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忘却の勇者  作者: 佐藤 ココ
削り氷と神話の終わり
26/30

16〜18

リフカ大陸についたゾラたちを迎えてくれたのは、大神官とゾラの父母を名乗る貴族だった。


「勇者様方、よくぞお越しで! 娘が迷惑をかけておりませんか」


 明るく優しい声にも関わらず、ゾラの顔がこわばった。ここまで共に過ごしてきたウィリアムたちは全員、そのことにすぐ気がついた。


 最近はようやく肩の力を抜いて話すようになっていたのに、出会った時のような硬い口調に戻っている。


 ウィリアムたちは目配せをして、ゾラを守るべくその場を穏便に離れようとした。ウィリアムが彼らの相手をして、リアンたちがゾラを守る防波堤となり、その場を去るという手段が採用された。


「――――――」

「―――――――――?」

「――、―――――!!!」


 その場を離れながら、ゾラは恐怖で肩を震わせた。聞かれたのだと思った。彼らはゾラを恐れている。ウィリアムたちに忠告しただろう。


《あの子に好かれたら死にますよ》と。

《死神ともっぱらの噂です》と。


 望まれて生まれなかったことも、母が死んで叔父夫婦に引き取られたことも、義父母に死を期待されて傭兵団に放り込まれたことも、勇者になった時に父を名乗る貴族に引き取られたことも、それがお金目当てだったことも、そうしてゾラが心を許した人物――――母や傭兵団は、全員惨たらしく死んでしまったことも、合わせて伝えたに違いない。


 彼らは善意でそういうことをする人間だ。


「ああ」


 ゾラは顔を覆った。知られたくなかったから。


(知られたくなかった?)


 そんなの、まるで()()()()()()()()()みたいじゃないか。心を許してしまったみたいじゃないか。


「違う、好きじゃない。好きなんかじゃない」



 身震いする。ゾラ用に用意された部屋の扉をリアンが開けてくれたので、お礼を言って部屋に篭った。長椅子の扉から最も遠い位置に小さく座った。一人になりたかった。


「ゾラ」


 ウィリアムが部屋の扉を叩き、名前を呼ぶのが聞こえた。返事をしないでいると、ウィリアムは言う。


「三つ数を数える間に嫌だと言わなければ入るぞ」


 一瞬とも永遠とも思える時間が過ぎて、ウィリアムは部屋に入ってきた。ゾラは何も言えなかった。声が出せなかったのだ。


「ゾラ、獣王はまだ現れていないそうだ。一旦は領土に湧いた異形の獣たちを倒しに行くようにとのことだ」

「…………え」


 ゾラは震えながら後退りした。


「聞いたんじゃ、私のこと、私、死神、ウィリアムさ、だ、なん、どう」

「落ち着け」


 ウィリアムは目線を合わせた。


「大丈夫。何も聞いてないよ」


 嘘。そんなわけがない。あの甲高い声は逃げるように廊下を進んだゾラにも聞こえていた。


 ウィリアムは知らないふりをしてくれたのだ。


「やめてよ…………」


 なんて残酷なことをするのだと思った。自分が触れて欲しくないことを予測し、自分の傷を癒すための最善手を探してくれる相手をどうして嫌いになれるだろう。好きにならずにいられるだろう。

 ゾラはウィリアムを嫌いにならないといけないのに。

 好きになっちゃいけないのに。

 

「ゾラ?」


 ほら、やっぱり優しい声。

 優しさが痛くて、ゾラは叫んだ。


「嫌なやつになってよ、ずけずけ踏み込んで嫌いにならせてよ、無責任にきいてよ! そうじゃないと、私」


 敬語という心を守るための防波堤は、ウィリアムによって粉砕された。自分のものと思えないほどか細い声が出る。


「ウィリアムさんたちのこと好きになっちゃうじゃない…………!」


 ばか真面目な上に誰よりも寂しがり屋な彼も、臆病だけど誰よりも勇気がある彼も、口が悪いけれど誰よりも気にしいな彼女も、口数が少ない上に隠し事が上手で、家族を安心させるために優しい嘘を吐く、誰よりも家族思いなこの老人も。


 ずっと見ていた。距離を置いてはいたけれど、本当に見ていたから知っている。彼らの欠点を、それを凌駕する長所を。


「ダメなのか?」


 好きになったらダメだ、と理性は言う。

 大切だと感情が叫ぶ。

 愛したい愛されたいと心が願う。

 体が大切な人を失ったことを覚えている。


 そんな資格はないのだと、ゾラはちゃんと知っていた。


 

