免許証は光らない
サービスエリアの裏側……というか、おそらくそちらが本当の姿なのであろう……に案内され、より一層クラシックな、琥珀も颯も生まれて初めて見る本物の馬車に乗って移動することとなった。
五年前に中古で買った琥珀の車はこの先目立つからと言う理由で乗って行くことができずに残してきたのは非常に残念だが致し方ない。
馬車が進みだすとすぐ信長が少しだけ説明しますね、と言って話してくれた。
沢山並んでいたクラシックカーは、実際には動かないただの飾りだということ。(ちなみに信長達が乗っていた車は琥珀が前から欲しかったSUV車で、この異世界では数台しかない動く車のうちの一台だそうだ)
あの場所はこちらの世界に来る扉とも言える靄を抜けたところにあって、どこから入ってもあの場所に行き着くこと。
サービスエリアは万が一のカモフラージュ用であり、魔法で作られた造られた場所だが、術者の好みであのようなエセ日本みたいな不思議な空間になってしまっていること。
しかし意外に食事のクオリティがいいのでカモフラージュ用ではもったいないと実際営業もしているが、基本的にあのエリアは貴族しか立ち入ることが出来ず、展開されていた色々な店舗はあの場所にしかないこと。
ふんわり繋がっているのは日本の例の銀行だけなので、二人が物凄くラッキーだったこと。
琥珀達のいた世界からこの異世界に辿り着ける人は、『いるにはいるがかなり特殊』であること。
特殊ではないのにこの世界に渡ってきた二人には、今後時期を見て大神さまと呼ばれる存在に会いに行かなくてはいけないこと。
元居た世界には、もう戻れないこと……。
貴族とか大神とか、やっぱり帰れないとか……。琥珀も颯も疑問や質問がごまんと出来てしまったのだが、聞きたいことが多過ぎるのでそれはまた落ち着いてから聞くことにして、窓の外に流れる風景を見やる。
サービスエリア内があまりにも時代劇セットを思わせる作りだったのと、見かけた人たちの服装があまりにも日本風だったので、この世界も日本に似た場所なのだと勝手に思っていたが、二人の目に飛び込んできた風景は日本のそれではなかった。
まず先ほどの場所から少し離れるだけで、のどかな田園風景が広がっているのが見えた。
手入れはされているが舗装されていない道を進むと、たまに通りすがる人が馬車に向かって恭しくお辞儀をしてくるのが琥珀と楓には不思議でしょうがなかったが、信長は苦笑いするだけだった。
田園風景の中を進むと、少しずつ建造物が増え道も先ほどよりは整備され始めてきた。
さらに舗装された道に入るとすぐ、絵のように美しくツタが絡まる塔が入口の門が見えた。塔を通り過ぎ街に入り石畳で舗装された大きな道を進むと、道の両脇には中世ヨーロッパを思わせるような絵本に出てくるような可愛い建物が続く。
海外旅行未経験の琥珀と颯は、馬車の振動で腰の痛みがもう限界であることも忘れ、ワクワクする気持ちのまま銀行らしき建物の前に到着した。
到着すると、スマートに佐久間が颯に手を差し出し馬車を降りる。
忘れていた痛みがぶり返しよぼよぼ歩く颯を笑いながらも、琥珀も笑われないようにゆっくり動き馬車を降りようとした瞬間、
「わわっ」
ステップで足を滑らせびっくりした拍子に、先に外に出ていた信長の背中に飛びついてしまったのであった……。
「華麗におんぶを決めるなんて、琥珀もやるわね!」
「わざとじゃないやいっ!!」
そして、今はふんわりとした感じで向こうの世界に残してきた貯金が使えるようにしてもらえるという、ちょっと胡散臭いイメージだった銀行の何故か貴賓室のような部屋に通され、担当者が来るのを待っていた。
「そんなに笑わなくてもいいじゃないですか」
「はい……。でも、琥珀さんが可愛くてつい……」
