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息子が帰った時、ウィリアムは街の人と協力して、宴会を開いた。喜ばせたくて、ウィリアムはかなりの時間を準備に割いた。
『お義父さん?』
『お爺ちゃんがねー、お父さんのために準備したんだよー! 嬉しい?』
『こらリアン』
『へへー!』
街の人々も、その様子を腕を組みながらしたり顔で見ていた。
『いっぱい食えよ』
口下手なウィリアムはそれだけ言って、大皿に盛り付けられた料理を取っては息子に差し出した。
『お義父さんもういいですって!』
『…………そうか』
『だーーっ食べますよ! ほら! ください!』
『そうか』
『もう、お義父さんは………!』
幸せだった。周囲も、自分の三分の一でも幸せならいいと思った。幸福のあまりめまいがした。
『ありがとうございます。美味しいです。お義父さんが作ったんですって?』
『ああ』
『言ってくださいよもう』
『美味しいだろ』
『美味しいですよ!』
疲れて寝てしまったリアンを膝に乗せながら、ウィリアムは息子と酒を酌み交わしたのを今は覚えている。よだれが服について、二人で笑った。
戦いの最中、ウィリアムは息子との思い出を振り返っていた。掬い上げては溢れて消える彼との思い出は、あまりに尊くて、ウィリアムの視界が揺らぐ。それでも、矢を外すことはなかった。
――――バヒュンッ
放った矢は、鯰の片目を射た。
――――ギョガアガガガガガガガガアアアアアアアッ
巨体を暴れさせるも、羽を射たせいで、もうその体が地震を起こすことはない。
「大鯰、終わりだ」
最後は剣で飛びかかる。馬から飛び降り、その反動を、全体重を剣にかけ、その怪物の額に剣を突き刺して――――
『お義父さん』
「ああ、リアンは任せろ」
――――ウィリアムは、息子のことを忘れてしまった。
「必ず幸せにする」
力が抜けた体を、誰かが支えてくれたような気がしたが、その正体を確かめることができないままに、ウィリアムは沈んだ。
「必ずだ」
掠れた声はリアンたちには届かない。湖には、大鯰の死体が転がっていた。ウィリアムは勝ったのだ。
ウィリアムの力は、神にも迫るほど強くなっていた。
***
祖父の帰りを待つちびっ子たちは、教会の一室に座りこんでいた。
「あの爺さんが大事なんだな」
「ああ」
「やっぱ血が繋がってるってすごいな」
タルーラは家族のことを思い出した。自分を守り、レウコン教会軍に殺されていった両親の声が頭に響いた。
『隠れてろ、いいな』
『何があっても、顔を出しちゃだめ』
『父ちゃんたちを許せ』
もう、この世界にタルーラの親族はいない。一族も族長の親族と、子供たちを残すのみだ。タルーラはウィリアムが羨ましかった。
「違うよ、ね、リアン」
レオナルドの声に、タルーラは振り返る。もうレオナルドの怪我はほとんど治っていた。その足で立ち上がり、タルーラに近づく。その様子を心配そうにリアンが見ていた。
「血のつながりは関係ないでしょ」
「そうだな」
「それだと、僕を捨てた両親も僕を大事にしてることになる。僕が大事にしてることになる」
リアンが続けた言葉は、タルーラにとって衝撃だった。
「大事だから家族なんだ。家族だから大事なんじゃない。」
タルーラは目を伏せた。家族に捨てられたレオナルドに酷いことを言ったと気づいたからだ。そんなタルーラに苛立って、リアンが青筋を立てる。タルーラは知らないが、彼は怒りっぽかった。
「それ」
「え」
「それ止めろよ」
「おいリアン!」
レオナルドの静止はリアンには届かない。
「気まずいからって目逸らして謝らないのを止めろって言ってるんだ。僕は怒ってるからな」
レオナルドはまたリアンが怒り出したと肩をすくめた。こうなったら止めるのは面倒だ。レオナルドにとっても怒ったリアンは怖い。怒りに介入してとばっちりを喰らうのはごめんだった。
「お前さ、おじいちゃんにも謝ってないだろ」
