クレープと魔力量
「こちら言われたものをお待ちしましたが、この珍妙な鞄の中に材料が入っているのか?」
国王と大神にクレープを作れと言われても薄力粉をすぐに用意できるか分からなかったので、旅行で作ろうと思って持ってきていた分を使おうと織田の家から柴田に持ってきてもらったのだ。
「そう。って言うか珍妙な鞄って……。このスーツケース軽いし音も静かで運びやすいでしょ?」
「確かにそうなのだが、こんなに音がしないと心配ではないか?」
「うるさいよりいいじゃない。ほら、琥珀」
早々にスーツケースを開けると、中には薄力粉と砂糖。
丁度いい大きさのフライパンが入っているのは、単なる琥珀の趣味である。
「卵と牛乳と生クリームがあれば……、あとはなにか果物はありますか?」
厨房の料理人に聞くと、好きに使えと言いながら大きな机の上に置くと、面白いものを見るかのように料理人たちが集まってきてしまった。
生地を作ったら一時間ぐらい寝かせるので、その間に生クリーム作ったり果物を切ったりすれば時間も持つだろう。
薄力粉と砂糖を混ぜて、溶いた卵をさらに混ぜる。
ゆっくり牛乳を入れて混ぜ合わせていき、最後に油を入れ充分混ぜたら冷蔵庫に一時間ほど寝かせる。
「ココアかチョコレートはありますか?」
「ココアの粉ならあるが、ありゃ苦いぞ?」
「に……苦いものって、砂糖混ざってないものか。バターと砂糖と牛乳でチョコペーストにしよっかな」
「あとは、果物は何があるの?」
琥珀がチョコレートペーストを作っている間に、颯が果物を選別していく。
バナナに似たものと、少し酸っぱいがイチゴに似た果実。あとはコーンフレークを見つけた。
「少し遊びになるからコレも良さそう。どう? 琥珀」
「良いと思うよー」
なかなか混ざり合わないココアパウダーとバターに格闘していると、様子を見に信長がやってきた。
「琥珀さん、何か俺にも手伝えることはないですか?」
「えーっと、ないですかねー」
一瞬で否定された信長は、《がーん》という効果音が見えるような表情で固まってしまった。
「と言うのは冗談で、これちょっと混ぜてもらえませんか? バターとココアパウダーがしっかりと混ざり合ってペーストになるまでお願いしますね」
「は、はいっ!」
先ほどとは打って変わってしっぽが振り切れるのが見える様だ。
「琥珀ー、生クリーム泡立てていい?」
「いいよー。とろみがついたら砂糖入れるの忘れないでね」
三回に分けて入れてね。と一言伝えると琥珀は信長が丁寧に混ぜているチョコのペーストの様子を見る。いい具合に混ざっているように見えるので、信長と交代して熱くなるまで加熱する。
焦げないように慎重に火にかけながら混ぜ続け、フードプロセッサがないのでここでもう牛乳と砂糖を加えある程度滑らかになるまでさらに混ぜ合わせる。
元々のココアパウダーが上質だったのか信長がバターと混ぜるのが上手かったのかかなりクリーミーでいいものが出来た。
「ここで、隠し味に少しだけ塩をいれまーす」
「塩なんて入れたら、甘さが消えたりしないんですか?」
「お塩を入れると、あら不思議。甘さが引き立ってより甘く感じるんですよ」
ふんふん、と上機嫌で一つまみチョコレートもどきに入れるともう少し混ぜて味見する。
本当はスプーンで味見するのが良いのだろうが、端っこに付いたものを指で少し掬って口に含む。
「ほぉほぉ、なかなかいい出来だ。颯ー、ちょっとこのチョコ食べてみて」
颯にはスプーンで少し掬って渡す。
ぱくりと口に含むと、何も言わないがとびっきりの笑顔で美味しいと全身で伝えてくる。
市販のチョコレートに比べれば甘みも滑らかさも明らかに足りないのだが、それでも美味しく感じるのはこの世界に来てから始めて食べるチョコレートだからだったのかもしれない。
琥珀はもう一口、と思って今度は小指でさっきと同じように少しだけ掬って舐めようとしたのだが、信長が物凄く物欲しそうに見ているのに気が付いてしまった。
手元にスプーンがなかったし、掬うようなものも見つからず……、自分で端っこの辺りを掬って舐めていいよと言えばよかったはずなのだが、あまりにも食べたそうにしているのをそのままにしておくことが出来なくて丁度小指で掬ったチョコレートを見て、そのまま差し出してしまった。
「どうぞー」
「ん゛……、いいんですか??」
指で掬った少しを、信長の指に分ければいいのだと思って差し出したのだが……。
何を思ったのか信長は、チョコのついた琥珀の小指をぱくりと口に含んだのだ。
「っっ!」
「の、のぶながさま?」
そばでなにも言わずに見ていた柴田も、声がひっくり返っている。
口に含んでから、軽く吸い付いて指を舌で這うように舐められ、最後にはチュッと言う音を立てて指から離れると、信長は涼しい顔で美味しいですと微笑んだ。
その微笑みの、なんと妖艶なことか……
ぽかんとしていると、横から颯が信長の頭をパシっと叩いた。
「あんた、うちの琥珀になんてことしてくれてんのよ」
「琥珀さんには何も……、味見をさせてくれるようでしたので味合わないとと思って」
「琥珀の味は美味しかったかしら?」
颯の顔は若干の呆れと、ほんの少しの怒りを含んでいるように見える。
「琥珀さんの、味?」
「随分と味わってくれたのでしょう? チョコのついた琥珀の指を」
と、ようやく信長も自分がしたことの破廉恥さに気がついたのか、顔を真っ赤にして弁解し始めた。
