クッキーと人だかり
「まぁ、あんなに微笑まれて……。お昼前のお茶の時間にお見かけできて良かったわ」
「本当ですわ!こちらまで幸せになりそう」
少し離れたところから数名の女生徒が頬を紅く染めながら信長をそっと見守るように見ていた。
傍から見たら貴族院の大学科きっての人気者が、貴族院のカフェテラスで優雅にお茶を楽しんでいるように見えるのだろう。
残念だが、実際は愛おしそうに手の中にあるクッキー見つめる信長を、佐久間と柴田が呆れた顔で見ているだけである。
「これは譲れないからな! 佐久間と柴田の分は颯さんが作ってくれた分があるだろう?」
「なにもお前のを取って食いやしなってば。もう早く食べろよ」
「しかし琥珀嬢も颯嬢も料理上手だな。それに菓子まで。まだ数日だと言うのに皆すっかり胃袋を掴まれてしまっているな」
佐久間信盛と柴田勝家、織田信長の三人は物心つく前から一緒にいる幼馴染だ。
織田信長に仕えた佐久間信盛と柴田勝家の魂の欠片を持って生まれたからかは分からないが、初等部に入る前から何故か一緒にいることが多かった。織田家に仕えていた佐久間家と柴田家から信長の側仕えをと声が上がった時には、当然のように二人が選ばれたと言うわけだ。
普段は主従関係をわきまえている佐久間信盛と柴田勝家の二人も、貴族院の中では同級生。仲のかなり良いただの幼馴染三人組でもある。
「信長、いつまで見ているつもりだ。早く食べないと次の授業に間に合わなくなる」
「だって、いってらっしゃいって言って俺に渡してくれたのに。もったいなくて……」
「琥珀嬢だってみんなに食べてもらいたいから作ってるのに、お前が食べてくれなかったら悲しがるぞ」
「それはそうなんだけれど……」
じっとりとした目で佐久間を睨む信長は、存外面倒くさい。
琥珀と颯がこの世界にやってきて一週間。
各方面ともに調整が進み来週末に国王との謁見がようやく決まった。当日は謁見と会食が予定されているが二人ともすることもなくぶらぶらできる性分でもない。
この世界にやってきた当日に食べたスコーンと生クリームの不味さに厨房を借りたいと願った二人は、魔法使いとしてのレベル上げもしなければいけないことを思い出し、手持ち無沙汰も手伝ってかその日から朝食や夕食を手伝い、お酒のつまみなど色々なものを作ってはレベル上げに勤しんでいる。
……のだが、レベルが上がる兆しは今のところ残念ながらないそうだ。
そのレベル上げの一環で作られたのがこのクッキーである。別に信長のためだけに作られたわけではない事はわかっているが、琥珀の手で作られたものだと思うだけで嬉しくて、なかなか口に入れることができないでいた。
「そうだな。今日の夕飯の後から共に片付けとかしたらどうだ? 一緒にいられる時間が増えるだろう」
「柴田! お前めちゃくちゃいいこと言うじゃないか!」
そういうと、ようやくいそいそと食べ始める。
「しかしまだ作り始めて数日だけどさ、結構色々作ってるみたいのにレベルが上がらないのはなんでなんだろうな」
「彼女達の魔法のレベル上げについて、貴族院の図書館でなにかわかるだろうか」
「後で少し確認しに行ってみようか。はぁ……このクッキー、優しい甘さでほっとする味がするよ」
頬を染めながら本当に愛おしそうにクッキーを食べる信長に佐久間が注意する。
「その顔、やばいから。主に女生徒達」
「屍の山が築かれる事間違いなしだな」
「は?!」
「色気ダダ漏れだかんね」
「俺に色気なんてないでしょう、まったく……」
品行方正で誠実に接し、深い海の色のような瞳で誰にでも優しく微笑み返してくれるのに今まで浮いた噂の一つもない。さらにこの国で唯一無二の魔法の持ち主で高位貴族の跡取り息子とくればまさに高嶺の花。それが貴族院での織田信長の印象である。
