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「タルーラはおじいちゃんに謝りたいんだ、メモ帳の件でね、ま、その族長さんとやらのこともだろうけど」
ウィリアムはその一言で全てを理解した。タルーラは自身の行いを後悔している。それはメモ帳に限らず、他者の事情も知らずに、その有り様を断定したことだろうと思った。
彼女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、5歳児のようだった。ウィリアムはクロスの内側でタルーラの顔を拭った。
「ああもう、汚れるぞ…………あと、そのことは気にするな」
そもそもウィリアムは怒ってもいなかった。喪失感がなかったといえば嘘になる。涙を流さなかったかといえばそんなことはない。実際、タルーラを見つけるまでのウィリアムは焦りと怒りで我を失っていた。
だけど、タルーラが小さな手を震わせながら銃を握って自身の身の上を話した瞬間、怒りは消えた。薄汚れたゴミ捨て場で、この世で最も貧しい人々が屯するその場所で、痩せ細った彼女は世界を恨んで立っていた。
孫と同じ歳。そんな子を、どうして責められるだろう。
「疲れたろう? いっぱい食え、美味しいぞ」
ウィリアムは空になったグラスに水を注いで、むせるタルーラの背をトントンと叩いた。
「怒ってない、怒ってないから」
ウィリアムはもう、娘と妻、そして息子のことをどうあっても思い出すことはできない。その声も、顔も、笑い方も、もう二度と思い出せない。
「………おごっでだいの?」
文字にしたのはただの気休めでしかない。わかっていた。二度と思い出せなくても、今の自分が彼らと生きてきたと、彼らのおかげであるのだと胸を張って言える。そして何よりリアンがいるから、ウィリアムは大丈夫だと信じた。
「これくらいの迷惑、いくらでもかけてくれ」
本当にウィリアムはかけらも怒っていなかった。かまわなかった。目の前からリアンが、レオナルドが、そしてタルーラが消えないのなら、どんな迷惑だってどんとこいと思っていた。それ以外ならなんてことない。
だってもう家族だから。
タルーラだって、ウィリアムの大事な孫になったのだから。
「反省したんだろ? もう家族なんだ、これくらいの迷惑でうだうだ言わないよ」
リアンがやれやれと肩をすくめた。レオナルドはこうなると思ったと、ウィリアムが作った料理を頬張った。
「おいしいよ、ウィリアムさん」
「そうだろう」
「おじいちゃん! おかわりある?」
「待って僕も!」
「ああ。待ってろ」
ウィリアムはリアンとレオナルドの皿を貰い、立ち上がってタルーラを見た。
「タルーラはどうする?」
タルーラは胸がいっぱいだった。自分はこんなにいっぱいいっぱいなのに、この事態を予測していたかのように平然としたままの男子二人に、何でもないことのように家族だと言い切ったウィリアムに、タルーラは参ってしまった。
ウィリアムが作ったのは、レカット。とろりとしたスープに人参やじゃがいも、かぼちゃにナス、季節の魚が入ったものに、カリッとしたパンをつけて食べる料理で、タルーラの大好物だった。この土地の郷土料理だから、他大陸出身のウィリアムは最初うまく料理できなかった。タルーラが好きだと知って、近所の人を獣害から救う代わりに教わったのだ。そしてここまで、美味しく料理できるようになった。
タルーラのために、獣退治に調べ物にと忙しい中、ウィリアムは料理まで頑張ってくれたのだ。
そのことが、温かいスープから痛いほどわかって、グジュグジュになった心を温める。
「〜〜〜〜〜〜っおかわり、くれっ!」
「わかった」
ウィリアムは三人分の食器を持って、調理場へ向かった。嗚咽を漏らすタルーラにいつかの自分を重ねて、レオナルドとリアンは苦笑した。
「おじいちゃんは甘いんだから」
「その恩恵を受けた身としては何も言えないなぁ」
「レオは訓練嫌がってピーピー泣いてたもんな」