「琥珀さんに対してやましい気持ちはそのえっと……今は、今はなかったんです」
「やましい気持ちあるんじゃないのよっ」
「だっ、そうじゃなくって、差し出された味見を純粋に楽しみにしていたと言うか」
今までの信長のイメージがまったく変わってしまうような、そのあたふたした釈明を聞いているうちに琥珀はなんだか面白くなってきてしまった。
びっくりはしたし何だか恥ずかしいような気もするけれど、別に嫌だったわけでもないし。
「そろそろ一時間経つし、生地焼くよ!」
とりあえず今は大神さまがご所望のクレープを作ろうと琥珀はフライパンに油を敷いた。
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「何やら信長がお主に無体を働いたと聞いたが、問題ないのか?」
「え??」
大神に皿を持っていくと、開口一番クレープよりもそちらの心配をされたのには琥珀も信長もびっくりした。
「無体だなんて、俺は……」
「あの。嫌なことされたわけではないので大丈夫ですよ。さぁ、食べてみてください」
「嫌ではなかったんですね……」
小さく掠れた信長の声は聞こえなかったことにして、まずはクレープを食べてもらう。少し小さく切った生地の上に生クリームを乗せさらにチョコを乗せてからくるりと包む。
「と言われても、この謎の皮のようなものを出されてものぅ……」
甘いクレープが好きな人でも、果物の好みもあるので今回は好きにトッピングできるように別々にしたのだ。
「クレープはこの生地の上に好きなものを乗せて食べるんです。まずは生クリームとチョコで食べてもらって、その後好みの果実を乗せて食べるのがおすすめです」
と、颯がおすすめする。
「そうか。ではいただいてみようかの」
「我もいただこうか」
国王と大神が並んで、一口クレープを含む。咀嚼をしている顔を見ればそれが美味しいと思ってくれていることは分かるのだがもう口の中に入っていないのではないかと思うほど咀嚼をして、ようやく口を開いた。
「これは甘いがずっと続いてよいものであるな」
「えぇ、大神さま。これはこの世界にある甘味とはわけが違いますね」
「颯も言っていましたけれど、こちらの食事はとても美味しいのにお菓子に対してはあまり積極的に研究されていないみたいで……。プリンにはすが入ってて美味しくなかったり、さっきのシフォンケーキはしっかり混ざってなくてさらにちゃんと焼けてなくて膨らんでないし……」
食事はとても美味しいのに、大変本当に残念でならない。
大変残念ではあるが、琥珀も颯もこの隙間産業のような商売をなんとか始めたいとは考えているし、店のイメージなどは毎晩二人で話し合っているのだが、いかんせんまだ自分たち自身が自由にならない。
そんなことを考えながら、次はクレープに生クリームにチョコといくつかの果物を入れたものを国王と大神の前に出すと、先ほどと同じように無言で長いこと咀嚼していた。
「ならば、おぬしたちが店を出すがよいぞ。この世界で広がるにはまず沢山の者たちに食べてもらわなければならんが、それを広げる手段がないからな」
「え? でもまだ魔法使いの魔法もレベルだってあげなくちゃいけないのにその方法も分からなくて、それに黒髪だと危ないかもしれないって」
「ほぅほぅ。魔法使い……、そうか。人の子らよ。二人共魔法の鑑定の時にワシの欠片から祝福を受けたのだな。レベルが上がるためには経験値があまりにも必要であるから、あと数年はあがらんぞ?」
「そ、そんな!」
「まじか……」
店を始めてもレベルが上がらないなら魔力量も少ない、潜在能力もアップしない。使える魔法もほぼないし、ついでを言えばほうきに跨って浮き上がることは出来ても飛び回ることは出来ない。
「あと数年も上がらないってわかっちゃったらモチベーションが上がらないよねぇ」
「知らなくてもいい事実ってこの世に沢山あるねぇ……」
「ほうほう。それはすまんことであったな」
しかし、と前置きをして大神は猫のような目を爛々と輝かせて言った。
「レベルは上がらんが、この美味なくれーぷに免じて魔力量だけはある程度は少しずつ増やせるようにしてやろうかの」
「「ほんと!? ありがとう!」」
というかしれっとびっくりするような事実を知った国王と信長は先ほどから口をパクパクさせて何かを言いたげにしていたが、丁度いいタイミングをなんとか計って声に出した。
「琥珀さんと颯さんは、大神さまの魂の欠片を宿しているのでしょうか」
「その通りである。この世界では唯一無二といってもいいワシの魂の欠片を持つ者がが二人もいるというのはなんとも不思議なものよのぅ」
「そんな黒髪の若い渡り人のお二人が、市井で店を持つなど……出来ましょうか」
信長の心配も仕方のない事だ。
ただでさえいろいろ目立つというのに大神の魂の欠片まで持つなんて……。
奥歯をぎりっと食いしばって、心配そうに琥珀を見つめる。
「ワシの魂の欠片を持つ者を害せるものなどこの世にはおらぬ」
大神は自信たっぷりに言ったが、信長を一度見てから近くに寄ってきて悪戯をするかのように揶揄うように小さな声でこっそりという。
「ただ確かにお前のように無体を働くものからはどうにもならん」
「……」
「冗談じゃ。魔法が使えなくてもあの者たちをワシの魂の欠片が守ろうぞ」
それならば安心だ。
レベルは上がらないが、魔力量が増えることに沸き立つ二人をどう見守っていけばいいのかは信長には分からないが、手伝えることは何でもしようと思った。