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想像通りに体が動く。肩の可動域がいつもよりも広い。レオナルドの手によって体の機能が若返って初めて、自分がいかに歳を取ったのかを自覚する。自分では全く気づいていなかった。ずっと若いまま、孫たちを保護するものとして、その腕を振るえていると思っていた。
『図書館に勤めることになった』
『――――じゃあ、ずっとこの家にいるってこと?』
『ああ』
『そっ、か…………』
『リアン、どうした? 大丈夫か? 嫌だったか?』
『ううん、嬉しい。嬉しいけど』
『うん』
『…………僕のせい? それは嫌だ。僕のせいでおじいちゃんが苦しむのは絶対嫌だ』
『――――はは、違うよリアン、リアンのせいじゃないしリアンのためでもない』
『え?』
『私が』
記憶がどんどん溢れていく。この旅の始まり近くまで、ウィリアムは記憶を失っていた。
『私が、可愛い孫ともっと一緒に居たかったんだ』
だから無駄にできない。ウィリアムは記憶を犠牲に見た未来を存分に生かして剣を振るう。攻撃はメランの肩をとらえた。
「知能と想像力は比例しない。何かを生み出す人間は、その影の被害を想像できない」
ウィリアムに肩を切られながらメランは呟いた。それは至近距離にいるウィリアムにギリギリ聞こえないほどの声量だった。踏み込みが浅く、傷は小さい。ウィリアムは立て直すために一歩下がる。メランもまた、息を整えるために下がった。
「なぁ勇者よ」
またしても膠着状態に陥る。互いが剣先を微細に動かし、隙を生もうと試みた。
「人間に絶望しないか?」
攻撃を幾度となく喰らったために、鎧はすでに半壊状態。耐えてあと2発だった。
「そなたを見ておったから知っておる。そなたも世界樹のように民衆に利用され、責められ、貶され、罵倒されておっただろう? それでもなお、人類のために挑もうと思うか?」
―――――キィィィンッ
振りかぶったメランの胴を切り刻むべく右足を踏み込む。妨害すべく繰り出されたメランの剣と剣がぶつかった。
「思わないよ」
「そうだろう!」
掠ったメランの一撃で鎧に亀裂が走る。
「だけど、」
ウィリアムはこれが最後だと能力を行使した。
『現状に耐えられず、今は暴走していますが、いつかわかってくれます』
旅の途中で、自分のために泣いてくれた軍人がいた。
『生き残るための一番の方法は、耐えることなんだよ』
過去を悼みながらも今を生きる族長がいた。
『ご武運を』
国を背負ってなお、大戦犯の勇者のために動いてくれた王がいた。
ウィリアムは今までの人生のほとんど全てを失ってなおそれでも、ウィリアムは言える。残ったその少しでさえ、自分が大切にされていたと実感するには十分すぎる。
「私には孫たちがいる」
剣と剣が交わる。
「それに、孫以外にも見捨てずに私を大事にしてくれた人がいたはずなんだ」
ウィリアムは未来を見て、彼らの記憶を失った。
残るは孫たちの記憶のみ。
だけどそれで十分だった。
「私はな、メラン。お前のいう通り世界はどうでもいい」
大事で、大切で、大好きな、自慢の孫たちがいる。
「ただ、孫たちが好きなんだ。利用されたって構わないと思ってる」
それは、奇しくも世界樹と同じ考えだった。
「それですら嬉しいんだ。笑ってくれさえいればいい。幸せでいてくれればいい。遠くに行ってしまったら、それは寂しくてたまらないけれど、それでもそれが彼らの望みなら別にいい」
メランの力が一瞬緩む未来を見た。それを生かしてウィリアムはその隙を見逃さずに力をいれて吹き飛ばし、彼の頭に向けて剣を振り下ろす。
「彼らの願いを守りたい。他の奴らがついでに救われるだけの話だ」
「はっ」
メランは剣でそれを受けるものの、体勢を崩して倒れる。ウィリアムはその上に馬乗りになった。
「傲慢だな、自己中心的な考えだ。実に人間らしく、勇者らしい」
「ああ、だって神じゃない」