「タルーラの前で言わなくてもいいだろう!」
「そうなのか?」
「ははははは」
「ちょっとリアン!」
子供の仲直りは早い。調理場から戻ったウィリアムは、仲良く笑う三人に笑みを溢した。この様子を、誰かに見せたかった気がしたけれど、その誰かを思い出せずに、ウィリアムは三人の前に戻った。
「どうぞ」
「「「やったー!!!」」」
ウィリアムの分はない。三人が食べているのをみるだけで、ウィリアムはお腹いっぱいだった。
***
翌日。
ウィリアムはカリメ大陸の大神官の元へ今までの感謝を告げに訪れていた。
「獣王を倒したと聞きました。それでは、最後の獣王を倒しにフカリ大陸へ向かうのですね」
「はい、その前に一つだけ、聞きたいことがあるのです」
「ええ、なんでもお聞きください」
ウィリアムは腕輪を見せた。
「代償を払っている人がいるのですか」
「…………」
「私たちが転移するたびに、誰かが代償を払っているというのは、本当ですか」
大神官は目を閉じた。
「ええ」
肯定。ウィリアムの胸がどくんと跳ねた。
「どこで知ったのかは知りませんが、その通りです」
神官は2回手を叩いた。その音を聞いてやってきたのは、5名の神官。その中に、いつかの神官もいた。ウィリアムは知らないが、リアンが剣になる運命であるとリアンたちに突きつけた、あの神官だった。
「これはこれは、勇者様」
その声に満ちる悪意に、気づきたくなくても気づいてしまう。ウィリアムは身じろぎした。差し出された手を取り握手をする。神官は無表情だった。
「次の転移は彼ですね。勇者様が転移した時は、転移一回ごとにその出発地点にいる大陸の神官が、五感の一つを失うことになっています。順番は、神に告げられるのですよ」
ウィリアムは顔を歪めた。
神官は怒りと愉悦が混じったような笑みをしていた。
「はははは、自分でお気づきになるとは! 全員が勇者様に気付かれないように、勇者様のお心を守るようにと動いていた意味を無にする行為をとるとは! さすがですね!」
明確な悪意。傷つきすぎてもはや麻痺していると思われたウィリアムの心が痛んだ。
ウィリアムは自分が傷つけられる分には平気であるだけで、自分が他者を傷つけることに弱い。そのことをウィリアム自身よりも神官は知っていた。
「今回の場合、勇者様方五名が転移されるため、この五名がそれぞれ五感のうち一つを失う形ですね」
大神官はウィリアムを煽る神官を止めながら言った。しかし、その神官は止まらない。他の神官に羽交締めにされながらも、ウィリアムを罵り続けた。
「まさか!? 今更? そのことを気に病んで移動を躊躇うと? もう何万人と死んでるのに? ここで五人の五感を気に病んで世界の多くを死なせようと? これまでの神官たちの決意を無に帰そうとするのか?」
ウィリアムは耳を塞ごうともしなかった。そうしてはいけないと思った。彼があまりに叫び続けるので、大神官はウィリアムに出ていくように言った。早く去るようにと、詫びも礼もいらない、こんな最後ですまないと謝った。
「速く行けよ! 転移しろ! お前たちが世界を救おうと、お前たちのせいで死んだ奴らがいることを忘れるな! そいつらのためにも世界を救え!」
一礼して、ウィリアムはその場を去る。ウィリアムの背中に向かって彼は叫び続けていた。ウィリアムは彼の言葉を一言一句忘れないように胸に刻んだ。
「五感がなんだよ! 家族が消えた世界で、目があったって耳があったって、この世界は真っ黒なままだろうが! ちっとも怖くねえよ! 喜んでくれてやる!」
ウィリアムに届かないと知りながらも、彼は他の神官たちに抑えられながら叫ぶ。
「さっさと行けやくそジジイ! そうしてさっさと世界を救え!」
それは、彼の心からの願いだった。彼がそう叫んだと同時に、ウィリアムたちは腕輪を擦った。
リフカ大陸に、最後の獣王を倒しに向かう。
最後の勇者が待っている。
冒険の終わりは、もうそこだった。




