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忘却の勇者  作者: 佐藤 ココ
削り氷と神話の終わり
22/30

45

 砂漠に夜は冷える。底冷えするような寒さを和らげようと、ウィリアムたちは暖炉の前に輪になって座った。晩餐は、目の前で死んでいった人を思うと食べる気がしなかったリアンたちだったが、それでも無理してお腹に入れた。


『食べることは生きることだ』


 リアンは昔、風邪を引いた自分にウィリアムが言ったことを思い出して肉を噛んだ。


『食べて、明日に備えろ。でっかくなれよ』


 お腹いっぱいになると疲労ですぐに寝てしまうリアンたちも、いつもとは違って頭は冴えていた。暖炉に手を翳しながら、みんなで肩を寄せ合う。


 リアンたちは、明日(あす)よ来るな、と思った。明日(あした)よ来い、と思った。


「明日は、世界樹の元へ行く」


 ウィリアムが訥々と話し出した。現実味が急に押し寄せて、暖炉の前だというのにリアンとタルーラの手が震えた。レオナルドは体を震わせた。


「明日、世界樹の話を聞いて、剣を手に入れる。それからメランに挑む」


 ウィリアムは息を吐いた。ここから先をいうのにはかなりの勇気が必要だった。けれど、言わねばならないことだった。



「みんなには、見ていてほしい」

 

 ウィリアムは涙を流さずに言った。


「三人を守りながら戦える自信がない」


 わざと突き放すように言う。ウィリアムは、こうでもしないと孫たちが自分に駆け寄ると、最後まで側に居ようとすると知っていた。


「僕の能力は治癒だよ、力になれる。目に見える範囲にいればいいんだ。少なくとも世界樹までは着いていく。それなら足手纏いにはならないはずだ。それに黙ってたけど、タルーラだって!」


 ウィリアムはゆっくりとタルーラを見た。どうせ連れて行かないつもりだったから、能力を言い渋る彼女にわざわざ聞くことはなかった。


「世界一硬い鎧になる能力。神すら難儀するほどの鎧になるそうだ」

「代償は」

「自我」


 ウィリアムはすぐに首を振った。


「ダメだ」


 目を逸らす。


「そんなことさせられない。家族にそんなことを強いる馬鹿がどこにいる」

「じゃあ」


 硬い意志を持つウィリアムをこの場だけ言いくるめようと、リアンは言った。


「世界樹の元へだけでも連れてって。世界樹の側は安全だろう。メランは親である世界樹に攻撃できないんだしさ」

「そうだな」


 ウィリアムは必死に言い募る孫たちに参ってしまって、了承した。


「それならいい。だけど、特にレオ。爺ちゃんがどんな怪我をしても、怪我を受け取るな」

「しつこいですよ、もう! 連れてってくれるんですね!」

「ああ、それならいい。くれぐれも無理はするな」


 それから、一堂はそれぞれの部屋に戻り、眠りについた。ウィリアムは床に伏してからもレオナルドが了承の言葉を述べていないことに気づかなかった。









***






 そうして夜が死んだ。子供たちは祖父の前で泣かないで済むように、布団に頭を押し付けて唸り声ともつかない声を漏らした。朝日が昇る様を泣き腫らした目で見た彼らは、今日という日が新しく生まれたことを悟った。


 

 彼らは立ち上がる。明日もまた、今日と同じような美しい日が登るようにと願った。神にではない。過去の自分宛の願いだ。勇ましく笑った彼らは、どこか彼らの祖父に似ている。



「おはよう、おじいちゃん」

「爺さん」

「ウィリアムさん!」

「ああ、おはよう」


 運命の日が、やってきたのだ。


 王が準備してくれたのは、騎鳥、騎馬、食糧、鎧だった。どれも立派なもので、この短期間で準備したことが信じられない程だった。これくらいしかできずに申し訳ないという王に、ウィリアムたちは十分だと頭を下げた。獣王のせいで甚大な被害が出ている中、これらを準備するのがどれだけ大変なのか分からない彼らではない。


 きっと各方面に頭を下げて、自分たちのために戦ってくれたのだ。


(本当にありがとう)