勇者は神に剣を振るった。最後の一撃。ウィリアムの体ももうボロボロだった。
「神になど、なりたくもない!」
神の剣が音を立てて真っ二つに割れる。神はその出鱈目さに声を上げて笑った。
「強いな」
苦笑してしまう。ここまで追い詰められるとは想像もしていなかった。老人だと侮っていたのが間違いだった。神は、彼は戦士だと、尊敬に値する存在だと認め、認めた上で抗った。
「――――――――だがまぁ、お前の負けは変わらない」
神はその体を再生させ、ウィリアムを突き飛ばす。
「能力、発動」
傷だらけだった彼の体は、みるみるうちに元通りになった。
「味覚と嗅覚と視力とを代償に選ばせてもらったよ。意味がわかるか? そなたの負けだ」
ウィリアムは咄嗟に未来を読んでメランの攻撃を避けた。心臓がなる。自分の体が傷だらけで、気力だけで動いている状態であることは理解していた。鎧も壊れた。状況は絶望的と言える。
繰り出される攻撃を避けるために、ウィリアムは咄嗟に未来を見る。
『おじいちゃん、大好き!』
名前もわからない誰かの声を思い出し―――――――
―――――――――ウィリアムは、すべての記憶を失った。
「ぁぁぁぁぁあああああああああああああ!!!!」
「はははははははは、そうだろう! そろそろだと思ったわい!」
「私は、私、は……………!」
神は気分がよさそうに笑った。
リアンだった剣をウィリアムだった人が戦場に落とす。彼はもう、それが何かも分からなかった。その剣に託された思いを想像することさえできなかった。
「だれ、だ………………!」
彼は、顔から流れ出る涙を両手で拭いた。彼は彼自身のことを、何一つ覚えていなかった。キシキシと胸が痛む。身体中の痛みで、彼は自分が戦闘をしていたことを悟った。
彼の目の前に、無傷の麗しい存在が立っている。
彼には全てがゆっくり進んで見えた。
目の前の存在は手にしていた真っ二つの剣を投げ捨て、その手で持って自分を仕留めようとしているのか、ゆっくりと近づいてくる。それを彼は苦痛に表情を歪めながら見ていた。
彼は抵抗しなければいけないと思うものの、頭と胸の痛みで立ち上がることもできない。
「誰だ!? 誰だ!? あの子たちは! 名前は! 顔は! 笑い方は!?」
ガンガンと震える頭に答えはない。彼は体に残る小さな誰かの暖かさを解明しようと必死に答えを探すものの、全くもって答えが出なかった。次第にその存在さえ不確かなものへと変貌していく。
「強かったよ、勇者。敬意を評そう」
尊き人は彼に近づき、彼の眼前で拳を振ろうとした。彼はぎゅっと目を瞑る。来たる攻撃を待ち構えた。
拳が風を切る。尊き人は顔を歪め、
――――――――スタンッ
そうして何者かによって阻まれた。
「レウコンか? これは勇者と我の戦いだ、邪魔するな。そなたでは我を倒せぬ。知っておるだろう」
首元に当てられた剣に眉を顰めてゆっくりとメランは拳を下ろした。
「残念ながらレウコンじゃないわ。私は勇者。あなたも私を忘れちゃってた?」
少女だった。
軽やかで麗しく、高貴さを纏う、少し傲慢な声。
メランもまた、自身が忘れてしまっていたことに気がついた。
「忘却の、勇者――――!」
「なるほど、ではこれは続編なのだな」
「その通り、最終回なのよ」
神は体を逸らして剣を避けた。
否、そもそも彼女に当てる気はなかった。
「調子に乗るな。だからなんだ。お前がきたところで何も変わらない! 忘却の勇者、お前も終わりだ!」
「あら。ご挨拶ね」
少女に合わせて剣が形を変える。少女は細身になった剣の柄に少女は軽いキスをした。
「言っておくけど、私怒ってるの」
腕輪を擦り、ウィリアムだった人とタルーラだった鎧を世界樹まで転送する。少女はメランを睨みつけた。
「私はゾラ。黄金色の夜明け」
メランは彼女の気迫に一歩下がった。
「ウィル爺の孫が一人、忘却の勇者」
彼女は剣をメランの喉元に突きつけた。
「あんた私のおじいちゃんに何てことしてんのよ!!」




