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1.巫女の旅立ち ―1


 午後。

 淡い雲間から穏やかな日差しの注ぐ、織戸山(おりとやま)(ふもと)の林間。


「えぇっと……」


 二つに分かれる小路を前に、一人の娘が立ち尽くしていた。


 年は十八。

 長い黒髪を和紙と水引(みずびき)でまとめ、その身には小袖(こそで)緋袴(ひばかま)。それは集落の誰が目にしても、娘が巫女(みこ)であるとわかる装いだった。


 眼前にまっすぐに続いている路と、左に()れる路。

 双方を困り顔で見つめながら、娘は悩ましげに(うな)るのだった。


「うーん……。どっちに行けばいいんでしょう」


 娘は宮司(ぐうじ)から言いつけられた買い出しから帰る途中だった。

 方向音痴(ほうこうおんち)の度合いにかけては、右に出る者などいないと言われるほどの娘である。


 とはいえ、いくら方向感覚に鈍いと言えど、こうして巫女となってもう十年も経つのだ。さすがに神社と近隣の村をつなぐいくつかの林道だけは、迷いなく歩くことができる。


 だが今日は、事情が違っていた。

 買い出しの帰りに、どうしても寄りたい場所があったのだ。


 目的の場所への行き方を教えてくれた、市の女の言葉をどうにか思い出そうと苦心する。


「いつもの道を通り過ぎて……石の(ほこら)が目印。そこを南に進んで、次は東……そして次が……そう、確か左に進むって言っていた気が……。うん、きっとそうですよ! そうだったはずです」


 強く頷き、無理やり自分を納得させた娘は、左に逸れる路へと意気揚々(いきようよう)と歩み出そうとした。

 けれどちょうどその時、聞き覚えのある声が娘の背を追いかけてくる。


「あれ、そこにいるの、真幌(まほろ)じゃねぇか? おーい、真幌! そんなところで何やってるんだよ」


 振り返れば、後ろから見知った少年とその母親が歩いてくるところだった。途端、娘――真幌は瞳をぱっと輝かせる。


 何せ、真幌が目的としていた場所は、彼らの住む家。

 今しがた声をかけてきた少年こそ、真幌がこれから訪ねようとしていた人物だったのだから。


颯太(そうた)。それに文乃(ふみの)さんも! よかった。ちょうど会いに行こうと思っていたんです」

「真幌ちゃん。ふふ、こんにちは。今日はどうしたの? その道は隣の集落に続いているんだけれど」


 文乃はくすっと微笑むと、私たちの家はこっち、と真幌が選ばなかった方の道を手で示す。

 ぐっと言葉を詰まらせ、頬を赤らめて戻ってきた真幌を見上げ、颯太はけらけら笑いながらからかってきた。


「真幌のことだから、どうせまた迷子になってたんだろー? ほんと、なんでそんなに道に迷うんだよ」

「そ、颯太! そんなに人の失敗を笑うものではないですよ。それ以上面白がるんでしたら、私にだって考えがあるんですから」

「あっ。何か今、後ろにやっただろ。何隠してるんだよ、俺にも見せろーっ」


 すかさず颯太が後ろに回り込もうとするのを、真幌はひらりと身を(ひるがえ)して防いだ。


 筋金入りの方向音痴、その上普段から思わぬどじを踏むことの多い真幌だが、少しくらいは得意分野を持っている。巫女舞はその一つだ。こんなふうに子どもたちに追いかけ回された時など、舞の稽古(けいこ)会得(えとく)した身体の動きが役に立つことがある。


 背後に飛び退(すさ)ると、颯太が追ってくる。

 その瞬間、真幌は悪戯(いたずら)っぽく笑って、手に持った風呂敷包みを頭の上に持ち上げた。


「私を笑った罰です。簡単には見せてあげませんよ」

「あーっ、ずるいぞ真幌。そんな高いところにやったら、奪い取れっこないだろ」


 それからしばらくの間、攻防が続いた。

 必死になって追いかけてくる颯太の姿に、そろそろ潮時と判断すると、真幌は颯太の後ろにさっと立つ。


 包みを持った右手を颯太の前に回し、空いた方の手でその頭をくしゃりと撫でた。


「まったく。いつだってすばしっこいんですから、颯太には参りましたよ。ほら、気になるのなら開けてみてください」

「はぁ、はぁ……、つ、疲れた……。あー、もう! 真幌ってさぁ、たまにすっげー大人げねぇよな。でも、やったー! 何だろな、あ、何か甘い匂いがするな」


 颯太があっという間に風呂敷を取り去ると、現れたのは透き通った広口(びん)。颯太が言った通りに、瓶からは甘い香気が立ち昇る。


 中にたっぷりと入れてあるのは、金柑(きんかん)の実の甘露煮(かんろに)だ。それを目にするなり、颯太が嬉しそうに頬を上気させるのを見て、真幌は思わず声を立てて笑った。朝から仕込みをしたかいがあったというものだ。


「わっ、これ、金柑だ……!」

「颯太、今日は誕生日でしょう。これはお祝いです。また一つ大きくなったんですから、けんかばかりしていないで、ちゃんと妹や弟の面倒をよく見るんですよ」

「うっ……、何だよ。真幌まで、そういうこと言うなよな」

「まぁ、真幌ちゃん、わざわざどうもありがとう。颯太の誕生日、覚えていてくれたのね。ほら、颯太もちゃんとお礼を言うのよ」

「わかってるよ。真幌、ありがとな。おれ甘い物大好きだからさ、大事に食べるからな。お礼に今日は、真幌のこと神社の近くまで送ってやるよ」

「ご親切にどうも。でも、送ってくれなくても大丈夫ですよ。一人でもちゃんと帰れますから」

「あら、無理しちゃだめよ。前みたいに迷ったあげくに神社に帰るのが夜遅くなったら、和音(かずね)さんからまた嫌みを言われちゃうでしょ」

「それは、そうですけれど……」


 虚勢(きょせい)を張っていた真幌の顔は、和音の名が出てくるなり急に(くも)り出す。

『おやおや、驚きましたね。こんなに大きな迷子は生まれて初めて見ましたよ』――穏やかな表情で、しかし愉快げな色を声音に隠そうともしない和音の姿が、ありありと目に浮かんできたからだ。


 和音は真幌が住み込みで巫女をしている神社の宮司にして、路頭に迷っていた真幌を拾い、巫女として奉職(ほうしょく)できるように取り(はか)らった人物だ。


 かつては都に居を構え、凄腕神官の名を馳せていたらしいが、噂なので事実かどうかは定かでない。


 確かなのは、真幌は彼に、()ちかけていた田舎の神社を立て直すために手が必要だからと拾われた。

 そして、それからというもの、境内や社の掃除はもちろんのこと、近隣の集落への買い出し、番犬として飼っている白柴の散歩、果ては神社を遊び場にする子ども達の相手などなど、あらゆる種類の雑用を命じられてきたということだ。


 真幌が素直に頷くことができずにいる一方で、颯太は得意顔で胸を張り、真幌に手を差し出してくる。


「じゃあ、決まりだな。ほら、真幌、行こうぜ」

「うぅ、何とも言えず、屈辱的です……」

「まあまあ、困った時はお互いさまって言うでしょう? 真幌ちゃんにも和音さんにも、普段からずいぶんお世話になっているのだもの。たまにはこうして手助けさせてちょうだい」


 文乃にまでそう口添えされては、それ以上(しぶ)ることなどできなかった。

 そうして真幌は、自分よりも一回りも二回りも小さな少年に手を引かれ、帰途につくことになったのだった。


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