38
室内に案内されたウィリアム達は、挨拶もそこそこに、出されたお茶を啜りながら囲炉裏を囲んだ。若かった旅人はもう40近くなり、髭を生やしている。彼はウィリアムにすぐに気づいた。すんなり室内に案内されたのは、そのおかげだと言っていい。
コト、と音を立てて湯呑みが床に置かれた。
「それで」
怒りを湛えた族長の声に、助けを求めてタルーラがウィリアムに目線を送る。
「なんで出て行ったんだ」
言いにくそうに口をもごもごと動かすタルーラに見かねて、ウィリアムはその横っ腹をつつく。口を添えられるほどはタルーラの事情を知らなかった。
レウコン教徒の金持ちを狙って金銭を奪っていたということと、世界滅亡を確実視する言動から、おそらくこうではないかという推測はあったが、あくまで推測。タルーラは依然として口を割らない。
「原因は俺か?」
「…………」
タルーラは目を伏せた。族長はそこでゆっくりと立ち上がった。何かを取りに行こうとでもいうらしい。ウィリアムはそこで気がついた。
彼は、左手に怪我を負っている。
少なくとも以前はなかった。ウィリアムはそこに何かがあるのではないかと勘付いた。タルーラがその手を凝視していたからだ。
「お前が出て行ったの、レウコン教会軍との会合の日だったよな」
タルーラはごくりと唾を飲んだ。風が強いのか、カタカタと窓が揺れる。タルーラの代わりに震えているようだった。
「ああ」
挑戦的な声。タルーラは威嚇するような笑みを浮かべる。目だけは笑っていなかった。
「あいつらを許すなんてできない」
レウコン教会軍。ウィリアムはレウコン教会がした善行も悪行も、ただしく記憶していた。長く生きていると、知りたくないことまで知ってしまう。
貧しい信者の寝食を保護する裏で、異教徒捕縛のためにレウコン教徒が何をしていたのか知らないウィリアムではなかった。もう30年も前、ウィリアムたちが住んでいた地域でも、邪教信仰を理由に一つの村が焼かれた。ウィリアムが参加することになった戦争でも、宗教を理由とするものがいくつかあった。
ウィリアムもたくさん殺した。命令されるがままに、たくさんの人を殺した。戦争だからだ。
「見せしめに父さんは殺されて、母さんは連れてかれたのに? 何が和睦だよ、許すだって?」
投降しないがために殺された人たちを知っている。
敵討に挑んだが故に磔にされた人たちを知っている。
だから族長の思いがわかった。
部下が目の前で殺されたことがある。
親友が敵の手に落ちたことがある。
だからタルーラの思いがわかった。
「笑わせるんじゃねぇよ」
「タ――――――」
「どうせ世界は滅ぶんだよ、あいつらのせいで!」
立ち上がろうとしたタルーラを抑える。タルーラが涙を湛えてウィリアムを睨んだ。
「放せ!」
「待て」
かつての自分のようなタルーラにとって一番酷で、一番効果がある言葉をウィリアムは知っている。
「話を聞かずに一方的に捲し立てるのは、お前のいうレウコン教徒と何が違う」
「――――っ」
予想通り、言葉の刃でタルーラは肩を落とした。族長が目線だけで礼をする。ウィリアムは首を振った。
「この世には、もうほとんどレウコン教以外を信仰する民はいない」
その書物は焚書の対象になり、その聖歌は打首を招き、その祈りは死につながる。そう人々が理解するまでにはさほど時間はいらなかった。
「その中で、俺たちは生き残らなければならない」
ウィリアムは一度、夜中にタルーラが出かけるのをつけたことがある。その先は武器庫だった。大量の銃が眠っていた。真っ黒の武器に囲まれて『まだ足りない』と呟く様は、今思えば過去の旅人と大差ない。
目の前の男がレウコン教に迎合すると決断するまでに、どれほどのことがあったのか。
