第2話 彦根占領
突如味方軍が失踪した一方で、西軍のいるはずの場所からも兵の姿は消えていた。
磨き上げられた槍を担いだ甲冑姿の大将軍がやってきて、家康の前に無遠慮に腰を下ろした。
「どうしようもない奴らじゃ。敵も味方も、霧とともにどこかへ逃げよった! 臆病者め、腸の腐った奴らじゃ!」
家康の某側近を横目にそんなことを言う男。明らかに自分のことであろう悪口にも耳を貸さず、その側近こと本多正信は各地へ偵察部隊を出すよう指示し、ついで桃配山周辺の防備を固めるよう命令した。
しばらくして村人と思われる男が連行されてきた。男は両手を縛られ、本陣の前で土に額を擦り付けるように深々と土下座をさせられた。
「名をなんと申す?」
本多正純が尊大な口調でそう聞いた。
「へい、平蔵でございます」
「お前はどこの村のものだ? 誰に仕えている?」
「関ヶ原のものでございます。竹中のお殿様に支えております」
「先ほどまでいた大部隊はどちらへ行ったか?」
「公方様のお侍様方でござりますか? 京か大坂に向かったかと思われます」
「公方とな? その方、誰に対して公方と申しておる」
「へ、へぇ! 徳川の公方様でござります」
「徳川の部隊はここにおる。公方とは誰のことを言っておる!」
「ひっ!! もちろん徳川の将軍様でござりまする」
「正純、下がれ。その方、表をあげよ」
家康が言った。話が噛み合っていないが、徳川を将軍と認識していることに満足したのか、その顔に怒りはない。
家康は平蔵の顔をまじまじと見つめ、ほとんど睨みつけていたから、平蔵は震え上がって目を離すことができない。
「わしは家康じゃ。徳川家の家康じゃ。この名に聞き覚えはあるか?」
「お、恐れ多くも幕府を開いた神君の名でござります...」
「妙なことを申す。わしはまだ幕府など開いておらんぞ」
「お、尾張か紀伊のお殿様でござりますか?」
平蔵は本陣にこれでもかと掲げられた葵紋の旗を見て震え上がり言う。
「上様、時を操る妖の仕業ではないでしょうか」
正信は大真面目な顔をしていった。
「拙者どもは時を超え、三成めを成敗した後の時間に送られてしまったのやもしれません」
「その方、近江の藩主が誰かわかるか?」
家康が目を細めて言った。
「へい、井伊のお殿様でござります」
家康がセンスで膝を叩いてから広げて平蔵を仰ぎだした。
「あっぱれじゃ! 近江は直政にくれてやるつもりじゃった。なるほど、このものが予言者でなければ時を操る妖怪変幻の仕業に違いない。して今の天朝は誰じゃ!」
「ぞ、存じ上げませぬが...慶應2年でごぜえます」
「教会歴でいい! 信長公は逝去なさったのが1582年、今は何年だ?」
「ぞ、存じ上げませぬ...」
「つかえん男だ! もう帰ってよい。直政、赤備えを先頭に彦根へ参るぞ。直ちに出陣じゃ! 正純は3000を残しここで本隊を待て。来るかは知らんが居らんとあやつが困ろう!」
3万の大軍はその日のうちに彦根城に到着した。赤備えとともに葵紋の部隊がやってきたことで城内は騒然となったが、彦根藩の部隊は出払っており、家康は占領に近い形で彦根城に陣取った。結局秀忠の舞台も何事もなく到着したため、彦根は8万近い侍達でごった返すこととなった。
家康を名乗る大部隊が彦根を制圧した知らせは、忍者や行商人、さらには外国の記者などを通し瞬く間に日の本中に広まった。
時の将軍徳川家茂は第二次長州征伐へ向かうため大坂城に滞在していたが、家康と名乗る不届き者の扱いについては幕論は二分されていた。彼らが近江を実力で乗っ取った以上、戦ってでも取り返せというものもいれば、友好的に接するべく会談を持とうとするものまでさまざまであったが、長州という大敵がいる以上、戦うと言う選択肢を取ることは事実上不可能であった。
一方の家康は忍や井伊家、城下の町民のみならず、外国記者や宣教師などを積極的の招いて、あらゆる情報の収集を行なった。あと一歩で天下を取れたのだ。今が何年何月であろうが、たとえ徳川の世であろうが、ここまで耐えてきた以上、天下を己が手中に収めずにはいられないのでる。
「秀忠、子孫を殺す覚悟はあるか?」
徳川家の重鎮達を集めた彦根城の一室で、家康は笑いながら言った。
「う、上様...恐れながら将軍は上様に従うかと思いまするが....」
「根拠は! 今のわしはただの内府じゃぞ。所領もない。兵はおるがな」
秀忠は答えに窮し口を閉ざす。
「たとえ殿の子孫であろうが、本多の子孫であろうが、殿の命とあらば切り捨てますぞ」
忠勝が威圧するように言う。榊原康政を筆頭に、他の家臣達も一様に頷いた。
「問題は長州の奴らが英国と通じ武器の供給を受けていることだ。兵の士気も高かろう、このままでは放っておいても家茂の世は終わるな」
家康は地球儀を回しながら言った。
「米国はシビルウォーの混乱で何もできん。幕府が頼りにしているのは仏国じゃ。これは奴らの代理戦争よ。となればじゃ正純、そちならどうする?」
「英国と長州を分断させるのが定石かと思いまする」
「して、その方法は?」
「伴天連を味方につけます」
家康が満足げにほくそ笑んだ。
「長州は錦の御旗を掲げて幕府に歯向かってくるが、その後ろにいるのは十字架を掲げた伴天連どもじゃ。となればわしらが取るべき道はただ一つ、神の御旗を掲げるのよ。正信、英国の宣教師を呼び彦根に教会を作らせよ。それと記者も呼べ。わしは今日からキリシタンになる」