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世界樹だけが、そのすべてを知っていた。封印が解けてからの4年間、誰にも存在を認知されず、ただ片っ端らから本を読み、本を目につく場所に移動したり、殺されるはずだった人を救うために獣を倒して回り、ウィリアムたちが極力傷つかないように、同じ失敗をしないように、レウコンの狙いとメランが生まれた理由を知らせるために奔走していたのを見守っていた。人間個人に味方をしないと、レウコンのときに学んでからは決めていたのに、思わず枝を与えたくらいには同情していた。
レウコンは何も知らない。なんとなく動けなくなって、動きたくなくなっただけだと思ってた。今だって、ただ一柱。死の危機に瀕していない彼女だけが、ゾラの姿が見えていない。ただ、メランが苦しんでいるだけに見える。事情を知るために、彼女は一旦静観し、事態を把握しているらしいウィリアムたちの言葉を聞いた。
「あ、あ、私は、あの子は……!」
根元でウィリアムが震えている。彼には一回目はおろか、二回目の記憶もない。それでも、それでも彼は、彼女の方へと手を伸ばしている。
≪あちらをみなさい。よく見えるようにしてあげます≫
「木が、話っ」
≪……よくみてなさい≫
数え切れないほどの葉がウィリアムの視界を埋める。思わず瞬きをすると、その間に葉が重なりあい、彼らの様子がそこに映った。メランに向けて大剣を振るうゾラの姿に、彼らが何なのかは分からないが、彼女を助けたいと思った。助けなければと思った。
「行かせてくれ……!」
ウィリアムは立ち上がり、彼らに向かって手を伸ばし叫んだ。ウィリアムの手は空をつかむ。その手が彼女の手を握ることはできない。
「彼女は私の大事な人なんだろう!? わかる、わかるんだ……!」
声がみっともなく上擦る。なにも思い出せないのに、自分が誰かを愛していたことはわかる。守りたい人たちがいたことがわかる。
「誰だ……!?」
頭を掻きむしり下を向いたその時、足元に小さな黒い何かが落ちていることにウィリアムは気づいた。
≪何をギリギリまで探してるのかと思えば……あなたのものです、持ってなさい≫
ウィリアムは黙ってそれを拾いあげた。小さなメモ帳。なぜか、それをみなければいけないと思った。
「…………あ」
孫、と言う文字に目が留まる。名前が出された三人の少年少女も見当たらない。タル―ラと言う少女だろうか、と思考する。そのとき、世界樹の裏から這いながら一人の少年がやってきた。急いで駆け寄り、抱きかかえる。
「勝ったの……?」
目立った外傷はないが、ウィリアムよりも憔悴している。ウィリアムは世界樹が見せてくれた戦場の様子を見せようと、彼を連れていった。
「……だ……れ、いや」
レオナルドが震えだす。ウィリアムは見知らぬ少年の背中を撫でた。その行動が自然に出てきたことに驚いていた。
「知って、なんで、僕……」
レオナルドの頭が割れるように痛む。
「うぁあああああああああああああああ」
死の危機に瀕して別の世界との距離の方が近くなっている彼は断片的に一度目の人生を思い出した。全てを失ったウィリアムは瀕死ではあるものの、思い出せはしない。だから代わりにレオナルドが教えた。
「あの子は…………あの子は、ゾラ。僕たちの家族。黄金色の夜明け」
その瞬間、風が吹いた。パラパラとメモ帳がめくれる。革でできた裏表紙の前で、紙は止まった。
【私を見てて】
それまでの文字とは違う、小さくて丸っこい字。あの世との距離が近くなったウィリアムたちは、この世界に忘れられたゾラの書いた文字が読めたのだ。
「ああ、みてる」
レオナルドは地面に向かって呟いた。
「みてるよ」
ウィリアムは声も出せない。二人は黙って、その勇姿を見続けた。
***
――――――スタンッッッッッッッッッッッッッ
ゾラは舞う。穿つ、走る、斬る。時間は夜。その葉一枚一枚が光る世界樹に照らされて、彼女の姿はどこか神々しくさえ見えた。
「舐めるなよ、小娘!」
真っ二つに折れた剣を再生させる。代償は生命力。メランにはもう、失えるものが亡くなっていた。しかしそれでも、メランは味覚と嗅覚と視力を失いながらも、正確な攻撃を繰り出してくる。
