門である。この国では病気や怪我を魔法で治せる治癒魔法師を“聖女”と呼ぶ。
シャソルネイ家は聖女を囲う事で民の信仰心を集め、権威を保ってきた。どんな出自だろうが治癒魔法師であれば養子に迎えてきた実績もある。まだ年若いユーフェミアは、喉から手が出るほど欲しい人材なはずだ。
「次の行き先が決まったわ」
私は、ユーフェミアが戻ったらびっくりするかしら……と一瞬心配になる。でも環境が変わらなければ、ユーフェミアは一生このままだ。
私は迷う心を振りほどくように首を振った。そしてエミリーから拝借したラベンダーのドレスを脱ぎ、元のぼろきれを羽織る。恐らくこうしたほうが、ことをスムーズに運べるだろう。
シャソルネイ家では当然、物乞いとみなされて守衛はまったく取り合ってくれなかった。仕方ないので守衛の欲望を見ることにする。
ふうん、病気の娘がいるのね。でも聖女の癒しは上位貴族が独占し、恩恵に預かれない。でもあきらめきれなくてシャソルネイ家の守衛になったのか……。
手っ取り早く娘を全快させて目の前に連れてきてあげたら、喜んで掛け合ってくれました。めでたし。
愛の女神であれば魅了の能力を使って一瞬で洗脳できるのに、私の能力はまどろっこしい。ユーフェミアの治癒能力があったからこそ上手くいっている。彼女はとても優秀なのだ。
ユーフェミアのお陰もあり、私はスムーズにシャソルネイ家へ足を踏み入れることに成功した。ぼろきれを纏ったみすぼらしい姿の娘が廊下を歩くと、使用人たちにぎょっとされた。デジャヴである。
当日に当主と面会することは難しいかと思いきや、すんなりと通された。
ハアザミのモチーフが施された重厚な扉が開かれる。書類が積み重なった机に、その人は居た。シャソルネイ公ティリウスである。私はおどおどした様子を装った。
「……君が、守衛の娘の病気を治したそうだね」
窓から射す逆光で顔が見えにくかったが、声が若い。私は意外に思って、ちらりと目線を上げた。短い、銀色の髪にルビーのような赤い瞳。顔立ちは精悍でとても整っていた。歳は20手前くらいだろうか、この歳で公爵家当主とは驚きだ。
ふいに、傍に控えていた使用人がどうしてか退出する。主人と突然現れた娘をふたりきりにする意図が見えない。
「はい。そのとおりです」
「そうか。聞くが、なぜ彼の娘が病気だとわかった?」
「すべては女神様のお告げです。私の治癒能力を活かせと……」
敬虔な信者のように祈る手を作る。都合の悪いことは全部これで乗り切るつもりだ。治癒能力、と聞いてティリウスの頬がピクリと動いた。
「治癒能力か。噂で聞いた話だが、高位の魔物も個体によっては治癒能力を保持しているらしい。非常にまれだが人に擬態することもあるのだとか」
カチリと剣に爪が当たる音がした。なるほど、まずい状況になった。どうやら閣下は私を魔物だと勘違いしているらしい。自分の目で確認してそう判断したのね。なぜそういう考えに至ったのか、彼を観察してみる。彼の瞳には強い魔力を感じられた。――魔眼だ。
魔眼を持っている人間は、人間に化ける魔物よりもずっとまれだ。千年にひとり位の確率だろう。その瞳は魔力を量ることができ、遠くを見通せるという。戦いの場面でも大いに役立つ能力だ。なにせ作戦内容などを全部見てしまえるのだから。
彼が年若くして公爵の座についた理由がわかった。しかし魔眼を持っているというのに魔物だと判断されるとは、精度が低い。非常に腹立たしくて私のこめかみに青筋が浮かび上がった。すうっと息を吸い、ユーフェミアの声ではなく女神ノクスの声を出す。
『魔眼を持つ人間よ。夜の一族たる星明りの女神ノクスを、よもや魔物扱いとは恐れ入った。もっと深く視ることができないのは、その瞳を使うのが怖いからかしら?』
