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1.巫女の旅立ち ―3


 背後から真幌の名を呼ぶ声が聞こえたのは、清掃を済ませ、竹箒を片付けていた頃のことだった。


「真幌。真幌ー、掃除は終わったのか? 夕餉(ゆうげ)の支度ができておるぞ、和音が待ちくたびれる前に、早く来るのじゃ」

琴杷(ことは)さん。はーい、すぐ行きます」


 清掃用具を収めた倉から外へ出ながら、真幌はその声に返答する。

 見れば、参道を(へだ)てた向こう、社務所の障子戸の隙間から、一羽の(からす)がひょこっと(くちばし)を突き出していた。


 社務所の玄関口をくぐるやいなや、囲炉裏(いろり)から立ち昇る暖気が真幌のもとへ押し寄せる。真幌はそこでようやく、気づかぬ間に身体が芯まで冷えていたことに気づいた。


「ほら、真幌。今宵はずいぶん冷え込んでいるじゃろう。こちらへ来て温まるとよい」


 囲炉裏のそばからそう話しかけてきたのは、先ほど障子戸から顔を出していた烏だ。


 烏はその場で羽ばたき、くるりと宙返りをする。と、次の瞬間には烏の代わりに、すらりと背の高い女が現れていた。背に流した濡羽(ぬれば)色の長い髪。その瞳には、人ならざる者の証しである金の輝き。


「おや、この大根の漬物(つけもの)は琴杷の作でしょうか。以前と比べると、ずいぶん切り方に成長が見られますねぇ。まぁ、まだまだ私の足元にも及びませんが」

「ふむ。あまり嬉しくはないが、和音の褒め言葉は貴重であるからな。ありがたくちょうだいしよう」


 せっせと給仕を進めるその女の名は、琴杷。

 こうして真幌や和音とともに寝食を共にしている彼女だが、その正体は風切琴杷神(かぜきりことはのかみ)――この志緒神社が(まつ)る神なのだった。


 食膳には白菜のお吸い物と雑穀(ざっこく)米、それから、琴杷の作であるらしい大根の漬物が並んでいた。


「よし、支度ができたぞ。さっそく頂くとしよう」

「そういえば、銀太はどこへ行ったんでしょう? このくらいの時間になると必ず姿を見せるはずですが」

「あぁ。さっきからそこにいるぞ、ほら」


 すると、土間の隅で木片を(かじ)って遊んでいた白柴、銀太が居場所を示すように一吠えした。番犬として飼われている銀太だが、まだまだやんちゃ盛り、普段は風に吹かれる木の葉を追いかけたり薪を齧ったり、思い思いに遊んでいることが多かった。


「ほれ、銀太にはこれじゃ。食べ残すでないぞ」


 銀太に差し出された(わん)には、漬物と食べやすいように切った白菜。銀太もまた腹を空かせていたらしく、椀を前にして座り、嬉しそうに尻尾をぱたぱた振っている。


 そうして皆揃ったところで、一拝一拍手。

 真幌は(はし)を持つと、最初にお吸い物の入った椀を手に取った。湯気の立つ温かな汁を口に含み、白菜を噛む。噛んだところから、ほのかな甘みが舌全体に広がっていく。


「琴杷さん、この白菜、どうしたんですか。すごくおいしいです」

「じゃろう? 篠介(しのすけ)の家からのもらい物じゃからな。常々思うが、あやつは作物を育てるのがほんにうまい。先代である粂吉(くめきち)の教えがよかったのじゃろうな」