「は? なんておこがましいっ!」
「え? えっと?」
「私ごときが可愛いなど、おこがましいにも程がある! 信長さん、可愛いに謝ってください」
「え? あ……、うん。ふっ、ふふ、ごめんなさい」
なんだか理解し難い怒りを見せる琥珀の左横に座ってとても嬉しそうに会話する信長を、佐久間は微笑ましいなと、柴田はなんとも言えない表情を浮かべ横に立ちながらそのやり取りを見ていた。さらにそれを横目に、颯は部屋の隅々まで忙しそうにきょろきょろと周りを観察する。
「丁寧な仕事が見て取れる上質な皮のソファーに、なんだか良く分からないけれど多分あの絵画、何百億とかしちゃうやつじゃん……」
右隣で座って腰をさすっていた颯が室内を観察し終わったのか、ソファーを撫でながらごくりとつばを飲み込んだのが聞こえた。
「しっかし銀行のちゃんとした応接室とかってさ、普通入れちゃうもの? あぁ、ちょっとアタシらの話がカウンターではしにくいからかな」
「それはありうる。話が話だけに沢山の人がいるところでするわけにはいかないのかもしれないね」
二人ようやく痛みが引き始めた腰をさすりながらそんな話をしていると、ドアノックの音が聞こえてとても仕立ての良さそうなスーツを身にまとった立派なカイゼル髭の初老の男性が入ってきた。後ろから銀行員とみられる男性が一人沢山の書類を手に持って入ってきた後、そのさらに後ろから女性が二人お茶を持って入ってくる。
人が入って来たので、琥珀と颯は反射的にソファーから立ち上がったが、それとは対照的に信長は優雅に立ち上がり相手に挨拶を交わした。
「しばらくぶりですね、高橋総裁」
「織田様、本日はご来店いただきありがとうございます。わざわざ銀行口座開設にご足労いただき、大変恐縮でございます。お呼びいただければこちらからお屋敷に参りましたものを……」
高橋総裁と呼ばれた初老の男性は深々と信長に頭を下げると、琥珀と颯をちらりと見て軽く首を傾げた。
「ねぇ琥珀。銀行の総裁ってめっちゃ偉い人じゃない?」
「日銀の一番トップは総裁って言うよね……」
「言うねー……」
こそこそ琥珀と颯が隙を見て確認し合う。
「織田様、こちらのお嬢様方は?」
「「はっ、初めまして。本日はなにとぞよろしくお願い申し上げます」」
「ふふふ。そんなに緊張されなくても大丈夫ですよ。高橋総裁、お二人は渡り人なんです。ここに来たのはこちらで銀行口座の開設したくてですね……」
「さようでございましたか。こちらの世界に本当にいらっしゃるなんてなんと珍しい事でございましょうか。無論新規口座開設につきまして謹んで承ります」
急に恭しく自分たちにお辞儀をし始めた高橋に続き、行員の男性と女性も深々と頭を下げた。それを見た琥珀と颯はそんなに凄い人間でもないし、言ってみたら何となくこの世界に迷い込んだだけの人間なのだから急激に持て囃されても、落ち着かない気持ちになってしまう。
「いやいや、私達そんな大層なもんじゃないんで。なんかちょーっと間違ってこっちにお邪魔しちゃっただけなんです。銀行口座がなんとか作れればほんとありがたいって言うか……」
「そうそう、アタシたちただの会社員よ。貯蓄だって微々たるもんだし」
「唯一二人共借金がないのは自慢だけどね」
「基本ニコニコ現金払い。カードも一括払いが基本よ」
「よっ! 颯男前!」
「もっと言ってもよろしくてよ、琥珀」
琥珀も颯も気持ちをなんとか普通の状態に戻したくて、いつもよりも早口で軽口を言い合いながら平静を保とうとしていた……、のだが、途中で本当に楽しくなってきたのかノリノリで会話が続いてしまっている。緊張もほぐれたようで、もうすっかりいつもの二人のノリだ。