 ウィリアムは頭を上げて、やるべきことを果たすべく、勇者たちを近くに寄せた。それらの物資のそばに立って、腕輪を触る。腕輪は、勇者がいる場所と神殿、そして世界樹へ通じている。ウィリアムは4人の五感を消す代わりに、腕輪を使うと決意した。


「世界樹の元まで」


 見守っていた王や神官、軍人が深々と礼をしたのが、移り変わる視界の中で、鮮明に見えた。罵倒ではなく敬われる仕草をされたことに驚いて一度瞬きをすると、もうそこには彼らはいない。ドサドサという音がして荷物が地面に落ちる。振り返って下を見ると、見覚えのある大きな海と冒険してきた四大陸が見えた。街がもう親指よりも小さく見える。



 ウィリアムたちは遂に、世界樹の元へと着いたのだ。


 首を限界まで傾けてもなお、その全長が捉えられない大きさのその木は、葉っぱ一枚がそれぞれの色に輝いていた。赤、青、白、黄、橙、緑、茶、紫……色とりどりのその葉には、どれ一つとして同じものがない。それは時折地上におり、その途中で獣王のような怪物になるものもいた。


(予想は正しかった)


 ウィリアムは思った。


(やっぱり、獣を降らせているのは世界樹で、メランじゃない)


 族長に話を聞いて、予想したことが裏付けられて安堵すると同時に恐怖する。それが意味するのは、世界樹が人間を滅ぼそうとしているということだからだ。


(世界樹は、人を…………恨んで、るのかな)





 ウィリアムの思考に応えるように、その時、この世のものとは思えないような、その美しさに涙が出るような、跪かずにはいられないような、そんな声が上空から響いた。



《―――――――いいえ、違います》


 ウィリアムの声でも、リアンの声でも、タルーラやレオナルドの声でもなかった。


《貴方達もまた、我が子ですから》


 その神々しさに、返事をすることもできない。母の温もりとはこういうものなのだと、心ではなく体が理解する。


(じゃあ、メランはどうして生まれた? どうして、彼は――)


 ウィリアムの思考に応えるように世界樹は麗しい声を紡ぐ。それはかつての恋人の声のように、あるいは愛した家族の声のように、あるいは信頼した部下の声のように、ウィリアムの胸に響いた。全てを忘れてしまっているウィリアムには、本当のところはわからなかったけれど。


《レウコンが死を克服しようとした時、私は怒りに燃えました》


 淡々としたその言葉に、怒りの色は見られない。


《それは私を殺してしまうことと同義。彼女の力――信仰の量をみるに、人間の総意に近いものだとわかりました》


 むしろ、深い悲しみだけが滲んでいた。


《私の一部を燃やそうと、私に風邪をひかせようと、私の一部たる山々を削られようと、私を弱らせるほどの毒を海に垂れ流そうと、それでも私は構わなかった》


 ウィリアムは獣王のことを思い出した。


 例えば、角に火をつけた獣王がいた。

 例えば、氷を吐いた獣王がいた。

 例えば、地震を起こそうとした獣王がいた。

 例えば、毒を水に撒き散らした獣王がいた。


 彼女が獣王を降らせたわけが少しわかった気がした。


《時折戒めるくらいで怒りませんでした。だってそれでもよかったから。我が子である人間たちが、幸せに成長していっているのがわかったから》


 その気持ちは、ウィリアムにもわかる。リアンたちに何されたって構わない。嫌わない。ずっと愛している。大好きで、大切だ。言い切れる。


 ただ。

 ただ――――


《死を克服するために私を殺しては、彼らは不幸になります。私にはわかります。だって世界は壊れてしまう。そうして私を殺した先で、()()()()()()()()()()()、どうしても許せませんでした。笑えるでしょう?》


 ただ、自分のそばであってもなくても、どこかで幸せに生きてくれればそれだけで良かった。


 リアンが、レオナルドが、タルーラが。

 心から笑って生きてくれればそれだけで。


 命を捨てる理由になり得る。

 

 同じなのだと思った。世界樹と自分はどこまでも同じなのだとわかった。


《だから私は自分の人間への怒りをメランとして独立させました。それでも我が子。私を超えていくのなら、私の分身たるメランを倒すというのなら、死を克服した先の世界を許そうと思ったのです》


