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忘却の勇者  作者: 佐藤 ココ
忘却の勇者
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 修行に明け暮れているうちに、ウィリアムたちは春の出口に立っていた。熱帯地域で過ごしたリアンにとって、春は新鮮で、生まれ故郷よりもずっと淡い花の色に感嘆の息を漏らしては、心地良い気温に微睡むこともあった。


 春が終わることが寂しくもあったけれど、リアンは新しい季節をもまた楽しみにしていた。焦ってもいたが。修行が終わる日が近づいていた。レオナルドは相変わらず逃げてばかりで怖がりで、リアンはいまだにレオナルドが苦手だった。


「もう無理……うわぁああああ怖いよぉぉぉぉぉ」

「レオ右だ」

「うわぁああああああ」


 悲鳴を上げながらもなんとか味方に迷惑をかけることなく獣から身を守ることができるようになったレオナルドは、リアンが獣を切り伏せているところを盾越しにみていた。


 逃げ足は速くなった。だけどそれだけ。


「あ、ありがとう」

「……帰っ…………」


 言いかけた言葉をリアンは飲み込んだ。逃げても良いと言い続けることも、重荷になるとわかった。彼が逃げないことももうわかっていた。


 ただ、戦力には未だなっていない。これから先、自分に能力が追いつくとは思えなかった。何せセンスがない。リアンですら祖父に及ばないというのに、とどうしても思ってしまう。足手纏いだと、口から出そうだった。


 そんなリアンの思いを理解したのか、レオナルドは泣き笑いのような顔をした。


「あ、あの。僕の能力はさ、目に見える範囲の人しか適応できないから」

「え」

「その、ウィリアムさんの側にいれば、傷を代わりに受け取ることができるから」

「いや無理だろ」


 間髪を入れずに突っ込んだ。


「それに、そんなことして欲しいとは思わないし」


 リアンは剣についた血をそこらの葉っぱを千切って拭う。


「おじいちゃんは多分、そんなことになったら自分を責めるし、僕だってそんな状態のレオナルド見たくないよ」


 だから役立たずなんだ、とリアンは心の中で舌打ちをしてレオナルドを見上げる。レオナルドはポロポロと涙をこぼしていた。


「な、なんで泣いてるんだよ!」

「こ、これはお腹空いて!」

「人体はそういうふうにできてないっつーの!」


 リアンより一つ上のこの少年は、えらく泣き虫だとリアンは出会って1ヶ月で気づいていた。戦いのたびに泣いていたからだ。近頃は泣いていなかったというのに、泣き虫はまだ治っていなかったらしい。お粗末な言い訳をするところも変わっていなかった。そういうところも受け付けない。

 

「泣き虫は嫌いなんだけど」


 リアンは服の袖でゴシゴシと乱暴にレオナルドの顔を拭いた。


「ち、違う! お腹が空いたんだ!」

「もうそれでいいよ。お腹空いたな。それに暑いし」


 訓練のせいか、もう夏が近いからか、汗がとめどなく流れていた。昼ごはんは軽くとったが、成長期の食欲はそんなものでは終わらない。


 それは、なんでもない雑談だった。

 レオナルドは熱い時に食べるものとして名前をあげただけ。

 夏の食べ物の名前を言っただけ。


 ただその単語が、なぜか、どうしてだか。



「うん、暑いし削り氷が食べたいね」

「え?」



 リアンの心に突き刺さった。


 削り氷。


 聞いたことがある気がした。その単語を聞いた途端、耳鳴りがした。頭が揺れる。胸が痛い。張り裂けそうだ。



「リ、リアン!?」


 背中がなぜか暖かい。祖父に抱きしめられているような幸福感と、父が亡くなったときの喪失感を同時に感じて、気が狂ってしまいそうだった。


「だ、大丈夫?」


 目の前でレオナルドが血相を変えて寄り添っているのが見える。彼を見ると、その痛みは治った。


「あ、うん。大丈夫」

「ほ、本当?」

「うん。問題ない。だから教えてほしい、その削り氷って?」

 