おどおどとしたユーフェミア・コールエタース嬢がなりをひそめる。私は妖しく笑い頬に指を添えた。おどけて彼の秘密を暴いて見せれば、ティリウスの瞳孔が開きピンと空気が張り詰める。考えていることが顔に出るタイプね。
「なぜそう思う?」
『その瞳は人が持つには過ぎたるもの。使えば使うほど、視力は奪われてしまう。朝の一族、空の女神カリーシがそう言っていたわ。今もほとんど見えないのでしょう? それに凄く痛い筈、まるで呪いね』
彼の精神がゆらぐ。“痛みから解放されたい、視力を取り戻したい”という欲望が見えた。ふむ、これは交渉に使えるわね。
『私が見えるようにしてあげましょう。その後で私が魔物か、それとも女神なのかを判断すればいい』
「……それでは私に都合が良すぎる」
『よくおわかりね。見事治すことができたら、この体の持ち主であるユーフェミア・コールエタース令嬢を保護してもらいたいの。事情があって今は私が体を預かっているけど、じき戻るわ』
「いいだろう、ただし出来たらだがな。少しでも不穏な動きをみせたら斬り捨てさせてもらう」
冷たい物言いに私はくすりと鼻を鳴らした。
全然信じてないわね。というか臨戦態勢だし。コールエタース家の令嬢を人質に取る、厄介な霊体の魔物だと思われている。ティリウスが私を斬り伏せる方法を考えつく前に、視力を回復し痛みを取り除いてあげることにした。これはノクスの能力ではなく、ユーフェミアの治癒魔法だ。
だがひとえに私の膨大な魔力あってのもの。通常、人間ひとりの魔力だけでは神が与えた状態異常は解けない。つまり今の私たちの状態でしか、彼を治せないのだ。――ティリウスは運がいい。
『全状態異常回復』
カッと眩い光が放たれた。
魔法攻撃と勘違いしたティリウスがスラリと剣を抜く。だが光が収まってくると、彼の表情は驚きに満ちたものに変わっていった。そして、その手からするりと剣が抜け落ちる。
カラン。
乾いた音が部屋に響き渡った。信じられない、と金の瞳が見開かれる。
「痛みが……消えた……。それに視力も回復している……」
どうやら魔法が効いたようだ。ユーフェミアが斬られずに済んで良かった。魔法をかけた後だが、彼女の幸せのために私も先走りすぎたと内心反省する。
思案していると、突然ティリウスが私の前にひざまずいた。
「正しく、魔眼にて貴方様を視させていただきました。――確かに、魔物とは異なる魔力をお持ちだ。それに高位の魔物であっても到底及ばない魔力量です。なにより、私の呪いを解いていただいたことが証。大陸いちの解呪師でも治すことは不可能でした。それをいとも簡単になされた……ご無礼を謝罪いたします」
彼が頭を下げる。さきほどまで殺気バシバシだったのに、案外素直な性格の様だ。かわいらしいところがあるじゃない。私は気が良くなった。
『謝罪を受け入れるわ。ああ、また使用していくと痛みも視力も悪くなるから魔法をかけてあげる。持続回復』
淡い光がティリウスの身体になじんだ。これでいくら魔眼を使っても問題ないはず。
「……! 感謝いたします。生まれて以来の苦しみが……嘘の様です。私は夢でも見ているのか……」
『気にしないで良いのよ。ユーフェミアを助けてくれるならね」
ティリウスがひざまずきながら私を仰ぎ見る。そして不思議そうな表情を浮かべ口を開いた。
「ノクス様、失礼ですが少しお尋ねしたいことがございます」
『なあに?』
「ユーフェミア嬢の身体を一時的に預かっていると仰れておりましたね。保護するにあたり、差し支えなければ言える範囲で事情をお聞きしてもよろしいでしょうか」