今までは概ねその通りであったが、今は違う。
初恋の人琥珀を思うと頬に紅が差し、ただでさえ印象的なその瞳が潤むのだ。
まさに今少し離れたところで女生徒達のため息が聞こえた。
「それよりも、国立図書館の方がさすがに稀覯書は多いとは思うけど……。貴族院の図書館にも魔法に特化した本はあると思う……ん? なんだ、あれ」
その時、少し離れたところからなんだかかなりの人だかりが信長達に向かって歩いてくるのが見えた。
十人ぐらいで人を囲っているようだが、ぽっかり間の空いたその中心は全く見えない。
「巴御前殿なら周りは男子生徒ばかりだが、あれは半々と言ったところか?」
「男女の取り巻きが出来るような生徒なんていたか?」
「あっ!!」
佐久間も柴田も思いつくことを考えていると、信長は何かを見つけたようで人だかりに猛烈な勢いで走っていっってしまった。
「おい、信長!! あ……あれは」
柴田が声をかけてもお構いなし。信長は必死に歩く人だかりの中をこじ開けてようやく、佐久間も同じものを見つけることができた。
人だかりの中、琥珀と颯の横をあまりいい噂を聞かない貴族の子息が隣を歩いているではないか。
ただ隣を歩いているだけだというのにどうしても耐えられなくて、信長は強引に割り込み琥珀に手を伸ばして自分の方に引き寄せた。
「ど、どうしてここに」
引き寄せられた反動で信長の胸の中にすっぽりと収まった琥珀は、人の気も知らず信長を見上げ満面の笑みだ。
「信長さん。探したんですよー。こちらの人達が信長さんのところに案内してくれるっていうんで……」
「危ないじゃないですか……。一人でこんな」
「一人じゃないわよって、あんたね……ほんとだっ! みたいな顔してんじゃないわよ」
颯の存在に気がつかない程、『貴族子息と並んで歩いているように見えた琥珀』しか目に入っていなかった信長は、小さくすみませんと颯に謝る。
しっかり抱きしめられていた琥珀がくすぐったそうに身じろぎすると、急に恥ずかしさを覚えた信長はその体温に後ろ髪をひかれながらも身体を離した。
「今朝信秀さんに魔法のことはどこで調べたいってお願いしたら、信長さんがいるここの学校ならば行ってもいいってお許しもらったんです! それで、せっかくだからお弁当持ってきたんですよ。お昼に一緒に食べませんか?」
「食べますっ! 食べますけどっ」
若干食い気味に二つ返事をする信長は、外に出る時は俺を連れて行けって親父が言っていたのにと若干怒りが込み上げてきた。こんな貴族の男が沢山いるところに黒髪の年若い女性を二人で向かわせるなんて狂気の沙汰としか思えない。
案の定、比較的美人な部類であろう颯を見る貴族の子息たちが微妙な距離を保ちながら信長達との話に聞き耳を立てている。
元々一泊のつもりで旅行に来る程度の荷物しかもっていなかったので、洋服も着まわせるほどたくさんない。滞在翌日には織田家に仕立て屋を呼んで、既存服からいくつかを琥珀と颯で選んだ。
今日はこちらで選んだ既存服ではなく向こうから持ってきたもので、颯は少しくすんだようなオレンジ色のワンピースにデニムジャケットを羽織っている。琥珀はだぼっとしたデニムのサロペットに白のTシャツ。二人共こちらではあまり見ないタイプの洋服である。
「どうやって貴族院まで二人でいらしたんですか」
そう事情を聞き始めた信長は、自分の視線の端に映る様子を窺う外野達の視線から隠すように、立っている位置を何度も変える。
「二人じゃないわよ。ネロと一緒に来たのよ」
「そうそう、ネロ凄いね。馬車まで運転できるんだもん。びっくりしちゃった」
「その内アタシも馬にも乗ってみたいけど、乗る機会あるかね」
