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占いと人生

作者: アルパカ
掲載日:2023/09/10

 人生なんてただの暇つぶしでしかないのに、どうして私はこんなにも悩み苦しんでいるのだろう。ふと暇つぶしをしながら考えていた。こんなに苦しんでいるのに答えなんていつまで経っても出やしない。そんな私は占いに頼った。

今思えばあのころの私はすごく悩んでおり、誰かにすがりたいけど、すがれないって時に占いに行った。行ったというより引き寄せられたという方が正しいだろうか。気づいたら新宿の裏路地にある占いの館の前にいた。占いなんてただの娯楽に過ぎないことは分かっていた。よくテレビや雑誌でやっている星座占いや恋愛占いなどはイイことだけを信じることにしているし、暇つぶしするための足しにしかならなかった。そんな存在であった占いにお金をかけていくことになるとは思わなかった。無論、占いを否定しているわけではない。でも占いに行くまでの自分は、お金を払ってまで占いに行って何が得られるのだろうという率直な疑問があった。科学的な根拠がないからなのか信用できていない自分がいたのも本音としてあった。

しかし占いに行ったときの私は途轍もなく悩んでいたのだ。その時の私は不倫をしており、その人のことがもう大好きで大好きで辛くなってしまい、占いにすがったのだ。不倫していることを打ち明けた親友には「世間的にも良くないし不倫なんて誰も幸せになんてならないから、そんな恋やめておけ。その人はあなたをいいように使っているだけだよ。次の恋に進みたいなら今すぐ切るべきだ」と言われた。親友の言いたいこともとても納得できるし、頭では痛いくらいにわかっていた。次の恋に進むには幸せにしてくれない人を切ることが第一歩だという様な内容の本もたくさん読んだ。しかし好きなことを辞められたら苦労なんてしないし、どんなに楽だろうか。私のことを考えて言ってくれているのも分かる、そんな大切な親友に言われた言葉さえ、普段ならそうだなと真摯に受け入れることができることさえ、恋愛をするとできなくなるから不思議なものだ。心の中で親友に対して、私のことを思って言ってくれたことの感謝と共に「でもあの人の良さは私にしかわからない、あなたにはわからない」と思う自分もいた。典型的な恋をすると周りが見えなくなる女とは私のことだろうと思う。この時の私には〝恋は盲目〟という言葉でさえ盲目にしてしまうくらい相手が大好きだった。今考えると依存していたという言葉の方が正しいように思う。

私にしかわからないという言葉も、私は好きな人のことたくさん知っているという優越感さえ感じていた。

でも親友が言っている「次いい人が現れるためにはあなたがその人を切らないと現れない気がする」ということもとてもわかる。痛いほどわかっている。切る勇気を持って恐怖や孤独と戦いながらも行動した人にしかわからない素晴らしい世界も、私が切った先に繋がっているのかもしれない。それは不安な気持ちに寄り添い潰れそうになりながらも、勇気を出してこそ味わえるものだと思う。しかし私には保証されている未来なんてないし、そんなふうに踏み出す勇気がなかった。あの頃の私はとても弱かった。

未来のことなんてわからないからこそ不安にもなるが、親友が言うことも確信が持てなくて、もしこれであの人を切ったら新しい素敵な人が出てくる、幸せになれるという確信も持てなくて、行動にうつせなかった。ちなみに不倫相手は私にとって人として尊敬できる人であり、仕事や恋愛、人生など様々な相談にいつも乗ってくれて、私にとって的確と思える意見をくれており、心の支えとなっていたのも事実だ。

