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神官は屈強で、神に仕える者と言うよりはむしろ、戦う者のようだった。レオナルドはその顔つきの恐ろしさに神官を視界に入れるのを止めた。リアンは睨むようにして神官を見ていたから、レオナルドは頭を抱えたかった。
ウィリアムが完全に目の前から消えるなり、神官は敬語を使うのを止めた。
「んで、お前は何? 勇者がつけるべき腕輪をつけてはいるが、お前は勇者じゃないだろ?」
神官はリアンに向けて問うた。神官には分かるのだろうか、とレオナルドは焦点の定まらない目で天井を見上げる。煽りに弱いリアンが怒りに声を荒げることは、火を見るよりも明らかだった。予想通り、リアンは叫んだ。
「勇者の孫だよ! なにが言いたいんだよ! おじいちゃんにひどいこと言ったの見てたからな!」
「ああ」
嘲笑と侮蔑、肘鉄と恥辱。
「あのよぼよぼの老人の孫か」
瞬間、リアンが激高する。
「ふっざけ――――――――――――」
「勇者が老人と餓鬼だなんて。碌に戦いにもなるまいて」
衝撃とともに、リアンは床に転がった。耳を打ったのは、嫉妬と落胆、失望と絶望が混じった声だった。
「なにが勇者だ」
「あ、あの~その辺にした方が…………」
「「あ?」」
「すみませんなんでもないですぅ」
レオナルドはすぐに諦めた。けがを負っても、本質的な気弱さは変わらない。
「おじいちゃんは強いんだ! この大陸の勇者と必ず獣王を倒してくれる!」
「……そうかよ」
神官の声が失意一色に染まる。
「この事態の元凶の癖に、自分の家族は生きてるとかありえねー」
リアンは声を発せなかった。自分を見る彼の目が、殺意であふれていたからだ。同時に気づく。祖父はいつも、針のむしろのような外と接さなくて済むように、自分たちを守ってくれていたことに。
(……おじいちゃん)
優しくて、強くて、大きな祖父の背中を思い出す。目の前の男は、祖父と似ても似つかない。肌の色は黒く、白い神官の服がよく似合っていた。若く、背が高く、健康そうだった。病も怪我も、彼とは無縁なのだろうと思った。
「まぁでも、お前はそうか。ということは、アレなんだな」
神官は手をポキポキ鳴らした。
「それは面白い」
「何がだ。何が面白いんだよ!」
憤るリアンに、神官は言ってのけた。
「お前は××××××××××××運命なんだよ」
××××、
××××。
××××?
リアンは呆けた。
「は?」
理解が追いつかない。祖父も、レオナルドも、あの時にこういう感情を得たのだろうかと想像する。
「あのジジィは知らないようだな。見ものだろうよ。その場にいないのが残念だ」
その時、神官は跪いた。リアンが追及する暇はなかった。それまでのやり取りが幻かのように、彼は柔らかく微笑んでいる。
大神官が入室してきたのだ。
「具合のほどは?」
「あ、あぁ。大神官様?」
「おやおや、立ち上がらなくて結構です」
レオナルドと大神官の会話はリアンの耳には届かなかった。
衝撃で、それどころではなかったのだ。
(僕が……じゃあ、おじいちゃんは……)
リアンは天井を見上げた。父の最期の言葉を思い出した。
(おじいちゃん…………!)