しかしそれでは話が全く進まないので、高橋も何とか二人の会話の切れ目を見つけ間に入って説明を始めようと二人の会話に割って入る。
「楽しそうにお話中に申し訳けございませんが、銀行口座についてお話しさせていたいてよろしいでしょうか」
「「はいっ! 喜んでー!!」」
「ふふふ。琥珀さんも颯さんも、ノリが本当にいいですね」
信長の微笑みと共に、高橋の説明が始まる。
例の銀行に預けていた貯金は全額こちらでも使えるようになること。
先ほど馬車の中でも言われたが、例の銀行に口座を持っていたのは本当に幸運であること。
原理としてはお金の幽体離脱のようなものが起こり、こちらで作った銀行口座にそのまま移されこちらで使える通貨に変わる……、とのことだったのだが……。
「なんてご都合主義っ! でもありがてぇ……。ありがてぇです」
「っていうか、お金の幽体離脱イメージすると笑っちゃう」
「ね、その瞬間見れたら絶対笑うし」
「アタシも!」
「それでですね、銀行口座をこちらに作るためには身元保証人が必要でございますが、お二人の保証人は佐久間様か柴田様がされるのでしょうか」
高橋が説明を終え、口座を本格的に作るためにさらに話を進めていく。
この世界に二人の戸籍などはない。身元保証人がいたとしてそれでも口座なんて作れるのだろうか。再びの不安が琥珀の顔に浮かぶと、信長はすかさず大丈夫ですよと琥珀の手の甲をぽんぽんと優しく叩いた。
「琥珀さんも颯さんも、俺が身元保証人になりましょう。手続きをお願いします」
「織田様自ら……、でございますか?」
「俺では、何か問題がありますか?」
「問題あるだろ、若が身元保証人なんて大事だよ?」
「いやいや、身元保証人になるだけで大事になるなんてどんなよっ」
思わず突っ込んでしまった颯に、佐久間が何とも誇らしげな表情で説明し始めた。
「名前で分かってると思うけれど、若は織田信長。君達の居た世界では戦国時代の有名な武将の名前だよね。こちらの世界でも似たようなものさ」
「若はこの国の貴族の中でも上位のお家柄のご子息にして、唯一無二の魔法を操る。某達の主なのだ」
柴田も佐久間に続いて信長がどんなに清く優しく凄い人物なのかを誇らしげな表情で話をするのだが、正直琥珀も颯もさっぱりピンとこない。何故なら目の前でバツが悪そうにしている信長を見ていると二人共「同級生の気のいい兄ちゃん」みたいなイメージしか持てないからだ。まぁ気のいい兄ちゃんにしては美形すぎるが。
「それに魔法なんて異世界じゃあるまいしさ」
「そうそう、どんなにアタシたちが異世界に迷い込んだって言ったってそんなの異世界でしか……?」
「「あー! ここ異世界かー……」」
そう、ここは異世界だった。
「魔法があるとは、異世界やっぱすごい」
「私達にも魔法が使えるようになりますか? ただの日本人なんですけど……」
「それは気になる所よね。異世界に転生したり転移したりしたら大体使えるようになるのが鉄板だけど、まずは金」
琥珀も颯も自分達にも魔法が使えるようになる、または今この瞬間も使えるのか急に気になりはするがまだ預貯金問題が解決していない。
「颯が金の亡者になっとるっ!」
「いくら微々たる貯金であっても、あるのとないのとじゃ安心感に違いがありますから」
またもや二人で話が暴走するところだったが、信長が大丈夫ですよ。と声をかけた。
「これから俺が身元保証人になるためにこの書類に署名をしていくんですけれど、お二人の使用できる魔法はこの書類を作成する過程で分かりますから心配しなくて大丈夫です」
「えぇ。こういった事態に備えてずいぶん前から協議されおりましたが、万事抜かりなくお手続きさせていただきますのでご安心ください」