『……それが筋よね。……彼女は、コールエタース子爵家でひどい虐待にあっているの。今は傷ついた魂を保護している最中よ。今後シャソルネイ家に身を置くことになれば、コールエタースは黙っていないでしょう。でも決して彼女を渡してはいけないわ』
「さようでございましたか。不躾な事をお尋ねし申し訳ございません。ユーフェミア嬢はシャソルネイ家が責任をもって保護いたします。ノクス様にとって、ユーフェミア嬢はとても大切なお方なのですね」
『そうね、私の大切な信者よ』
私がそう言うと、ティリウスは僅かに目を見開いた。
「信者だからという理由だけで、ここまでされると……?」
『え? 当然でしょう』
「……」
私があっさり答えると、ティリウスは口元に手をあてて何かを考えだした。しばしの沈黙が流れる。するとティリウスは何を思ったか、近くに落ちてあった剣を手に取り、それを私に向かって捧げて見せた。一体どういうつもりだろうか。頭に疑問符を浮かべていると、ティリウスが口を開いた。
「夜の一族、星明りの女神ノクス様。いちど貴方様に剣を抜いた慮外者ではございますが――どうか、このときより貴方様を信仰させていただくことを、お許しくださりませんでしょうか」
へえ。けっこうちゃっかりしているのね。
この力を見て、女神の庇護を受けたくなったようだ。でも残念、ユーフェミアの身体を借りているからすごい治癒魔法が使えるけれど、霊体の私は基本的には人間に干渉できない。
信者が多ければ干渉できるだろうけど、私には無理だ。出来たとしてもなんの恩恵も与えられない。けれどまあ信者が増えるのは大歓迎。居なくなったら女神は消えてしまうのが定めだから。
神妙に顔を伏せる彼に、“本当は無能な女神なの”と言ってもきっと信じないだろう。私は彼の願いに応えることにした。信仰に制限はない。望めばすぐに他の神を選ぶことが出来る、それまでであれば。
『よろしい』
私は掲げられた剣をとって、ティリウスの肩にそえた。白い額に、長い睫毛が見える。ああ、後でがっかりするでしょうけれど。今からは愛しい、私の信者。
貴方が夜に迷うことがないよう、星明りで照らしましょう。
他の神にひざまずくその時まで。
*
私は正体を隠しつつ、ユーフェミアは次期聖女としてシャソルネイ家に身を置いてもらえることになった。
公爵家の邸宅はどこをとっても華美で、コールエタース家の犬小屋とは雲泥の差だ。その中でもとりわけ豪華で広い部屋を与えられている。
もちろん侍女もつけられ、罵ったり暴力をふるったりなどもしてこない。
「うん、完璧ね。私の仕事は終わったと言ってもいい!」
ふんすと鼻から息を吐く。あとは、ユーフェミアの回復を待つばかりだ。しかし彼女に語り掛けても何の応答もない。こんなにもユーフェミアを傷つけた父親や姉達に軽く殺意が湧いてくる。
「ユーフェミア、いつでも帰ってきて良いのよ。ここには貴方を傷つけるものはもういないわ」
帰ってこない返事に、仕方ないと眉を下げた。まあ、こういうのは時間がかかるわよね。今は出来ることをするしかない。健康な肉体にしてあげれば魂の回復も早まるかもしれないし、美味しい食事をとりましょう。
日々は過ぎていき、やせ細っていたユーフェミアの肉体は徐々に健康を取り戻していった。痛んでバサバサだった亜麻色の髪も艶めき、頬は桃色に色づいている。ぼろきれの服は捨てられ、ユーフェミアに似合うドレスがいくつも仕立てられた。
意外だったのがティリウスが食事へ一日一回は招待してくれたことである。どんなに忙しくても時間を作ってくれたらしい。まめな子だ。ユーフェミアへの待遇もいうことなしだし、ティリウスには感謝してもしきれない。……なんだか私を見つめる目に熱がこもっている気がするけれど、もしかしてユーフェミアに惚れたのかしら。公爵夫人なんて安泰でいいじゃない?