「私もー。動物園とかでロバには乗ったことあるけど馬は視線が高くてちょっと怖いかも」
と、視線の端にネロを見つける。
さらに目線を動かすと、織田家のものが数人周りにいることに信長もようやく気が付いた。
信長も頭に血が上っていて気が付かなかったとはいえ、確かに信秀がこの二人だけで貴族院などには送り込まないだろうと気が付けなかったほど、琥珀を見た自分は気が動転していたのだと気が付くとなんとも恥ずかしいやら苦々しい気持ちである。
「馬はその内俺と一緒に練習しましょう。とりあえず今日は……」
「こんにちわ、信長殿」
恥ずかしさを誤魔化すように信長は話しを進めようとしたのだが、さきほど琥珀の横を歩いていた忌々しい貴族子息が話しかけてきた。
「あぁ、アンディ殿。お元気そうで何よりです」
「信長殿もお元気そうで何よりでございます。そちらのお二人は、お知り合いなのですか?」
舐めるような視線を向けるのはアンディ・ガリウス。
欠片を持つ家柄ではないものの、オルランドでは高位貴族の次男である。
「えぇ、お二人共当家の客人です」
「もしよろしければ、お二人をご紹介いただけませんか? 先ほども信長殿の元へ案内する際お名前をお伺いしたのですが、恥ずかしがってお教えいただけなくてね。こんなに美しい黒髪をお持ちであればさぞ高位の貴族のご子息とご息女なのでしょうかと思いまして」
ん? ご子息とご息女?
高位貴族の信長を探している黒髪の二人組なら、確かに織田と同じぐらいの高位貴族だと思うのは分かるし、琥珀も颯の名前もこちらではあまり馴染みもない。今日着ている洋服の感じから何やら色々と勘違いしてくれているならば信長にとっては好都合である。
「えぇ、ご紹介はそのうちいずれ。お二人をお連れいただいてありがとうございました。さぁ二人共行きましょうか」
佐久間と柴田に目くばせすると、さらに周りにいた家のものも同じように動き出す。
ネロも同じように動き出したかと思うと、一度信長のそばにやってきた。
「先ほどの人だかりの中でもちゃんとお守りしておりましたのでご安心ください。織田の大事なお客人でございます。渡り人であることもお名前も教えておりませんし、無論琥珀様にも颯様にも指一本触れさせておりません」
ドヤ顔で報告するネロに、信長は正直褒美を取らせたいほどであった。
アンディ・ガリウスと言う男は、女性遊びが派手だという噂を他方面から聞いたことがあった。面識が出来てしまった事は仕方がないが、名は分からなくとも織田の客人だと分かっていれば手出しをすることはないだろう。
「ありがとう」
「褒美は琥珀様と颯様のおやつ増しでお願いいたします」
「ネロ、私のお菓子なんかでいいの!?」
「琥珀様と颯様の作るおやつを食べると、びっくりするほど翌日の肌の調子が段違いなのです!」
「ほんとー??」
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人だかりから遠ざかる信長達を、カフェテラスで談笑していた時から見守っていた女生徒三人も見送っていた。
「ねぇ、信長様もあのようなお顔なされるのですね」
「えぇ、とても大事なお客様なのでしょうか。どちらかのお方に想いを寄せていらっしゃるとか?」
「髪の短い方でしょうか、それとも色鮮やかなお洋服を着ていらしたほう?」
「俄然髪の短い方の方だと思いましてよっ」
「わたくしもですわ!」
きゃーきゃーっと言いながらも口元を上品に抑える。
「普段のお優しい顔も素敵ですが、先ほどの必死なお顔、なにやら嵐の予感がいたしますわね」
「その嵐、わたくしたち今後も見守らなくてはなりませんわね」
「全力でお見守りいたしましょう」
お読みいただきありがとうございます。