今考えると不倫しているという時点で、人として尊敬する立場にはないのに、客観的に見れば他の人が不倫していたらとても胸糞悪く評価が下がり、冗談でも人として尊敬できるなんて口が裂けても言えないのに。私は不倫相手に関しては「向こうも色々あるしな、大変だよな、だから力になりたいし、私が支えてあげたい」と思っていたくらいだ。盲目になるとここまで周りが見えなくなるのか。怖いものだ。ある意味、私は無意識に洗脳されていたのかもしれない。恋愛は覚醒剤を使用したときと同じ脳内物質が出て、恋愛している間は覚醒剤を使っているときと同じような感覚に陥ると色々な所で聞いた。私はまさに覚醒剤を使用したような感覚に陥っていたのかもしれない。客観的に考えて、おかしいことをあたかもこれが普通であるかのように思っていたのだから。

頭ではわかっている、心が追いつかないというモヤモヤの中一人で泣いた夜が何度もあった。泣いてもモヤモヤは晴れず、どうしたらいいのかと、このモヤモヤした苦しさをどうにかしたいと思い、すがる思いで占いに行ったのだ。

私の行った占いは透視や守護霊と会話をして過去、今、未来を見ていくというもの。パワーを感じ取れる、守護霊と会話し未来を見ることができるという、今考えると胡散臭い占い師だったなあと思う(とても失礼なことだが)。

占い師は私と私の相手の顔の写真をみて占いを始めた。分かると思うが、この時の私のメンタルはズタボロだった。ズタボロメンタルな時に行く占いほど中毒性は高い気がする。占いなんか信じるなとか、病んでいる時に占いは行くなとかいう人もいる。病んでいる時の他人の言葉ほど、良くも悪くも左右されるからだと思う。ただでさえ私は他人の言動に左右されてしまう性格であるため、尚更左右されてしまうのだ。

苦しくて苦しくて、でもどうしようもできないことに対して嫌気がさしていたのも事実である。そのような中で生きる意味さえ分からずにいた私は、誰かから「あなたはこうしなさい、そうしたらうまくいくから」という答え、道標が欲しかったのだと思う。誰かが示した道を歩きたいのかと言われれば、自分の人生なのだし自分の思うように好きなように進みたいと思うが、その先に何があるのか、幸せになる保障はあるのかと考えたら、自分の好きなように人生を送ることができなかった。ようは責任逃れだ。人生なんてただの暇つぶしに過ぎないのに。

自分で決めるよりも相手に決めてもらった方が、簡単だし何が嫌なことがあったら責任転嫁ができる。自分の人生なのに、人生のしたことに責任が持てない、責任が持つことが怖いなんて、私はとても自分勝手でわがままだなーと思う。

幸せになる保証もなければ、幸せにはなれないという保証もないのにね。だからこそ人は生きるのだと思う。わからないからこそもがきながら生きていくのだろう。これが生きる意味ではないかと思うが、私はまだこの生きる理由は納得できていない。

さて占いの話に戻るが、占い師は写真をみたあと、私と相手の性格や行動を見事に当ててきたのだ。目から鱗であったと同時に誰にもいえないで心の底に溜め込んでいた黒いものを占い師が代弁してくれて涙が止まらなかった。「あなたは周りから愛されているのに、自分は孤独だと感じている、それはあなたがあなたをダメな人間だと思っているから、周りはあなたを必要としている人がたくさんいるのに、自分に自信がないから自分に厳しいからそれが見えていない、あなたは天使のようにみんなを支えることができ、太陽のように光を灯すこともできる」と言われて、ハッと気づいたことがある。私はここ最近というかずっと自分のことだけしか考えていなかったなと。自分に目を向けてはダメ人間だと思い込んで、自分自身で自信をなくしていた。自己肯定感を下げていた。ふと周りの人達の顔を思い出してみる。家族、親友、小、中、高、大学で一緒に過ごした人達、大学生の頃にアルバイトしていた時の仲間達、看護師として一緒に働いていた職場の同期や先輩たち。みんな私の周りでは笑ってくれていた。みんな楽しそうにしてくれていた。時には真剣な話もするが、みんな私をしっかり見つめては大切にしてくれて、愛情を注いでくれていた。(また別の回で愛情については詳しく書こうと思う)

