28
シラーユ大陸はウィリアムたちが暮らしていたセニオ大陸とは違い、春夏秋冬がある地域もあり、砂漠がなく、ジャングルも存在しない。山頂が見えないほど高い山もあり、リアンは初めて見る景色にうっとりとしていた。植物から空気感まで、何もかもが違う。すべてがリアンには新鮮だった。
ウィリアムは幼いころシラーユ大陸に住んでおりセニオ大陸に移住したため、むしろ懐かしさを感じていた。ウィリアムは新天地を求めて人々が海へ飛び出した、大航海時代の生き証人だった。セニオ大陸の勇者に一番に会いに行ったのは、それが理由。文化が比較的近い町ならば、リアンもすぐになじめるだろうと判断したのだ。
「なんで! 僕は違う!」
だが、その選択は間違っていたかもしれないとウィリアムはすでに思った。目の前の少年は自身が勇者ではないと叫んでいる。しかし、神がくれた腕輪が間違いだとはにわかに信じがたい。
「すまない。一つだけ質問に答えてくれるか?」
元軍人と言うことも相まって、ウィリアムは顔に傷があるうえに、優しいとは言い難い風貌をしていた。それを自覚しているからこそ、できるだけ丁寧に尋ねる。
「メランと言う神と、【この本を読んではならない】という本に覚えは?」
少年はびくりと肩を震わせた。少年は恐怖で声も出せずに震えている。呼吸の仕方を忘れてしまったように、不規則な鼻息が聞こえた。
このままでは埒が明かない。ウィリアムは味方だという意思表示のために、一番のカードを切る。
「違う、糾弾したいのではない。私もなんだ」
少年はそこで初めてウィリアムの顔を直視した。青い目がウィリアムの茶色い目を捉える。半開きになった口は、しかし音を発することはない。
「私も封印を解いたんだ」
悲哀が籠った言葉に、少年は間髪入れずに叫んだ。
「助けてください」
「え?」
「ついていきます、だからどうかここから逃してください!」
先ほどとは打って変わってウィリアムに縋り付く少年は、味方だと二人を認識したらしい。
「はやく! ここに居たら僕は死んでしまう!」
***
「落ち着いたか?」
ウィリアムとリアンは手頃な宿に入り、ベッドの上に彼を座らせた。
「私はウィリアム。こっちは孫のリアンだ」
「レオナルド、レオでいいです」
「そっか、レオ、よろしくな。私は記憶を犠牲に未来を視る能力を得て、セニオ大陸で勇者として任命されたものだ」
その言葉にリアンが勢いよく横に座るウィリアムを見た。リアンは何か言いたげに口を開けては閉じていたが、結局、何も言わなかった。ウィリアムはあえてリアンのことを見なかったから知らなかったが、リアンは今にも泣き出しそうなほど眉を下げて口を歪め、ふくらはぎを抓ってなんとか涙を堪えていた。ブローチのことを思い出していたのだった。
レオナルドという少年は忌々しそうに自分の手を凝視していた。
「僕は、他者の傷を自分に移す能力」
ウィリアムは息を呑んだ。酷な能力だと思った。少年は肌を掻きむしる。
追い詰められた子特有の動きだとウィリアムは思った。
「能力は行使させられたか?」
「いいえ」
「そうか」
ウィリアムはひとまず安心した。少年が他者の傷を自分に移しているところなど見るに耐えなかった。間に合ってよかった。いずれはそうやって戦場で使われてもおかしくない。
「だけど僕も同じです。勇者だと神殿に言われました。それからすぐに逃げました。逃げてた時に、二人に会ったんです。もう追手は出されているはずです。ウィリアムさんも同じですか!? ここから僕を助けるために来てくれたんですか!?」
レオナルドは目を輝かせる。驚きと、期待と、喜びの交じった声。
「よかった。僕嫌なんです。戦うのもごめんです。痛いのは嫌です。傷は怖いです。勇者になんてなりたくないです。自分の命より守りたいものなんてありません」
その瞳は嬉しさからか水を零す。ウィリアムは共に戦ってほしいと言えずに固まっていた。
言えるわけがない。
自分の孫と同じくらいの少年に、戦えとどうして言えるだろう。戦いたくないと涙を流す少年に、どうして無理強いできるだろう。
