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忘却の勇者  作者: 佐藤 ココ
忘却の勇者
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 ウィリアムとリアンは振り返らなかった。体の痛みが消えたのは、レオナルドのおかげだと気づいていた。気づいた上で、鷲に向き合った。


 ここで鷲を倒さなければ、あまりにレオナルドが報われない。振り返った隙に鷲の息にやられてはあまりに笑えない。


「レオ…………………………レオ!!」


 リアンは鷲を引き寄せるために鷲の眼前に躍り出た。騎鳥と一体化するほどに体をつけて、空気抵抗を可能な限り減らす。急降下。旋回。急上昇に次ぐ急降下。


 鷲もリアンの後ろにピタリと付いている。油断はできない。


「お、じいちゃん!」


 リアンは信じていた。鷲の目を惹きつけてさえいれば、ウィリアムが鷲を倒してくれると。その重いほどの期待に、ウィリアムは苦笑した。その目が、その姿が、娘を想起させた。


 リアンはとても母によく似ていた。




『お父さん』


 娘の小さい頃のことは、もうほとんど覚えていない。妻の記憶と一緒に、娘の幼少期の記憶も消えた。


 あの日に思い出を書いたメモ帳を、ウィリアムは寝る前にいつも読み返す。何かの拍子に妻と幼少期の娘の記憶が蘇りはしないかと期待して。期待はいつも裏切られたけれど。


 知識として知った娘は、小さい頃は自分のことが大好きで、戦場に行く前にはベッタリ足にしがみついては涙をポロポロ流したという。ウィリアムが覚えている範囲の娘は、彼女が15になって、妻が亡くなった後の娘。もうウィリアムの背を追いかけなくなった娘だった。


『なんで今なのよ!』


 妻の葬式に遅れてやってきた自分に、娘は激怒していた。戦争が終わってからすぐに駆けつけたが、すでに妻は事切れていた。あと少しだった。最期の言葉は聞けなかった。無念だった。


『すまない』

『なんで大事な時にいつもいないのよ!』


 娘はウィリアムの胸を叩きながらその頬を濡らしていた。娘の言う通りだった。ウィリアムはいつも戦場にいた。戦場で銃を、剣を、弓を使って、人を倒して潰して殺していた。


 怒りはごもっともだと思った。謝ったのはそのため。


『お母さんは最期まで、お父さんのことを話してた!』


 だから、ウィリアムが覚えている範囲では、娘はいつも仏頂面だった。ウィリアムのことを好いていた娘は、もうどこにも見当たらなかった。今思えば実際のところは違ったのだと思う。表面上は無愛想だったけれど、怒りと悲しみと失望とでいっぱいだったかもしれないけれど、その心に愛情がひとかけらも無かったとはもう言えない。


『本当にすまない』


 言い訳はしなかった。だけどするべきだった。娘はウィリアムを責めたことを気に病んでいたから。父も辛いのだと、父は自分たちのために戦場にいるのだと、本当の本当はわかっていたのだと後に言っていた。


『……話があります』


 それがわかったのは、娘が夫となる人を連れてきた時だった。


『こ、の人と! 結婚したいの!』


 顔を真っ赤にして連れてきたのは、ウィリアムの部下。


『え』


 部下で戦友。実の父のように自分を慕ってくれていた男だった。


『××××とは、ウィリアムさんが何をしているか知りたいと連絡を取るようになって、親しくなったんです』

『そ、れは。どっちが』


 娘が脇腹を突かれ、怒っているかのように顔を赤くした。


『私よ!』


 ウィリアムはその時にはもう、声を発することができなくなっていた。


『だ、だって! お父さん何も言わないから! お、怒られなかったら、謝れないのよ!』

『××××? 違うだろ?』


 諭されて、娘は顔を赤くしたまま叫んだ。


『わ、悪かったわ!』


 それからは、不器用に少しずつ寄り添いながら、結婚までの日々を3人で暮らした。これから家族になるウィリアムの部下は天涯孤独の身だったから、初めてウィリアムを父と呼んだ日、彼は涙を流していた。それは物語のように幸せで、物語よりも美しい、夢のような日々だった。


