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忘却の勇者  作者: 佐藤 ココ
忘却の勇者
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「お礼をしなければな」


 自らを神と名乗ったそれは、ウィリアムに向かってそう言い放った。低い声が体を震わせる。透けるようなその体は、人ならざるものであることを物語っていた。


 ウィリアムは持っていた本を落としてしまった。帯剣に当たって本は耳障りな音を奏でる。


「因果律で定められておる。全大陸に散らばった封印もこれで全て解けた。お礼に、そなたに特別な能力を与よう」


 ウィリアムはその言葉に耳を傾ける余裕はなかった。周囲は暴風が吹き荒れ、町中から悲鳴が上がっている。体に叩きつける風の中、神の声だけが鮮明に響いた。


 一際大きい風が、この大陸に初めてできた図書館を吹き飛ばす。人々の願いがこもった図書館だった。図書館守として勤務するウィリアムだからこそ、どれだけの人がどんな願いを込めてこの建物ができたのかを知っている。


 その図書館はもう、野晒しになってしまった。


(私のせいだ)


 目の前で異形の獣が次々と生まれては空から落ちていく。異形の獣たちはウィリアムを素通りし、逃げ惑う住民を追った。彼らを助けようと思っても、なぜだか体は動かない。目の前の男に威圧されてしまっている。


「未来視の能力を授けよう。老体には必要だろうよ」


 そんなものはいらない、と叫びだしたかった。しかし口からは心もとない息が漏れるだけ。笑みを浮かべる神とは対照的に、ウィリアムは顔を顰めた。気を失ってしまいたかった。


「喜べ。そなたは自身の記憶と引き換えに、未来を見ることができる。忘れた記憶の分だけ、未来を見られる時間は長くなる。素晴らしい能力だろう?」


 ウィリアムは自責の念に苛まれ、声も出せなかった。絶望の中考えたのは、彼の唯一の肉親、愛する孫のことだった。


***


 そもそもどうして悲劇が起きたのか。ときは数刻前に遡る。


 ウィリアムの仕事場は、図書館である。大陸初の図書館の誕生に伴って、 図書館の蔵書を守る存在が必要とされた。優秀な兵士として名を馳せていたウィリアムに図書館守としての役割が与えられたのだ。


 孫のリアンと二人暮らしのウィリアムは、その高い給金につられて図書館守となった。娘は孫のリアンを産んですぐ亡くなっていて、娘婿は去年流行り病で亡くなった。ウィリアムにはもう、リアンしかいない。だからその選択に満足していた。今までのように兵士として生きていくわけにはいかない。


 図書館の匂いは好きだった。粘土の匂いと、紙の匂い。戦場の血の匂いに慣れたウィリアムには、いつも新鮮だった。時折孫が友人と遊びに来ては、自慢の祖父だと友人に自慢してくれた。嬉しくて嬉しくて、ぶっきらぼうに「そうか」と言った。


 孫のリアンはすくすく育った。父と母がいない身は珍しくはないが、両親が揃っている家もまた、ないではない。それでも腐らず、祖父たる自分を慕い、将来の夢は自分のような兵士だと笑う。眠る時は武勇を聞きたがった。


 気が遠くなるほどの幸福が、ウィリアムを包んでいた。


 しかし、幸せはいつも突然に終わる。


 いつものように鎖でつながれた本たちを異常がないか確かめていたウィリアムの前に、それは現れた。


【この本を読んではいけない】


 初めて見る題名だった。何かに差し替えられたのだろうかと思った。貴重な本を盗もうと狙う人は残念ながら存在する。確かめようと手に取った。


 その時すでにもう、ウィリアムは間違っていたのだ。


 確かめるためだったのか、異色の題名に惹かれてなのかはもうわからない。その本は見た目のわりに軽かった。


 ためらうこともせずにウィリアムはその本を開き――――


「感謝する。我はメラン、神レウコンの対である」


 爆風とともに、そいつがウィリアムの前に現れたのである。


 夢かと思った。

 夢であれと思った。


 暴風に吹き飛ばされて、真っ先に本棚が倒れた。壁に頭を強打。その衝撃で本が崩れ落ち、本棚はウィリアムの視界から消えた。


 事態を飲み込めないながらも戦闘態勢を取ろうとして気づく。身動きが取れないのだ。


「お前を最後に、我の封印は全て解けた」


 解いたつもりはない。だけど、その言葉はウィリアムがこの惨状を引き起こしたとでもいうようで、ウィリアムは顔をゆがめた。


「なぜそんな顔をする? この本を読んではならないと書いてあったのだろう? そなたは開いた。これから起こることは、すべてそなたが原因だ」


 暴風で崩された図書館から町が見えた。火が町を覆い、人々は逃げ惑い、獣たちが人間を襲っている。まるで悪夢。この世の終わりだと思った。そうしてその想像は間違いではなかった。