 ウィリアムたちは世界樹を見上げた。彼女の声がどこか曇っている気がしたからだ。


《それでも人の子たちには反省して今の命を生きてほしくて、獣王を降らせていました。頑張れば乗り越えられる程度の苦難を与えることで、過ちに気づいて欲しかったから。第一回目の封印で、獣王たちが一緒に封印されてたみたいで、今回封印を解くと同時に落ちるとは思っていなかったの。その件は驚いたわ。もう何したって無駄だからそういうのやめるつもりだったのに》


 世界樹はその体を揺らした。葉っぱが落ちていく。ひらひらひらと、色鮮やかな葉が地面に落ちる。


《来た》


 それは、ある女の来訪のせいだった。


《レウコン》

「あらお母様」


 その名はレウコン。レウコン教が奉る女神にして、メランの対となる一柱の神。


《メランは》

「もう来るわ」

《ここで暴れるのは良しなさい》

「でも他にないわ」


 世界樹から落ちた葉が、ヒラヒラと宙に舞い、世界樹から遠く離れた所におあつらえ向きの戦場が作られた。人間の目ではそこにいるものを視認できない。これならレオナルドが無理して自分を治す危険もない、とウィリアムは胸を撫で下ろした。


《悪いけど守らせて貰う》

「そう、そこから高みの見物?」

《まぁそうね》

「私もいていい?」

《勝手にいるんでしょ、好きにしなさいな。今はまだ、あなたは私の娘だから》

「ありがと」


 その会話は普通の親子のようだった。普通の親子と違うのはその存在感。ウィリアムは、この神と同格の存在に今から挑むのかと武者震いをした。無謀ではないと思えた。ウィリアムはそれほどまでに強くなっていたのだった。


 一頻り会話を終えたレウコン神は、ウィリアムたちに向き直った。


「さ、そろそろよ、準備なさい。願えば戦いに飛ばしてあげる」


 ウィリアムは振り返って孫たちを見た。ウィリアムが語りかけるより前に、リアンたちがウィリアムに抱きついた。


「おじいちゃん」

「うん?」

「大好き」

「僕も大好き」

「あたしもだ」

「知ってるよ。わたしも大好きだ」


 ウィリアムは彼らの背中を撫でながら言った。


「何があっても、それは変わらない」


 これから先、未来を視すぎて記憶を失っても、きっと。あえばすぐに好きになる。


「大丈夫だ、爺ちゃんは強い、だろう?」


 リアンたちはウィリアムをつかんだ手をゆっくりと離した。


「そうだね、おじいちゃんは強い」


 ウィリアムは、孫たちがあまりに美しく笑うから、ここが戦場前の最後の別れだとしばし忘れた。あまりに晴れやかで、あまりに清々しく、あまりに凛々しく、彼らは笑った。


「おじいちゃん、勝ってね」

「約束だぞ、爺さん」

「精一杯の応援をするね」


 そうして、























――――――そうして、リアンとレオナルドが立っていた場所には、剣と鎧が。その横には気を失ってレオナルドが倒れていた。









『自我』






 昨日、タルーラは言った。

 代償は自我だと。

 リアンもそうだと直感が言う。だってもう、何も言わない。動かない。まるで死んでしまったように。

 












 何も分からない。

 否。

 全てが分かる。

 彼らが何をし、何を自分に与えたのかすぐにわかった。

 ()()()()()()()()()





 どこかで笑っていてくれるだけでよかった。

 自分のいない世界でも、幸せに生きてくれればそれだけで。

 孫たちが幸せに生きてくれるなら、それだけでよかった。

 そのためなら命だってくれてやったのに。







 

 力が湧き出る。見た目は変わらないが、レオナルドがウィリアムの体を20代の頃まで戻したのだと嫌でもわかった。そうして40年分の痛みを、一気にレオナルドが引き受けていることにも気づいた。




 ウィリアムは軽々とレオナルドを抱えて、世界樹の足元に置く。世界樹は何も言わなかった。




 ウィリアムは黙って鎧を身につけ、剣を手に取り、騎鳥に跨った。


「メラン――――――」


 ウィリアムの目は血走っていた。


「――――――メラン!!!!!」

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