高橋が何やら行員の男性に目くばせすると、銀行開設やキャッシュカードを時に作る時に見るような書式の紙と、それとは別にとても薄く柔らかな手触りの紙を琥珀と颯の前に置く。その後、見た目は黒の同軸に銀色に輝いて見える綺麗な彫刻のある万年筆をそっと琥珀と颯に渡した。
「こちらの書類に記入いただきます。」
「でも高橋さん、私達この世界で仕事もしてませんし……」
「急に現実的ね、琥珀。でも確かに住所不定無職だね。アタシたち」
「確かにお二人共普通なら銀行口座はお作りになることは叶いませんが、織田様が身元保証人ですので問題ございません。元居た世界の住所を書く欄がございますので、そちらは必ず明記ください。新しい住所やお仕事が決まられたらその時に変更いたしましょう」
名前を書くと出てきたインクは、黒く見えるのだが光を纏ったようにキラキラとしてとても綺麗だ。
これは書くのが楽しくなるというもの。現住所住所と職業については空欄のまま、生年月日と旧住所を書いていく。
それしか書くところがないのがとても申し訳ないが……。
「琥珀は字が上手いからいいよね」
「いやいや、これはたまたま上手に書けただけ。颯も字うまいよね」
「充分二人共綺麗な字ですよ。やはり向こうの教育制度の賜物でしょうか……」
不思議なインクで自分の文字が百倍綺麗に見える気がするが、書類が読めるのでついついいつも通り日本語で明記したが、ここは異世界。漢字で書いて良かったのだろうかという疑問が琥珀の頭をかすめた。
「と言うか、全部書き終わった後でなんなんですけど……これ日本語で書いてますけど大丈夫ですかね……」
「むしろ他の言語だった場合、アタシたち書くこと自体一苦労じゃない」
高橋は、大丈夫でございますと一言頷いて書き終わった書類を手に持ち、透明なのに角度によって不思議に光るクリアファイルに挟んだ。
「この書類で大事なことは、この国の言語ではありませんので問題ございませんよ。自分の書類から目を離さずにしっかり見ていてくださいませ」
パチン、パチン、パチンと三回指を鳴らすと、意思を持ったかのように勝手に折りたたまれていく。
「マジック?」
「いいえ、秋月様、これは魔法でございます」
「そうだった。魔法ね、まほう……」
一、二回折られるだけならまだしも、ぎゅっぎゅっとどんどん小さく折りたたまれている。
不思議が過ぎる。
「高橋さん。これはさすがに折りたたまれ過ぎではないですかね」
「秋田様。折りたたまれ過ぎ、という事もないかと存じます」
「いや、この質量でこんなに小っちゃく折りたたまれるってありえる?」
「魔法でございますので……」
「「魔法、まさに魔法の言葉よ……」」
かなり地味だがどんどん小さく折りたたまれ、なんと米粒ほどの大きさになったところで高橋がそれを手に取るように指示する。
琥珀と颯が恐る恐る手に取ると、パーっと光って眩しさで目がつぶれるっ……ということもなく、じわりじわりと手のひらの上でまた大きさを取り戻し、現代人の財布にすっぽり収まる見慣れたカードのサイズになったのだった。
住所と生年月日、住所に顔写真付き、これは顔写真付きの身分証明書の最強カード、免許証と瓜二つだ。
免許証と違うのは、区分の部分には何も書かれていない事と有効期限が書かれていないことぐらいである。
「……なんかちょっと期待してたのと……違った。免許証だよ。これじゃぁ」
渋いものを食べたかのような表情の琥珀は、眉間にしわを寄せうなだれた。
「ちょっとさ、光るの楽しみにしてた。なんならそれに魔法のランクとか書いてあると思ってた」
鼻をスンとすすって、目尻の涙をぬぐい颯もうなだれた。
「あの……。この魔法、派手に光るものでなくて……申し訳けございません……」
苦虫をつぶしたような顔で、小さく呟き高橋もうなだれてしまったのであった。