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「この爺ちゃんのカバンどこやった? あの大金入ってたやつ」
少女の髪には光を反射して虹色に輝く葉っぱがついていた。ウィリアムは目を見張る。その葉っぱが意味することに気づいたからだ。
「知らねー。どっかで金以外は捨てたよ」
「だってさ、探せば見つかるかもってところだけど厳しいと思うぞ…………おい、爺ちゃんどうした?」
呆けたままのウィリアムをタル―ラと呼ばれた少女が小突く。
「あ? あぁ……これか?」
タルーラはウィリアムの視線の先に自身の髪を彩る葉っぱがあることに気づいた。
「それは、世界樹の葉なのか」
「ああ」
「ということは、君は……」
ウィリアムは息を呑んだ。ウィリアムはその葉をつけた人に覚えがあった。
『これ? これは世界樹の葉。俺の一族が世界樹を信仰していることの証だ』
その男は、ウィリアムが10年前、図書館守として働きだしてすぐのころ、図書館を訪れた旅人だった。カリメ大陸から来たというその男は、本を愛し、自身も本を綴る人であったという。この本をどうか納めてくれ、と彼が作った本をウィリアムに持ってきたのだった。
『世界樹?』
『あぁ、お前さんはレウコン教徒だろう?』
『生まれたときに決まっていたからな。実感はあまりない』
『珍しいな。レウコン教徒は敬虔な信者ばかりかと』
男は目を丸くした。ウィリアムは苦笑し、『属性で人は判断できんよ』と言い返したが、レウコン教徒が1日に1度はレウコンに頼り、縋り、自身の救いを願うことは確かだった。
『レウコン教徒は女神レウコンを信仰して、平和を女神に祈るだろう。世界樹信仰は全く違う』
男の髪に飾られた葉っぱが七色に暉く。
『世界は因果によって定められており、世界樹によってすべての生物は生かされている、ってのが第一教義。自由と自然を自身が生きる理由とする。そういう信仰だ』
レウコン教とは恐ろしく違うのだな、とウィリアムは思った。
『自然っつーのは、森とか川とかだけじゃなくて、そこにいてほしいと思う人や動物、虫とかすべてを差すんだよ。どうだ? 面白いだろ?』
『面白いが、下手にこの大陸でその話はしない方がいい』
『だな。レウコン教徒があんなに怖いとは思わなかったぜ』
『すでに話した後なのか』
『まぁ、異質なものを怖がるのは本能だから仕方ないさ。だから俺は知ってもらうために本を書いて置きに来たんだ』
『いや勝手におけないぞ』
『は?』
ウィリアムはあきれてくすくすと笑った。静かな図書館に笑い声が響いた。
『いや置いていく。何としても。俺はやらなきゃいけないんだ。だって、』
ウィリアムは今でも覚えている。だって印象的だった。
(そのあと、奴はこう言ったんじゃなかったか)
ウィリアムはスッと息を吸い、目の前の少女の目を捉える。
「『世界樹が悲鳴を上げていると知っている』んじゃないのか?」
タルーラという名の幼い少女ははびくりと肩を揺らした。
「…………ジジィ、何者だ?」
その眼光が示すのは、畏怖と警戒。タル―ラは銃を構えようと手を動かそうとし、ウィリアムが抜いた剣に阻まれた。ごみを漁っていた少年が、その様子を見て逃げ出す。少女は一瞥もくれなかった。
「名をウィリアム。私は勇者――――邪神メランの封印を解いた罪人であり、メランを倒す人間だ」
タルーラは眉を下げた。
「はは」
タルーラはゴミの上に沈んでいく。力が抜けたのだろう、覇気のない声で笑った。
「あんたもかよ…………んで、勇者ってそういう意味か」
「ああ。協力してほしい。タル―ラ、だったか? 君もだろう」
「…………まぁそうだが」
タルーラは膝をはたきながら立ち上がる。鮮烈なにおいが立ち込めていた。
「しかし神殿の奴らはあたしを見つけられなかったってのに、よく分かったな」
「まぁな」
「つれねーなー」
軽く笑い、すぐに笑みを消す。初めから笑みなど知らないかのような無表情。どこか睨んでいるようだった。
「――――――あたしが勇者になる意味は?」