「逃がしてください。無理なんです。頑張れません。僕は嫌です。勇者も英雄も嫌いです。なりたいとは思いません。名誉で腹は膨れない。神様はもっと嫌いです」
「…………そうか」
「ウィリアムさん?」
その言葉は、ウィリアムが仲間を諦めるには十分だった。リアンと同じくらいに彼は幼い。自分とは違う。無理強いはできないと判断した。
「そうか、わかった。邪神メランは私が伐つと神殿に伝えよう。幼子を戦場に立たせるわけにはいかないものな。早く君を解放しなくては」
「え?」
「リアン、俺は神殿にいくが、来るか?」
「いい。ここで練習を続けとく」
「そうか」
「え? ウィリアムさん?」
動揺するレオナルドを他所に、ウィリアムはリアンの頭を撫でて宿を出て行った。こうなれば一瞬一瞬が惜しい。ここで時間を浪費するよりも、神の情報を集める方が得策であるとウィリアムは踏んだ。自分がいれば、彼がこれ以上苦しむ必要は減るだろうと予想した。
「リアン、レオナルドを頼んだぞ」
「うん」
ドアが音を立てて扉が閉まる。二人は宿に取り残された。レオナルドは堪らずリアンに話しかける。
「どういうこと? なに? ウィリアムさんは戦うの?」
「そうだよ」
リアンは剣を取り出しながら続けた。胡座をかいて素振りの練習を行う。昔からの日課だった。父が亡くなってからは自分がいつ倒れても生きていけるようにと、リアンに武術を手解きしてくれたのもウィリアムだった。
「ウィリアムさん、は、戦うの!? なんで? どうせもう終わりだよ! 傷つくだけだ!」
レオナルドは肌を掻きむしりながら力が抜けたように座り込んだ。リアンはため息をつきながらレオナルドの痒みを止めるために剣を置いた。
「掻くなよ、悪化するだろ」
「痒くなるんだよ!」
「はぁ」
「それよりなんでだ! 戦う必要ないのに!」
「封印を解いた罪を償うためだってさ」
「別にそれは罪じゃないだろう! 仕方がなかったことじゃないか」
リアンは唇を噛んだ。それはリアンが一番思っていることだった。
「僕もそう思うよ」
悔しかった。祖父がまたこうやって新しい苦しみを背負おうとすることが嫌だった。全部を放棄して自分と逃げて欲しかった。
「けどおじいちゃんは、そのせいで人が亡くなったところも、僕が死にかけたところも見てるから」
掻き傷を消毒し、綺麗な布で患部を覆う。染みるらしく、レオナルドは目をぎゅっと瞑って痛みに耐えた。
「そ、れは」
「でももう心配いらない。おじいちゃんはレオを逃すって言ったんだ。レオは戦わなくていい」
「それって本当なのか? そんなことできるのか?」
半信半疑。そりゃそうだろう。だから言った。
「うん。おじいちゃんと僕が代わりに戦うから、大丈夫だよ」
だからリアンは笑って見せた。祖父の口癖を真似た。大丈夫だと、祖父はいつも人々を安心させるために微笑む。そんな祖父に憧れていた。
「〜〜〜〜〜っ!」
「できたよ、治療は終わり。いずれ痒みは治るよ」
リアンは再度剣を握った。レオナルドはその様子を焦点の合っていない目で見ていた。
レオナルドは任命された時のことを、思い出していたのだ。
『孤児院の本に邪神は封印されていたのだな、そうか』
『……』
怖かった。逃げ出したかった。邪神とあった時点で、レオナルドの涙腺は決壊していた。怖くて怖くて逃げたかった。なんで自分なのだと思った。自分の人生は嫌なことばかりだと思った。
『勇者になれ。邪神を討つのだ』
『無理です』
小さく速く呟く。
『絶対に無理ですあいつは人が倒せるようなものじゃない死にたくないんだ僕は大体僕は悪くない悪くない悪くない悪くない』
そんなレオナルドを説得しようと、大神官は何度もレオナルドに話しかけた。
『そうは言っても、勇者以外はそもそも邪神がいる世界樹に到達できないんだよ、あそこは神々と縁近いもの――――能力を得たものしか入れないんだ。他に適任がいるのならそちらに頼むさ』
『だとしても無理です!』
そうして今日、日の登る頃に逃げ出したのだ。
朝から何も食べずに走った。必死だった。だってごめんだ。血は怖いし痛い。あんなふざけた能力を使う気はさらさらない。
(逃げられるのなら、良かった)
レオナルドはベッドに倒れた。疲れが溜まっていた。