プロローグ 悪夢
「何故こんな面倒な研究をせねばならんのだ」
「患者さんたちのためです!」
「こんな病気などを研究する前にやることが山ほどあるだろう」
「ですが実際に年々患者さんは増えてきています! ワクチンだけではなく特効薬も必ず必要になってきます!」
「君に何がわかる。それに君はまだ学生だろう」
「医療科学に年齢や経験は関係ありません! 私は人の役に立つ研究がしたいんです!」
「黙ってAIが決めた薬だけを作っていればいいものを……」
「お願いします! 『ネオンフィーブ病』の研究をやらせてください!」
「はあ……、そこまで言うのなら一人でやって見ればいい。ただしわしは責任を取らんからな」
「ありがとうございます!」
たくさんの本に囲まれた狭い部屋で、初老の男性と若い女性が言い争っている。
二人とも白衣を着ているので、医者か研究者だろうか。
女性をよく見ると、紫がかった黒髪、肩にぎりぎり届かないセミロング、高くはない身長、痩せ型、整っていると言えなくもないが、鋭い目つきが目立つ顔立ちだということが分かる。
ここまでを確認してやっと気づく。
——ああこれは夢だ。
——昔の夢をみている。
——しかも悪夢だ。
——またこの夢か。
結末を知っているにも関わらず映像は容赦なく流れ続ける。
「AとCは前に試した。こっちはまだよね」
「うーん。変化なしか」
「次はBとFの組み合わせならどうかしら」
「反応はあるけれど、大きな変化はなさそうね」
「それでも一歩前進のはず!」
「まだまだやるわよ!」
理科室の様な場所に女性はいた。
女性は机に向かい、一心不乱に作業を続けている。目がキラキラと輝き、手には試験管とスポイトが握られている。机の上には、試作品の山が積み上げられていた。
——希望に満ちていた。
——必ず成功すると考えていた。
——失敗もつらくなかった。
——この薬がたくさんの人を救えると思えば。
「皆様、ご多忙の中、お集まりいただきありがとうございます!」
「私は、この度、長年の悲願であった『エルストロ病』の特効薬の開発に成功しました!」
「教授はお一人で今回の薬を作られたのですか!」
「ええ、これは私が一人で開発した新薬です!」
「おお、素晴らしい!」
「この薬は多くの人を救いますよ!」
「さすが、『サカミマ大学病院』次期院長候補筆頭だ!」
「教授は寝る間も惜しんで患者さんたちのために働いたらしい!」
「サカミマの聖人だ!」
「何かご質問がございましたら、挙手をお願いいたします!」
記者会見の様子が映し出されている。
カメラのフラッシュによって、会議室は白で埋め尽くされていた。白衣を着た初老の男性が、大勢の記者から賞賛の言葉を浴びている。
男性は満足そうな顔をしていた。
——喜んでいた。
——成果が得られたから。
——哀しかった。
——なかったことにされたから。
「なぜ呼ばれたのか分かるかね」
「……分かりません」
「そうか、まあいい。だが言いたいことはあるだろう」
「あの薬は私の研究の副産物です! 教授は何も関わっていない!」
「そうだね、事実はそうだ。だが証拠はない」
「証拠がなくても、みんな知っています! 私が研究を続けていたことを!」
「君が研究をしていたのは『ネオンフィーブ病』だろう。『エルストロ病』ではない」
「屁理屈じゃないですか! 実際に私は薬を開発しました!」
「知っているさ。だが君は私にしか報告しなかった」
「それは……」
「ちょうどよかったのだよ。もうすぐ院長選挙なのでね」
「そんなの嘘をついていい理由にはなりません!」
「嘘も時には必要なことなのだよ」
「もういいです。私は別に名誉が欲しいわけじゃない。研究に戻ります」
「ああ、その必要はないよ」
「は……?」
「君の研究はもう必要ないと言ったのだ」
「……おっしゃっている意味がわかりません」
「万が一にも汚名を被るわけにはいかないのだよ」
「君の研究室は全て片付けておいた」
女性は狭い部屋を飛び出す。
廊下を走って、研究室のドアを勢い良く開ける。
そこには何もなかった。
四年間の研究成果である『エルストロ病』の特効薬だけじゃない。
膨大な数の失敗作、組み合わせの結果を示した資料や参考にしていた論文、実験で使っていたスポイトや試験管や動植物。机の中や収納を引っ張り出しても、手袋一つすら残っていなかった。
女性は絶望し、座り込んでしまう。
そこに初老の男性がやって来て言う。
「君の学籍は削除しておいた」
「ありがとう。わしの役に立ってくれて」
——どこかで信じていた。
——努力は無駄じゃない。
——意味のないことなんてない。
——だから全てを失う。
「……っ!?」
飛び起きて、額の嫌な汗を拭う。
「まだ、暗いじゃない……」
カーテン越しの外の世界を見てつぶやく。
最近よく眠れない日々が続いている。
「仕方ない……」
「顔でも洗おう……」
口に出すことで無理にでも体を動かす。顔を洗い終えた後は、何もする気が起きず、じっと壁を眺めていた。
「眩しい……」
いつの間にか、かなりの時間が経っていたらしい。窓から差してくる光を浴びて、少し頭がすっきりする。
「朝ごはんを食べに行こう……」
動きやすい服装に着替えるために立ち上がる。
鏡を見ると、ただでさえ悪い目つきが寝不足でさらに悪くなっているが、気にせずに玄関を出る。
「行ってきます」
誰もいない部屋に向かって、私はそう言い残した。