「金」
ウィリアムは間髪入れずに言い放つ。
「大金が手に入るぞ。正当にな」
手段は選んでられない。ウィリアムは仲間が欲しかった。せめてリアンのことだけでも忘れずに、神を倒したかった。リアンが何不自由なく生きられる世の中を作りたかった。
「一生かけたって手に入らないような大金だ」
タルーラはしばらく押し黙った。ウィリアムは何も言わずに待つ。そう簡単に同意が取れるとは思っていなかった。
「…………世界樹が悲鳴を上げてるんだ」
その話がどう関係するのか分からずに、ウィリアムは首を傾げる。
「レウコン教徒が森を燃やし、水を汚し、戦いを続けるからだ」
ぽつぽつと語られる言葉には、強い意志が込められている。
「世界樹はただそこにあるだけに見えるけど、違う。空気と土を作り、風を吹かせ、水を流しているんだ。世界樹が倒れたら、世界は何年と持たないっ!」
少女は両腕をさすった。
「やつらのせいで、今も世界樹は傷ついている! 悲鳴が上がってるんだ!」
彼女の髪についた葉がそよそよと揺れる。その輝きは、この世のものとは思えぬほど。
「意味がわかるか」
ウィリアムにも、意味はわかった。わかりたくなかっただけで、ひどく明確だった。
「レウコン教徒はあたしの家族を殺した。奴らを皆殺しにしてやりたい。なんであたしが奴らの願いを聞かなきゃいけないんだ。あたしの家族は死んだ。あいつらも死ねばいい。あたしも一緒に死のうがどうでもいい。こんな世界、滅びちまえばいいんだ」
世界樹信仰の民のレウコン教への恨みはわかった。数年前にも、レウコン教徒と彼らのような他の宗教を持つものの間で大規模な戦いがあったとウィリアムは知っている。彼らもまた、その戦いに巻き込まれたのだろうか、と考えた。
「どうせ世界樹はもう――――――――」
タルーラはそこで何かに気づいてウィリアムの両腕をつかんだ。興奮したのか、その目も口も、これ以上ないほど大きく開かれている。
「あぁ、いや、そうか」
ウィリアムは言葉を発することもできなかった。この少女の言っていることが本当なのだとしたら、ウィリアムにできることなどない。これからの戦いにも疑心が募る。レウコンに言われてここまで来たようなものだからだ。
リアンを、守れないかもしれない。その事実がウィリアムの瞳を揺らす。
動揺を顔に出さないようにするだけで精一杯。そうして知らぬ間に下がっていたウィリアムの頭を、タルーラの言葉が強制的に上げさせた。
「因果律……因果律があるんだよ、爺さん!」
因果律。聞き覚えはあった。メランの封印を解いた時、かの神はウィリアムに因果律の定めだと、忌々しい能力を付与した。神の願いを叶えた人の子にはお礼をしなければいけないのだと。
けれど、それがどう繋がるのかがわからない。
タルーラの髪に飾られた世界樹の葉が、ウィリアム達を祝福するかのように風で揺れる。その風は、ウィリアムの髭を叩いた。
「爺さんがわざわざここに来たことと、その手首の世界樹の匂いがする腕輪を見るに、メランを倒すことはレウコンの願いなんだろう」
「あ、あぁ」
「じゃあ、因果によって、レウコンはあたしたちの願いを叶えなければならない」
ウィリアムにも、ようやく話が見えた。
「最後に封印を解いた人だけじゃなくて、全員に能力が割り振られたことを考えると、メランを倒した人全員に、一つずつ願いを叶える力が付与されることになるんじゃないか」
興奮して熱くなる目の前の少女は、泥で顔を汚しているにも関わらず、神々しく見えた。
「そこで世界樹の永遠を願えば、あるいは」
「だが、私の未来視の力はメランが勝手に送った。希望したものじゃない」
即座にウィリアムは否定する。下手に希望を持たない方が楽だった。本音を言うなら、もうやめたかった。頑張る理由が消滅してしまえば、どんなに楽だろうと思った。
明るかった彼女の目が、即座に光を失う。
「――――そうだな。因果律について調べるしかない」
ウィリアムは肩を落とした。
「話はそれからだ。爺さんの仲間になるかはその後考えるよ」