(大丈夫。もう代償にできるものなんてない。復活することはない。大丈夫、勝てる)
ゾラは冷静に攻撃を躱す。
「我は人間を亡ぼさなければならぬのだ!」
疲れでメランの攻撃が大降りになる。そのすきを見逃さず左腕を切り落とした。
「世界樹を、この世界を、守らなければいけないのだ!!!」
メランの息が上がる。神は腕を切り落とされ、視覚を失い、満身創痍になったいまも、その闘志を失わない。
「レウコンを滅ぼし、人間を殺し、美しい世界を作るのだ!」
「わかってる! 世界が人間なんていらないって思ってるって知ってる! そう思われるのもわかる!」
鍔を迫り合わせ、ゾラとメランの身長差が明らかになる。ゾラは神を見上げながら叫んだ。
「人間が世界を蝕んでるのを見てきたから! 恨んで煽って殺して罵り利用し捨て去り裏切り嬲るのを見てきたから! 私も! 私だってそうだから!」
ゾラは二度目の人生で世界を駆けまわってウィリアムたちのために飛んだ。利用されていた人、復讐に走る人、殺人衝動に苦しむ人、自分の思想と違う人を燃やす人、たくさんの人に会った。
『削り氷が食べたいな』
二度目の人生は一度目の人生と様々なことが変わった。変えた。だけど、その分不測の事態も起きた。一度目の人生で生きていた人も大勢が死んだ。
リフカ大陸で毒に汚染された水を飲み死んでいった人も、のどの渇きを訴えて、冷たいものが食べたいと訴えた人も、一度目の人生ではいなかった。追い詰められたゾラを引き取った貴族がお金の無心をすることも、一度目はなかった。
行動をすることの恐ろしさに震えた。できるだけ転移をしたくないからと様子を見に行かなかった自分のせいだと思った。 なんてことをしてしまったのだと震えた。
人を殺す人間を憎悪していた。
人をだます人間を嫌悪していた。
人を否定する人間を唾棄していた。
自分だってそうだと気づいた。気づかされた。意思を持つ限り、人は人を否定し騙し裏切り泣かせて傷つける。そうやって生きる。生きていくしかない。
「だけど! 虫がいいことを言ってるってわかってるけど!」
片腕だけになったメランとは力は互角。ゾラは一瞬の隙も見逃すまいとその目を限界まで開く。
「世界と一緒に生きることを!」
ゾラは渾身の力で振りかぶった剣が、メランの頭に触る直前で止めた。同時に、メランの剣もゾラの腰を斬る直前で止まった。
「どうか許して!」
メランの顔が驚愕に歪む。
「そなたらは我らを滅ぼしたいのではないのか? レウコンが世界樹を切るために、我を殺そうとしているのではないのか?」
「違うよ」
ゾラの手が震える。体力も気力も限界だった。
「貴方が人間を滅ぼすのを止めにきたの。私は、私のことを大事にしてくれた、家族を守りたいから」
メランは息を呑んだ。
「レウコンにだって消えてもらう。彼女は人の身で生きすぎた」
ゾラの息が上がる。胸が音を鳴らす。汗がまつ毛に溜まる。
「意味がわかってるのか? これからだって人が過ちを起こすたび、我らは災害を起こすぞ。獣たちを守るぞ。無駄な知能から死に怯えながら、そんな世界で生き続けると?」
「ええ」
ゾラは晴れやかに笑った。
「大好きな人たちがいるから。その人たちとの思い出があるから、もう十分」
「…………あの老人も、似たようなことを言っていた」
メランは剣を構え直した。
「世界なんてどうなったっていいと。そなたたちがいればそれで十分だと。利用されてもいいのだと。どこかで幸せに生きていてくれたらそれだけでもう幸せだと」
間合いを図る。メランは心なしか笑っているようにゾラには見えた。
「そうか。そなたたちは、選んだのだな」
メランは闘志を剣に乗せ、ゾラに、ウィリアムに、レオナルドに、世界に叫んだ。
「最後の勝負だ、忘却の勇者」
陽が登りかけていた。夜空が東からゆっくりとなくなっていく。
「我が名はメラン。黒き神」
彼の剣が漆黒の剣気を纏う。その姿は夜空を背負い、神々しさを増している。
「世界樹の子にして世界の王」
彼は豪胆に笑った。
「最後まで足掻いてこそ、我が生に誇りを持てよう。さぁ勇者よかかってこい。我を超え、世界と人間が共に生きられると証明するが良い!」
最後の勝負が、始まった。