「我はこの世界を壊し、正常に再生する」


 間違いでは、なかったのだ。

この惨状が自分の行動のせいで起こったと、目の前の神は言った。ウィリアムのせいで。


 ウィリアムは声も出せなかった。正気を失ってしまいたかった。能力を授かって目の前から神が消えたころには、火はさらに勢いを増していた。


「リオン………リオンは!」


 孫は友人たちと遊ぶと言っていたので、ウィリアムは朝から保護者の一人に孫を頼んだ。来週は自分が、と言って手を振った。その来週が存在するのかも怪しい。このままでは来週は来ない。


 ウィリアムは瓦礫を避けて走り出した。鋭利な瓦礫がウィリアムの服を破く。肌から血が滲んだ。じゅくじゅくとした痛み。


「リオンを、みませんでしたか!」


 走りながら逃げ惑う町の人々に声をかける。異形の獣を切り倒しながら進むも、誰もリオンについて知らない。知らないのだ。


「リオン!リオン!」


 熱風のせいで乾燥した空気がウィリアムの喉を殺そうと蠢く。ガラガラの声は頼りなく、ウィリアムはリアンの姿を見つけられずに膝をついた。


「あ、あ、ぁああああああああ」


 あの子を頼むと、娘は言った。

 父だと慕っていたと、娘婿は言った。

 あなたなら大丈夫だと、妻は言った。


 あなたなら、大丈夫だと。


 しかし愛した彼らの忘れ形見は、自分のせいで死にさらされている。




 その時だった。


『そなたは自身の記憶と引き換えに、未来を見ることができる』


 先ほどの神の記憶が蘇る。


(助けられるのか)


 涙が地面につく前に、ウィリアムは希望を見出した。


(記憶なんてどうでもいい。リオンさえ無事なら)

 

 ウィリアムは祈った。能力の使い方はなぜかわかった。


(リオンのいる場所を知るための未来を)


 脳に鈴の音が響いて――――獣が――――火が―――家屋が―――リオンの頭が――――


獣に食われる!


 ウィリアムは走った。場所はわかった。吐き気がした。未来の中で、孫は頭から食われて悲鳴すら上げられなかった。生臭いにおいが蔓延する町を直視できない。自分のせいだと心が叫ぶ。


「リオン!!」


 間一髪、ウィリアムは獣の頭部を切ってリオンを助け出すことに成功した。すぐにその体を抱きしめる。孫の体は暖かかった。生きている。鼓動が聞こえる。


「おじいちゃん、おじいちゃん」

「すまない、すまない――――」


 泣き叫ぶ孫を抱いて、ウィリアムはその場から離れた。高台へと向かう。このままでは、この町ともども火に沈んでしまう。


「おじいちゃん、僕たちの家が!」

「そうだな」


 家の横を通った時にリオンは言った。


「おばあちゃんのブローチを取りにいかないと!おじいちゃん!おろして!!」


 ウィリアムはそれを無視した。


「おばあちゃんの生きてた証が! なくなっちゃう!!」


 命の危機が迫っているからではない。

 ウィリアムは忘れていたのだ。


「………ブローチ?」


 何のことを言っているのかがわからなかった。ブローチなんてものを、妻が持っていた記憶がない。


「え」


 孫は驚愕のあまり声を漏らした。


「おじいちゃんが結婚の申し込みの時に渡した、おばあちゃんがずっとつけてたブローチだよ……!」


 そういわれても、全く思い出せなかった。家に戻る時間はない。ウィリアムはリオンの申し出を無視して高台へと急いだ。


「おじいちゃん……!?」


 高台の上についた。見下ろした先はもう、火の海だった。図書館ももう、煙で見えない。火は、地平線の付近まで広がっている。生き延びた数人がその場にへたり込んでいた。


「啓示の日だ」


 誰かが言った。


「レウコン教の教えの日が、ついに来たんだ……!」


 ウィリアムはただただリオンを抱きしめていた。自分の罪の重さを、高台の上まで伝わる熱さで感じながら。

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