私が困っているときや悩んでいるときは必ず寄り添って助けてくれた。私のために涙を流してくれる人もいた。今、過去に出会った人たちの顔を思い出してみると皆笑っている姿しか出てこない。それは紛れもなく私がみんなを笑顔にできていたからかなと思う。というか思いたい。

私はいつも出会う人たちみんないい人で環境も良くて運が良いなと感じていたが、それこそ私自身の長所なのではないだろうか。運だけでこれだけの人に出会えたなら、運が良すぎてしまうなと感じるほど周りの人は、わたしには勿体無いくらい良い人達だと思う。表向きだけかもしれないが、「私と出会えてよかった」と言葉をくれても本音じゃないかもしれないが、私にはそれを人から引き出す能力があるのだと思う。人はどうでもいい人に出会えてよかったというものだろうか。大切にしていた人にいうものではないのか、それは言った本人にしかわからないけど。自分のことをたくさん褒めてしまい、申し訳ない。うぬぼれるな、自分。

占いに言って、わかったことはもっと周りを見渡すことだと思った。良くも悪くも私はつい自分のことばかりを考えてしまい、自己肯定感の低さからマイナス思考に陥り、自分の生きている意味が分からず死にたくなっていた。周りに目を向けてみると、こんなにも自分のことを大切に思ってくれている人がたくさん過去にも今にもいるのに。きっと未来にもいるはずなのに。

あと占い師に言われたのは、あなたは周りや環境を責めず、起こった悪いことを全部自分がいけないと責めてしまっている(天使タイプというらしい。相手に尽くして相手に頼ることが出来ず、自分で抱え込んでしまう人らしい)、もっと子供の時のように気楽に生きていい、何か問題が起こっても自分のせいだと思わず、この問題は起こらずして起こったのだなと、私がいてもいなくても起きていたかもしれないという感じで。まあそれも頭ではわかっているが、実践するのは難しい。もっと楽観的に考えられたら、どんなに生きやすいだろう。

これを聞いて、一つピンと来たことを思い出した。占いに行く前のことだが、親友と「タラレバ女」の話をしたことがあった。親友は「私は過去についてタラレバと思うことがない、過去も未来も運命も全部もう決まっていて、自分のレールを進んでいるだけだから、あの時ああしていればとか、していたらというように考えるよりも、もうこの道に行くレールが引かれていてそこを通ってきただけだから、タラレバは考えたことない」と言っていた。またもう一人の親友は「自分の過去の行動が今に繋がっていて、タラレバにならないように自分が選んだことが正しい、よかったのだと思うように過去の行動に、あの時のあの行動はこうなるようにしたことだったから必要なことだったのだというふうに裏付けをしながら生きている、だからあんまりタラレバを言わないかも」と話していた。二人とも大人だなぁと思う反面、自分だけタラレバ言ってしまうことがいけないような、置いて行かれているような孤独感みたいなものを感じた。

私は過去の行動に対して、結構タラレバを言ってしまう。自分の行動に対して自信がないからタラレバと言ってしまうのかもしれないが。そんな自分が嫌で嫌いだった。

占いに行ってから結局不倫はやめられず、その後一年間は不倫を続けてしまった。しかしあの時に占いに行って、自分自身と向き合うことができてよかったと今となっては思う。

あの時よりかは今の自分はそこそこ好きになれていると感じる。

今、恋愛や仕事、人間関係など人生で何か悩んでいる人がいるのならば伝えたいことがある。それは自分を責めないでほしいということだ。どんな自分でもしっかり愛してあげてほしいなと心から思う。大抵のことは絶対に時間が解決してくれるものである。だから暇つぶしだと思って生きることを辞めないでほしい。しんどい時こそ自分を抱きしめてあげてほしい。

私が占いに行って生きるということについて考えた時の話である。

今でも時々しんどい時は暇つぶしの一環で占いに行っている。

                            (完)

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