「一族を途絶えさせないことが第一だ。世界樹の守り人として、それだけは途絶えさせてはならない」
世界を旅しては世界樹のことを知ってもらおうとしていた男は、その旅の中で何度も命を狙われた。仲間は死んだ。それも大勢。
「復讐しないことだけなんだよ、タルーラ」
族長は立ち上がり、一冊の本を取り出した。それは世界樹についての本。彼が世界を旅して人々に配り、図書館に置いた、あの本だった。
「生き残るための一番の方法は、耐えることなんだよ」
タルーラは息を呑んだ。族長の目に涙が浮かんでいたからだ。溺れてしまいそうなほど深い悲しみと、くしゃみをしてしまいそうなほどの孤独に、ウィリアムは唇を噛んだ。
「10年以上前、俺たちはレウコン教を反面教師に、思想の押し付けをやめて、望んだものが知るきっかけにと、本を図書館に置いてもらうように動いたんだ」
族長の瞳は、タルーラを捕えているようで捕えていない。彼は過去を見ていた。
「その結果、多くの仲間が死んだ。レウコン教徒にもその考え方は広まりはしたけれど、それでも、犠牲者は多かった」
タルーラも分かってはいた。理性はレウコン教徒に刃向かうべきではないと何度も説いた。感情がいつも勝っただけ。完勝だっただけ。
「村を頼むと言われたんだ、これから先も子供たちが生きられるようにと死んでいった奴らに頼まれ――――」
「うるさい」
そうして今日も、感情が勝った。
「逃げてるだけじゃないか」
タルーラの口がひとりでに動く。
「こんな山奥に篭って逃げてるから知らないんだろうけどな、あの日は来たんだぞ」
あの日。封印が解けた日。
「メランが復活したんだぞ」
空が異形の獣で埋まり、風が暴れて空が泣いた日。
「終わりの日は来た。あの封印を私が」
神が目の前に降り立った日。
「……私が、解いてしまったんだから……!」
前髪をくしゃくしゃと手で掻き回す。レウコン教徒ではないタルーラは、勇者という役割も与えられず、ただただ封印を解いたことを後悔しながら生きていた。
仲間どころか、世界自体を壊すきっかけを作ったのだと、それが自分のせいなのだと、何度もその日を夢に見た。親や仲間を殺された復讐心の中に、自分が封印を解いたことすらレウコン教のせいだと恨んだ。
「呑気に後世のことを心配している場合じゃねぇんだよ、このままじゃあたしたちが末代だ」
後悔は怒りに変わり、レウコン教徒への怨嗟になってタルーラの胸に燻っている。
「許す許さないのラインは越した。もうそうやって生きられる次元じゃない。あたしはもう、覚悟を決めた」
族長は目を静かに閉じた。
「………………だから、来たんだな」
タルーラは目を静かに開いた。
「だから、来たんだよ」
いつしか風は止んでいた。遊んで欲しいと家のドアをひっきりなしに叩いていた風は、ウィリアムたちのつれなさに諦めたようだった。
族長はあの本をタルーラに差し出した。
「神々の神話と因果律については、すべてここに書いてある。知りたいことはそれだろう」
「ああ、すまない」
ウィリアムが受け取り、その表紙を捲った。ずっしりとした重さから、どれほどの時間をかけて作られた本なのか察せられる。
「タルーラ」
「んだよ」
膨れっ面のままのタルーラを責めることなく族長は言った。
「俺はそれでも復讐には反対だ」
ウィリアムは痛いほど族長の気持ちがわかった。タルーラは間違っていると断定することはできない。ただ、復讐に走るよりも耐えて前を向く方が楽だと、ウィリアムは思えなかった。
「全部が解決して世界樹が回復したあと、復讐に走るお前を止める権利はないと知っている。だから代わりに今言おう。その結果何が起こるかをよく考えろ」
族長は立ち上がり、お茶を補充するために急須を手にした。
「話は以上だ」
タルーラは何も言わなかった。ウィリアムもまた、何も言えなかった。