そんな穏やかな日々が過ぎていくかと思われたある日、事は起こった。
「ノクス様。コールエタース家の当主が直々に訪ねてきておりまして……。追い払いましょうか」
いつものように部屋でまったりしていると、ティリウスがやって来てこう言ったのである。私は眉をひそめて額に手を当てた。いつかは、こんな日がやってくるとは思っていた。
「彼は何て言っているの?」
「シャソルネイ家が娘を誘拐したと申しております」
「ハッ、世迷言を。ひと月も経ってから訪ねてきておいてなにが“娘”か」
「お怒りでしたら、そのように対処いたしますが」
「いいえ、通してあげて」
私が穏やかな声で話すと、ティリウスは意外そうにこちらを見た。
「よろしいのですか?」
「ええ、彼には言いたいことがあるの」
「……ご随意に」
なにが起こっても対処できるように、部屋の外には護衛がふたり配置された。断ったのだがティリウス直々に護衛してくれるらしい。ユーフェミアの父親には何時間か待ってもらい、私はゆっくりと支度をした。――そして。
「お久しぶりですね、お父様」
ソファに座り、私は優雅に笑う。目の前にはコールエタース家当主、ユーフェミアの父親ニコラスが居た。彼は幽霊でも見たのかという顔で、ユーフェミアを見る。こう飾られていると、自分がした彼女への仕打ちが際立つわね、お父様。
「どんな手管を使って公爵家に入り込んだ? これ以上我が家に恥をかかせるな、元の場所に帰れ」
「まあ品のない。私は次期聖女としてシャソルネイ家に迎えられている身です、なんの恥もございません。それに……帰れというのは犬小屋にですか?」
「そうだ! お前のような疫病神には犬小屋がお似合いだからな!」
ニコラスは顔を真っ赤にしてテーブルを叩く。この男は、元はこうではなかった。
ユーフェミアの母ラベンダーの死が、彼をここまで狂わせたのだ。だが、もう潮時だろう。そろそろわからせてやらないといけない。私はユーフェミアの唇を使って、言葉を繰り出した。よく心に伝わるよう、声に魔力をこめて。
「お父様……乳母から聞きました。お母様は自分の命と私の命を天秤にかけ、私を産んだそうです。それを聞いた時……私は自分を呪いました。そしてこうも思ったのです。自分の命よりも、お母様は私を大切に思ってくださったのだと。だから私は自分を立て直します。たとえお父様が邪魔しようとも、それがお母様も望んだことです。貴方は、お母様の願いを踏みにじっているのですよ。そしてお姉様たちも、貴方が歪めた。取り返しのつかないことをしましたね。きっとお母様はお父様を、恨んでいるはずです」
言い切ると、しん、と部屋が静まり返った。
父親は顔を真っ赤にして立ち上がると、何か言い返そうと口をパクパクさせた。だが言葉は出ず、彼はやがて項垂れた。
言ってやった、と思う。
おそらく今の今まで誰も言わなかった真実だ。彼も分かっていたはず、だが憎しみに溺れた。気づかされてしまった今、心は粉々に砕かれた事だろう。なにせ彼の心は未だにラベンダーに囚われている。声に魔力をこめたので、今の言葉がずっと頭で繰り返され彼を呪うだろう。愛する人に恨まれて生き続ける事が、彼にとっての最大の苦しみのはずだ。ああ胸がすっとする。せいぜい廃人となってずっと苦しんでね。
「お引き取りくださいませね」
魂が抜けたように、父親は虚空を見るばかり。やがて護衛に抱えられ、彼はシャソルネイ家を去っていった。なんだかどっと疲れて、ソファのひじ掛けにもたれて目を閉じる。
安寧とは程遠い、森を激しい雷が荒らしたような空気の中、私はある気配を感じた。
『――ユーフェミア』
瞼を上げると、そこには私の愛しい信者が居た。
困り眉で、泣きそうに涙を堪えている。可愛らしくて、ふふと微笑んでしまう。
『お寝坊さんね』
『ノクス様……っ』
私は、駆け寄ってくる小さな子を抱きしめた。
『本当は、私がお父様に言わなければいけなかったのです……! でも怖くて……っ。私はお母様にも誰にも愛されていないと思い込んで……』
ひっく、と息をすするユーフェミアの髪を優しく撫でる。……誰にも愛されていないですって? 聞き捨てならないわね。
『私は貴方を愛しているわ』
そう言うと、ユーフェミアは顔を上げた。そして、とても嬉しそうに微笑む。
『ノクス様、私のお星さま。私もお慕いしております』
『ユーフェミア、私の小さな篝火。……もういいわね』
『――はい』