タルーラはびくりと肩を震わせる。その通りだった。カバンを無くしたことを未だに謝っていない。自分なら許さない。その中のメモ帳がどれだけ大事だったのかを後で知って怖くなった。とても謝れなかった。
「おじいちゃんが何にも言わないからって黙ってたけどな、最低だぞお前。好意に甘えんな。さっさと謝れ」
ぎゅっと目を瞑る。目の前の少年の言葉を否定できない。助けを求めてレオナルドを見るも、雑な寝たふりをしてこの場を逃れようとしている。
『聞いてしまわれたのですね。実はウィリアム様には、途中までしか見せておらぬのです』
シラーユ大陸の大神官も、タルーラのように祖父の好意に甘えていた。訪れたレオナルドとリアンに深々と謝罪することなく、居心地悪そうに笑っていた。許せなかった。
『ウィリアム様はリアン様が剣になると知れば、神に挑むのを放棄するでしょうし。続きはあります、ええ確かに。剣になった勇者の血縁を手に、勇者がいかにしてメランを封印し、その後どのように生きたかが記載してあるものはあります…………ただ、それをみるならば契約してもらわないと』
『契約?』
『このことを剣になるその直前まで、ウィリアム様には告げないとを、です』
剣になることは、葛藤もあったが受け入れていた。リアンは、ことが済んだのちにウィリアムに謝罪することを条件に、これを飲んだ。
理不尽だと思った。
どうして祖父だけがここまで苦しみ、周囲は祖父の強さに甘んじているのだと思った。
その苛立ちも一緒くたにタルーラにぶつけている自覚はある。
「おじいちゃんを傷つけやがって。ふざけんなよ! おじいちゃんはあのメモ帳を見て夜な夜な泣いてたんだからな!」
「そうなの?」
「ああ、レオは知らないか。あれには思い出が書いてあるんだ。僕見たんだよ、お爺ちゃんが買い出しに行った後、それをしまってある場所を開けて見たんだ」
「それはダメでしょ」
リアンはレオナルドの言葉を無視した。
「お爺ちゃんの能力のこと考えればわかるだろ! タルーラ! 後でちゃんと謝れ!」
タルーラは顔を下げたまま、何も言わなかった。タルーラは知らなかったのだ。大事らしいことは知っていたが、それがなんなのか、詳しくは全く。
リアンの話を聞いて、ようやくそれが何なのかわかった。分かってしまって、手が震える。
(じゃあ、あの爺さんは、その状態で)
声も出せなかった。
(あたしに、あんなに優しくしてくれたのか)
ご飯を分けてくれた。寝床を分けてくれた。寝相の悪い自分が風邪をひかないようにと、布団をかけ直してくれた。好物に気づいて買ってきてくれた。
何も言わないタルーラに痺れを切らしてリアンが叫ぼうとしたちょうどその時。
ドアが開いた。
「おじいちゃん!」
「ウィリアムさん!」
帰ってきたのは、ウィリアムだった。
「ただいま」
「「おかえりなさい!」」
リアンとレオナルドに抱きつかれ、一頻り頭を撫でると、ウィリアムはタルーラに目をやった。
「疲れたろう」
「………………」
「返事くらいしろよ馬鹿」
「こらリアン」
タルーラの心境を完全に察することはできないながらも、元気がないことがわかったウィリアムは、タルーラに向かって優しく投げかけた。
「…………どうだ、ご飯にしようか、お腹空いただろう」
そうして急ぎ調理場へ向かおうとした。
「待ってろ、爺ちゃんが美味しいもん作ってやるからな」
タルーラが泣き出したことに、幸運にもウィリアムは気が付かなかった。リアンの手伝いもあって、すぐにテーブルには料理が並んだ。
「召し上がれ」
「「いただきます!!」」
その時には、タルーラはなんとか涙を引っ込めていた。だけど、その後ウィリアムが今日あったことを話し終えるなり、タルーラは耐えきれず、料理を口に含んだまま、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにした。
「ごべんだざい」
当のウィリアムは何に謝られているのかわからず、狼狽えるばかり。見かねたリアンが口を挟んだ。