「だって死んじゃうもん! みんなみんな死んじゃうもん!」


 ダバダバと大粒の涙が地面に落ちる。もう自分を作れなかった。子供が駄々を捏ねる時のように稚拙な言葉を羅列してしまう。余裕なんてどこにもない。


「ウィリアムさんだって死んじゃうんだから!」


 夢見てしまえば、望んでしまえば、手を伸ばしてしまえば、ウィリアムたちも死んでしまう。そんな未来は許容できない。そんな世界じゃ生きていけない。


(今私は死ねないのに。好きにならない以外の方法がないのに)

 

 涙はとめどなく溢れるのに、笑みだけが渇いている。ウィリアムは、そんなゾラの前に片膝を立てて座る。


「死ぬ、か」

 

 ウィリアムは少し悩んで肯定した。


「そうだな、まぁゾラより早くは死ぬだろう」


 ゾラはひゅっと息を呑む。


「そうでないと困る、私はもう老人なんだから」


 ウィリアムは言葉をゆっくりと選んだ。

 能力の代償にウィリアムはここ10年以前の記憶を失った。だから、大切な人を失ったその瞬間の経験が思い出せない。そんな自分が言えることなんてたかが知れている。


 それでも、この少女の涙を止めたかった。笑っていて欲しかった。


「記憶を失ったから、ゾラの気持ちがわかるとはいえない。だけど考えることはできるよ」


 ゾラは呆然とその言葉を聞いていた。


「彼らが大切すぎて、その後の毎日が辛すぎて、思い出に鍵をかけて隠さなければ一人では到底生きていけなかったんじゃないか。それで、自分を責めて向き合うことから逃げた」


 ゾラよりもゾラのことをよくわかっているような口ぶりに動揺して、声が漏れ出す。


「なんで」

「私もそうだったと思うんだ」


 ウィリアムは目を伏せた。自分の愚かさに顔が青くなるような話だった。


「あまりに辛いからここ10年ほどあまり思い出さないようにしていたんだ。リアンを見て彼らを思い出すとうまく笑えなくなるから。今はもう、リアンを見ても何も思い出さなくなった」


 愚かだろう、とウィリアムは自嘲した。


「老人からの忠告だがね、大切なものはちゃんと大切にするべきだよ。隠した場所を忘れる前に、愛された記憶を思い出せ。私みたいに後悔することになる。もうゾラは思い出せるだろう? だってもう一人で生きていく必要はない」


 愛された記憶が次から次へと蘇る。いつか見失ってしまったことを、ようやく許せる日が来る予感がした。ウィリアムたちと一緒なら、きっとすぐだと信じられた。


「そんな能力あるもんか。神が与えられる能力は一人一つだろう、その時点でわかってたことじゃないか。それともなんだ? この転移の腕輪みたいなものを神殿から受け取ったのか?」


 首を振る。ウィリアムは満足気に頷き、大丈夫だとゾラを抱きしめた。ゾラはその日、物心ついて初めて人の胸の中で泣いた。


「どうしてそんなに優しいの」


 ゾラは尋ねた。信じられなかった。


「どうして私なんかに優しくしてくれるの」


 ウィリアムにとっては考える必要もないくらい簡単な問いだった。一拍も置かずに答える。


「そりゃあ、ゾラが好きだから」


 当たり前みたいに返された言葉が信じられない。


「私は最低でクズみたいな―――――――」


 ゾラの言葉をウィリアムは盗んだ。それ以上彼女に、自分を貶させたくなかった。貶めてほしくなかった。


「それ以上は怒るぞ、私の孫をそう貶すなけなすな。大事な人なんだ」


 孫。

 彼はそう言った。

 もう家族だと、自分を抱きしめながらそう言った。

 それは、ゾラが心に建てた壁を壊すに十分すぎる言葉だった。


「私のこと、嫌いじゃない……?」

「馬鹿だなぁ」


 ウィリアムは彼女をもう一度強く抱きしめた。


「嫌いなわけないだろう、嫌いになれるわけがないんだ」


 みっともないくらいの涙が出る。ウィリアムが何も言わないから、ゾラは安心して大声で泣いた。


「大丈夫、ゾラはきっと今よりもっと幸せになる」


 ウィリアムは背中を優しく叩いてくれた。


「ゾラは黄金色の夜明けって意味だと、交易に来ていた商人が同じ名でな、教えてもらったんだ」


 黄金色の夜明け。

 今までの人生は、夜明け前の最もくらい時間だったのかもしれないね、とウィリアムは言う。


「大丈夫。夜明けは来た」


 それから、ゾラはウィリアムをウィル爺と呼ぶようになったのだった。






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