思えばこうやって触れ合ったのは初めてだ。やっと会えたが、もう身体を返さなければ。私は幸せで嬉しくなって、彼女の白い頬をひと撫でし、ユーフェミアの魂を肉体へ戻した。彼女が困ることのないよう、私の魔力を半分ほど付与する。これで大抵の治癒魔法は使えるはずだ、次期聖女として頑張って欲しい。
そして再び私は霊体となり、彼女から離れる。力のない末端女神の私は女神像の下でなければ存在できない。さあ帰りましょう、私の役目は終わり。
あ、そういえば。
二度と会えないだろうし、ティリウスに一言お礼を言えばよかったわ。
*
あれから私は無事、女神像の傍へ戻った。
再び穏やかな日々が過ぎていく。変わったことと言えば、ユーフェミアが訪ねてこなくなったことである。寂しいけれど、彼女が幸せで元気に過ごしていればそれが一番だ。
時折星がささやいた。
なんでも、たったひとりの人間が悪しき蛇竜を打ち滅ぼしたんだとか。へー人間にもそんな大層なことができる人がいるのねと半眼でまどろんでいたら、その日の夜、来客があった。
いつものように星を降らせていると、廃れた教会に誰かが訪れる気配がした。
『……ユーフェミア?』
私の心は躍ったが、そこに居たのは意外な人物。
『ティリウス』
そう、シャソルネイ公ティリウスが女神像に跪いていたのだ。長い銀髪は結わえられ、赤い瞳は伏せられている。あれから少し時が経ったのか、顔立ちは大人びていた。しかし相変わらず神をも魅了するほどの美貌で、思わず見とれてしまう。すると、ティリウスが口を開いた。
「ノクス様。そこにいらっしゃいますか」
『……ええ』
私の返事は聞こえないだろう。私は彼が帯刀している剣に目を遣った。見覚えがある、まさか彼は今の今まで――。
「ユーフェミア嬢はあれから聖女となり、国を支えておられます。ときおりお会いする機会がございますが、とても充実した日々をお過ごしの様子でした」
『ユーフェミアが聖女に……誇らしいわ』
私はほうっと息をつき、胸に手を当てる。
「私はというと……貴方様が去られたあの日からずっと、どうすれば再びお会いできるかと考え……そればかりで」
ティリウスがぐっと息を詰める。この子は、離れず私を信じ続けてくれていたのだ。そんな彼を声もかけずに置いていってしまったあの日の自分を悔いる。
「貴方様はユーフェミア嬢を心から慈しんでおられました。そして私は愚かにも、その愛に触れたくなった。羨んでばかりいるうちにいつしか……私は、貴方様を愛しました」
『……!』
驚いて目を見開く。すると、ティリウスは懐から小さな箱を取り出した。開けられた箱には、小さな指輪。――凄まじい魔力を感じる。これは、人間があつかえるものではない。
「竜が、持っていました。なんでも、うつろえる精霊や神さえも、この世に顕現させうる力を持つ指輪だそうです。この指輪を嵌めれば、実態を持たぬものが人になれると」
ティリウスの瞳には悲哀が宿っていた。この瞳には見覚えがある、かつてここで剣を胸に突き立てようとしていた幼い少女のような。
「ノクス様。どうか今一度、私のお傍に。そしてどうか、私が最期の一息をするまで共にいてくださりませんか」
ティリウスが震える指で指輪を差し出す。
星明りに照らされた指輪が、きらりと光った。私は、この指輪を手にするまでの彼の苦労を思った。尋常ではない戦いがあっただろう、悲しみがあっただろうと思う。
それを耐え得るほどに、ティリウスは私を愛してくれた。
風が吹いて雲が去り、星明りがいっそう輝きだす。光が指輪に集まり、やがてそこに白い指が現れだした。指は腕に、腕は身体に、身体は瞳に。
ティリウスは目を見開いた。声が、出ない。指輪が象ったひとがとても美しかったからだ。紺碧の豊かな長い髪に、星のように輝く金の瞳。白皙の肌はぞっとするほどで、人間離れした輝きがあった。――星を体現したとすれば、この容だろう。
「ノクス、様」
*
その晩より、この国からは星が消えた。
領主シャソルネイ公ティリウスは星明かりの女神ノクスを地神として崇め、美しい妻を娶った。領民たちは『星なしの地になぜ、星明りの女神を?』と首を傾げたが、彼の英明さにさして気に留める者もいなかった。
それどころか、『このように素晴らしい領主が崇める女神であれば、素晴らしい女神に違いない』と、ひとりまたひとり女神を崇めた。
やがて、ティリウスが息を引き取るその日まで。この地は星なしのシャソルネイと謳われ、平和であったという。
読んでくださった貴方様、ありがとうございました!