 心配そうに見守るレオナルドを促す。それが何なのかを早く知りたかった。何かがあるのだと思った。


「シラーユ大陸ではスルプ山脈の高地で取れた氷を春の間に氷室に保存して、夏になったら削って蜂蜜をかけて食べるんだよ。それのこと。孤児院でよく出て好きだったんだ」

「そうなんだ」


 名が表す通りだった。体が過剰反応を示した理由が見当たらない。本当になんでもない食べ物のようだった。


「レウコン教とかと関係があったり?」

「いやないはずだけどなぁ。今度食べてみる? もうそろそろ街で出るはずだよ」

「あぁ、うん」


 森を出る道を慣れた足取りで進みながら、リアンは考え事に耽る。


 何かを忘れているような気がした。大事で、大好きで、大切だった何かを、遠い昔に忘れて見つけられないでいる気がした。


「食べたい、けど……」

「そっか。じゃあ今度ウィリアムさんに頼もう」


 レオナルドは心配そうにリアンを伺いながらも何も尋ねなかった。それがひどくありがたかった。尋ねられたところで、何一つ答えられなかったから。


「「ただいま!」」


 宿の扉を開くと、ウィリアムがひと足先に帰り、夜ご飯の準備をしていた。


「おかえり」


 ウィリアムはいつものように二人を出迎えた。


「今日はチュシーだ。芋が安くてね」

「やった!」


 お腹が空いていた二人は、定位置の椅子に座った。掻きこむように食べる二人が喉を詰まらせないだろうかと、ウィリアムは心配そうに、けれど幸福そうに二人を見ていた。


「おいしいか」

「「うん」」

「そうか。私が帰ってからはどうだったんだ?」


 ウィリアムは食材の買い出しなどで、最近は先に家に戻ることが増えていた。リアンの強さを信頼するようになったからだ。レオナルドも、滅多なことでは怪我をしなくなっていた。


 何かあったらすぐに逃げること、無謀な挑戦はしないことを約束に、二人は訓練を積んでいたのだった。


「レオがビビって逃げまくってたしなんか泣いてた」

「馬鹿! 言わなくてもいいだろ!」

「大丈夫だったか? 無理してないか?」

「大丈夫です!!!」


 レオナルドは照れを誤魔化すようにチュシーを頬張る。ウィリアムはそれ以上聞いても教えてくれないだろうと踏んだ。その通りだった。


「あ」

「ん?」

「リアンが削り氷が食べたいそうです。ウィリアムさん知ってます?」

「あぁ。いいよ。今度行くか?」


 リアンは食べかけていたチュシーを喉に詰まらせて咽せた。


「リ、リアン? 今日どうしたの!?」

「な、なんでも」


 嘘。胸が苦しくなってきていた。さっきと同じ。ただ、さっきとは違って叩かれたように背中が痛い。まるで今はその時ではないと、体が知っているようだった。


「や、今度でお願いしたいな」

「え?」

「なんか、今じゃないっていうか……」


 ウィリアムとレオナルドは彼の思春期を疑った。13になった。そんなお年頃だろう、と思ったけれど、そう言うと怒られそうだったので口をつぐむ。


「そうか」

「じゃあ今度だね。まぁ最近蜂蜜高いらしいし」

「そうなのか?」

「え、あぁ、はい。鳥とか虫とか、最近どこにも見ないんだってこの前斜向かいの農家のおじちゃんが言ってましたよ。この前たくさんの虫が移動しているのをみてからどこにもいないんだって」


 ウィリアムはスプーンを置いた。


「大移動?」

「はい。まるで何かから逃げてるみたいだと」


 嫌な予感がした。


「すまない。少し教会に行ってくる」

「僕たちも行くよ」

「いや、待ってろ」


 ウィリアムは二人の頭を撫でた。心配そうにウィリアムを見上げる二人の口元にはチュシーが少し付いている。それが微笑ましくて、ウィリアムは自然に笑えた。


「すぐに帰るから、大丈夫だ」


 腕輪を擦る。二人の前からウィリアムの姿が消えた。それから二人は皿を洗い、剣の手入れをして、ウィリアムの帰りを待った。無情にも時計だけが進む。いつもなら寝る時間になっても、ウィリアムは帰ってこなかった。



――――クァグァガガガガルァァァァァァアアアアアア


 

 ウィリアムは帰ってこない。代わりに家には何かの鳴き声が飛び込んできた。


「レオ!」

 

 勢いよく宿を飛び出す。片手には剣を、片手には盾を携えた。


「うぁ、リ、リアン」


 カタカタと震えながら、レオナルドが顎で空を指す。


「あ、あれ……!」


 空には、氷を吐きながら空を飛ぶ、三つの首を持った鷲が舞っていた。

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