「先日、無事に子どもが生まれたそうで。お礼にと、持ってきてくれたのですよ」


 そういえば、と真幌は昨年の秋口のことを思い出す。

 東の集落に住む篠介の妻が出産を控えているとのことで、真幌が祈祷(きとう)に出向いていたのだ。


「少し前に奥さんに会って、赤ちゃんを見せてもらったんです。とっても可愛くて元気で。奥さんにも何事もなかったみたいで、安心しました」

「初産ゆえ、篠介も気が気でなかったようじゃが、真幌が祈祷をしてくれたおかげで無事に終えられたと言っておったぞ。この白菜はその礼じゃとな」

「そんな……奥さんにもお礼を頂いたばかりだったのに」

「それから、大社での修学、応援しているとも言っていましたよ。何せ、もう三日後ですからね。旅支度はだいたい整っているのでしょうね、真幌?」


 ここ数日の間、ずっと気にかかっていた事柄に関する話題になり、真幌は飲んでいた汁で()せかけるのを何とかこらえた。


 白湯(さゆ)を喉に流し、咳払いをしてから平静を装って答える。


「もちろんですよ。旅装、祈祷文書、大幣(おおぬさ)に術符、それから神楽(かぐら)鈴も。みんな揃えてあります。後は和音さんが証書を書いてくれるのを待つだけです」

「地図も忘れずに持っていくようにな、真幌。おぬしはただでさえすぐに道に迷うゆえ」

「わ、わかっていますよ」


 大社――磨見(まみ)ノ国のすべての神社を統括する、総本山。

 神社にて神に仕える者達は皆、数年おきに大社での修学へ(おもむ)く義務がある。巫女となって十年が経った真幌もまた、修学を受けなければならない時期が近づいていた。ゆえに、真幌は三日後、大社の立地する磨見ノ国の都、璃久扇(りくせん)への長旅へ出立することになっているのだ。


 和音はいつになく険しい表情になり、箸を動かす手を止める。


「運のいいことに、近くの神社をあたってみたら、大社に用事のある神官が何人かいるとのことでしてね。頼んでみたら、真幌もともに連れて行ってくれると言っていました。ですから都に行くまでの道のりは問題ありません。難関は帰りと、それから璃久扇にいる期間でしょうね。何しろ都は大きいですし、道もこことは比べ物にならないほど入り組んでいますから」

「そうじゃのう。都のどこにいても見えるというほどに、大社とは立派な建物じゃ。常人ならば迷うことなどなかろうが、真幌では……いったいどうしたらよいものか」

「えっと……あの。私の場合、修学自体よりも、行って帰ってくることの方が心配だと言うのですか」


 どうやら二人にとっては、修学よりも真幌の方向音痴の方がよほど重大事らしい。何とも言えず、真幌は複雑な気分になる。


「当たり前でしょう。真幌が都を歩くことと比べたら、修学などさしたる問題ではありません。修学の場では、神職にある者なら当然身につけてしかるべき基礎的な知識についておさらいする……ということにはなっていますが、それはあくまで建前。あれの本当の目的は一種の視察のようなものですから。ここのような田舎(いなか)神社でも、由緒正しい祈祷法、送魂や鎮魂の術法などが受け継がれているかどうかを見たいのです。ですから、真幌はとりあえず無事に都へ行き、ここへ帰ってくることにだけ、心血を注いでいればよいのですよ」


 と、至って真面目な顔つきで断言する和音と、その隣でこくこくと何度もうなずいている琴杷の姿に、真幌はしゅんと肩を落とすしかない。


「うぅ、わかりました……。和音さんと琴杷さんの言う通り、都へ行き、ここへ帰ってくることに全力を尽くすことにします」

「うむ、その意気やよし。無事帰ってきたら、真幌の好物をたくさん作るからの。頑張るのじゃぞ、真幌。おぬしなら絶対に大丈夫じゃ」

「ま、私も信じて待っていますよ。真幌なら、きっと帰ってこられます」

「二人とも……」


 まるで、これから真幌が向かうのが一世一代の大勝負の場だとでもいうかのような、大仰(おおぎょう)激励(げきれい)だった。

 それがとてもおかしくて、真幌は思わず声を立てて笑ってしまう。


 ここは(みやこ)からは遠く離れた、山間(やまあい)にある小さな神社。

 真幌にとって、十年前からずっと、帰るべきただ一つの場所。

 皮肉屋の宮司と、人の暮らしに馴染(なじ)む風変わりな烏神と過ごす夜は、穏やかな談笑とともにゆっくりと()けていった。


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