『見て! お父さん!』


 ある晴れた日に、二人は結婚した。村の教会で行われた小さな式だったけれど、暖かく、いつまでも思い出に残したい式だった。


『綺麗だよ』


 ウィリアムがそういうと、娘は泣いた。


『化粧が崩れちゃうじゃない!』


 と、怒ってもいた。


 

 涙が出るほど幸せで、笑ってしまうほど美しく、怖くなるほど満ち足りた娘との記憶を、ずっと大切にして生きていたかった。この思い出さえあれば、どれだけの悲しみも苦しみも、耐えていけると思うほど。


 ウィリアムは、愛していたのだ。


 もう覚えていない妻のことも。

 これから忘れる娘のことも。



 ウィリアムは愛していた。

 彼女たちを守るためなら、彼女たちの願いを叶えるためならば、どんなことでもすると決めていた。



『可愛がって、よね!』


 

 息も絶え絶えに、リアンを産んだ娘はそう言った。


『ああ、任せろ』

『私の分も、この子、をよろしく、ね』


 最期は笑顔だった。息子となった彼も、孫も泣いていた。


『大丈夫だ』


 ウィリアムは髭を濡らしながらそう言った。


『じいちゃんがいるからな』


 泣き喚く孫の手に手を添えて。


『母ちゃんの分も、じいちゃんと父ちゃんが大事にするよ』


 リアンの名は、ウィリアムではなく彼がつけた。大陸を渡る前の彼の言葉で、【絆】や【縁】という意味らしい。リアンは正しく、ウィリアムたちを結ぶ希望だった。


『大丈夫だ』



 だから、ウィリアムはここで引けない。ウィリアムは彼女の父で、彼の父で、あの子の祖父だから。彼女たちとの思い出が大事で、大切で、大好きだから。 



――――――クォフォォオオオオオオォオオオオオ


 前方で、リアンが必死に戦っている。鷲の前を飛び、ウィリアムが隙をつけるように全力を尽くしている。祖父に全幅の信頼を置き、勝利のために自分にできる全力を捧げている。



 そんな孫に、尊敬される祖父でありたい。




 

「リアン! 右に旋回しろ」




 だから、




――――――ギャグァァアアアアクァッ


 

 ウィリアムは。




「あの子の名前は、なんだったかな」





 残り二つの鷲の頭を切り落とし――――



 

 そうして、娘の記憶を失った。



***




「おじいちゃん!」


 リアンはウィリアムの元へと騎鳥を飛ばす。ウィリアムは大丈夫だと手を振った。


「怪我はないか」

「うん、レオ、が……!」

「ああ、行こう」


 ウィリアムたちは急いでレオナルドの元へ向かった。落ちていく鷲の体で被害が出ないよう、軍が動いているのが見えた。ウィリアムたちを信じて、備えてくれていたらしかった。


 簡易的な病室として機能していた野菜屋の家で、レオナルドは寝そべっていた。その姿が目に飛び込んだ瞬間、リアンは駆け出す。


「レオ!」


 レオナルドは両肩がうまく動かなくなっていた。可動域が狭い。なんとか指を動かすことができる程度だった。


「はは、勝ったんだね」


 レオナルドは絞り出すように言った。


「あほ、馬鹿! ボケナス! 喋るな!」


 リアンはその足元でポロポロと涙をこぼしていた。勝ったというのに、涙は止まらない。まるで負けたかのようだった。


 ウィリアムは自身の手をじっと見る。マメが潰れて、硬くなった手。


(強くなっては、いるんだろう)


 ウィリアムが失った記憶は15年分。前回の半分だった。それだけ未来視を使わずに戦えたということ。


(足りるだろうか)


 ウィリアムはその手を見ながら考えた。


(リアンのことを忘れずに、メランを倒せるだろうか)


 忘れたくない人。

 忘れてはいけない人。

 生きる意味であり、死ぬ意味でもある、ただ一人の肉親。


 リアンを忘れた後の自分が、自分を保っていられるのかがわからなかった。


「――――しゃ様! 勇者様!」

「あ、あぁ。どうしましたか?」


 呆然としていたウィリアムに声をかけたのは軍人だった。リアンとレオナルドは唖然としている。軍人が自分たちのような子供に頭を下げている衝撃があるのだろう、とウィリアムは思った。


「そ、その! ご報告が!」

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