ウィリアムは、誰かに呼ばれた気がして振り向いた。
「気のせいか……」
人通りが多すぎて、勇者が誰だか分からない。例によって、急に出現したウィリアムを怪しみ、ヒソヒソと囁く声が聞こえる。脱兎の勢いでウィリアムはその場を離れ、隘路に進み行った。
道端には飢えで苦しむ子どもや女、老人たちが倒れていた。纏う衣服はもはや体温保持の役目を果たしているかも怪しい。こけた頬に跳ねた泥で汚れた手足。ウィリアムは持っていたパンやお金を全員に配って歩いた。
――――ドンッ
罰だと、ウィリアムは思った。
「止まれ」
聞こえてきたのは少女の声。ウィリアムは、背中に当てられた銃器の感覚から両手を挙げた。銃口はピタリと背中についている。反撃するよりも撃たれる未来の方が確実だった。
「怪しい動きをしたら撃つ。そのカバンを置いていけ」
「そ、れは」
「いいから置け。撃たれたいのか」
ためらいながらもカバンを地面に落とした。お金はいい。いくらでもあげられる。ただ、この中にはウィリアムの記憶が詰まっているメモがあった。ウィリアムをウィリアムたらしめる、たった一つのもの。もうどこにもいない娘と妻の記憶が詰まったもの。リアンは覚えていない。ウィリアムが彼らのことを知識としてでも知るためには、そのメモ帳が必要だった。
仲間だろう、ウィリアムがカバンを落としたとたんに少年少女が群がる。
「たんまりあるぞ!」
「こんだけありゃ、しばらくは安泰だ!」
ウィリアムは小さくうめいた。
「お金はやる。カバンは――――」
「黙れ」
銃がカチャリと音を立てる。ウィリアムは反撃もできない。
「よし。そのまま後ろを見ずに進め。振り返れば撃つ」
少女は、ウィリアムが完全に角を曲がるまで、ずっと銃を構えていた。角を曲がったウィリアムはすぐに走り出し、カバンの中のメモ帳を奪還するために急ぐ。膝が痛んだ。
「くそっ」
元の路地にはすでに彼らの姿はない。ウィリアムは完全に彼らを見失った。カバンごと彼らは持って行ったようだった。気配を感じて、上空を見る。
「……そうか」
彼らは屋根を伝って空を走るように逃げていた。ウィリアムにはできない芸当だった。若かりし頃ならまだしも、ウィリアムはもう、60近い。到底そんなことはできそうにもない。あらかた走り回り、彼らを見つけることは絶望的とまで言えるほどの時間が経ち、最後の頼みの綱とばかりに、ウィリアムは勇者のもとへと祈りながら腕輪を擦った。
先ほど市場でも、彼らの姿を見た気がしたのだ。これは懸け。未来視をこんなところで使いたくはなかった。万が一メモ帳が返ってこなければ、またメモを作る必要があるからだ。
ウィリアムの推測は正しかった。
「なっ、ジジィ!!」
ウィリアムはちょうど他の獲物を狙う少女の目の前に立った。ただ、カバンは仲間が持っているのか少女は手にしていない。ウィリアムは剣を少女に突き立てて言った。
「またあったな、勇者」
勇者と聞くと、彼女は怪訝そうな顔をして、逃げ出そうと動く。ウィリアムは軽く剣に力を入れた。
「誰のことだよ!」
「……? まぁいい。カバンはどこだ」
少女の目が動いた。動揺。ウィリアムは見逃さなかった。
「なんのことだ」
「お金はいい。カバンの中のメモ帳を返してほしいんだ」
「し、知らない!」
ウィリアムは体に括り付けていた現金入りの袋を地面に投げる。袋は音を立てて地面に落ち、お金が何枚か地面に落ちた。
「これで話す気になったか? カバンはどこだ?」
「金よりそれが大事だと? あんた気が狂ってるのか……?」
「かもな」
狂っていると言われれば否定はできない。もうウィリアムは自分の存在すら怪しい。リアンを生かし、勇者を助け、世界を救うという意思が、何とかウィリアムを生かしていた。抵抗の意思を示さない少女を見て、ウィリアムはその剣をしまった。
「連れていけ。わかっていたら銃ごときに引けをとらん。無駄な抵抗はやめろ」
「なっ」
「はやく!」
声が思わず荒れる。少女は体を震わせた。
「わ、わかったよ。連れて行くから、もうないかもしれないからな」
「ああ。それでもいい」
少女の後ろを歩く、少女が進んだのは、先ほどよりもずっと状態がわるい地域。スラム街だった。その中のゴミ捨て場の中に、少女の仲間は寝そべっていた。悪臭が漂う。ウィリアムはカバンの回収が絶望的であることを悟った。
「タル―ラ……?」
少女の仲間が少女の名前を呼ぶ。
「はは、ドジったわ。ごめん」
少女の返事は年相応の子供のように明るく、ウィリアムは少女もまた、リアンやレオナルドと同じくらいの少女なのだと気づいた。




