エメラルドの怪鳥4
「お前の兄貴は相変わらずだな。」
ヨウおじ様はやれやれと言ったご様子で肩をすくめていらっしゃいます。レイお兄様がヨウおじ様の部下をお相手にやいのやいのやっているのを尻目に禍牙の回収作業をお手伝いします。
「あの状態のお兄様は何言っても聞きませんから、放っておくのが得策でしてよ。」
そっけなくヨウおじ様にお返しするとおじ様は「はははっ!」と楽しそうに笑って
「まぁ、そうレイの気持ちを無碍にしてやるな。最初にあいつから妹ができたって聞いた時はド肝抜かれたが、始めて大切にしたい家族ができたんだって心から嬉しそうに、泣きながら話してくれた。」
始めて聞くレイお兄様の話にわたくしは驚きつつも作業する手は止めずにヨウおじ様の話に耳を傾けます。
「始めてレイに会ったのは、あいつが10歳くらいの時だった。レイはその頃八星に選ばれたばかりだった。小物細工作りが好きでよく何か作っては見せに来てた。」
お兄様は昔から小物細工作りをされていたのですわね。お兄様の洗練された技術の一つ一つは長い間に培ったものでしたのですね。
「そんでもって、たった十年しか生きてねぇ割には口が達者で何言っても言い負かされた。悔しがる俺たちをみて楽しそうに笑ってやがったのをよく覚えてる。……そう、レイはいつも笑っちゃいたが、いつも独りだった。」
もの寂しそうに話すヨウおじ様。
「なぁ、レイの様子がおかしい夜があったって言っていたな。」
唐突に尋ねてくるヨウおじ様にドギマギしつつも「ええ。」と答えるわたくし。
「レイはあんまりこのことはお前に話してほしくなさそうだったから、詳細は伏せさせてもらう。お前の話が本当なら…アイツ、レイは突然姿を消す日が来るだろう。」
真剣でありながら寂しさが漂うヨウおじ様のお顔を拝見する限り、嘘をおっしゃているにようには見えませんでした。
いろんな感情が渦巻いて言葉が出ないわたくしを見つつ、ヨウおじ様は話を続けます。
「まぁ、こんなこと急に言われてなんて言えばいいかわからないよな。でもな、この話をお前にしたのは頼みがあるからなんだ。なに、難しいことじゃないさ。ただアイツ、レイのことをずっと忘れずに覚えててやってくれ。オレは事情を知ってて何もできない歯痒さがずっと消えなくてな。頼んだぞ。」
そう言うヨウおじ様のお顔は、心に雨が降っているような笑顔をしていたのでした。
国王様へのご報告をするためにヨウおじ様率いる『朱』の方々は早々に“翠”の町を後にして行きました。
わたくしとレイお兄様はしばし残り、スズくんのご家族が経営している茶房へやってきました。
中へ入ってみると、畳が敷かれた長椅子の席とお座敷の席が二つずつ設けられておりとても趣のある雰囲気の内装ですわ。わたくしがキョロキョロと店内を見回していると、店員の女性が上品な愛想のある笑顔で声をかけてきました。
「いらしゃいませ。二名様ですね。……あら、あなたは先日ウチの子がお世話になったユキナさん、だったわよね?それにお隣の方はスズに着いていてくれていた方よね?」
わたくしがその問いに返事をお返ししますと、店員の女性、もといスズくんのお母様は「まぁまぁ!」と嬉しそうに笑った後、わたくし達を席に案内してくれました。
「本当だったらあの場でお礼を言いたかったのですが、すでにお二人の姿がなかったので気になっていたんですよ。先日はスズを助けてくださり、ありがとうございました。」
と深々と頭を下げてこられます。その様子にレイお兄様はタジタジとして「いえいえ!とんでもないです。」と手を前で振っておられます。そんな様子のお兄様を横目にわたくしはスズくんのお母様に質問を投げかけます。
「その…、スズくんはその後どのようなご様子ですか?」
「まだ傷が残ってますので無理はさせられませんが、おかげさまで元気ですよ。…もうそろそろしたら戻ってくるかしら。」
すると店の引き戸がガラガラと開き、「お母さん、ただいま〜」とスズくんの声が聞こえてきます。
「あら、ちょうどよかったわ。スズ、お客様よ。こちらにいらっしゃい。」
そう言ってお母様がスズくんを呼ぶと、不思議そうに近づいてきて「あ!」と声を上げました。
「レイお兄さんとユキナお姉ちゃんだ!ぼくんちのお茶飲みにきたの?!それならゆっくりしていってね!!たくさん助けてもらったのにぜんぜんお礼できてなかったから…。そうだ!ぼく、お茶とおすすめ持ってくるね!」
そうはしゃいだ様子で矢継ぎ早に話すとトタタと厨房の方に引っ込んでしまわれるスズくん。禍牙の情報だけは綺麗さっぱり無くなってますが、わたくしたちの事は覚えてくれていたようで本当に安心しました…。どんな形であれ、一度縁を結んだ方に忘れ去られてしまうことは、悲しい事ですもの。
「まったく、あの子は落ち着きがないったら…。私もあの子の手伝いをしてきますわね。どうぞ、御ゆるりとお寛ぎくださいな。」
そういってスズくんのお母様も厨房の方へと入って行かれました。
「スズ、元気そうでよかったね。まだまだ怪我を負ったところは気になるけど、翠の国王軍に任せとけば安心だし。」
スズくんが去っていった方を見て、いつものように優しく微笑むレイお兄様。
「そうですわね。でもスズくんのお母様の言うとおり、あまりご無理なさらないか心配になりますわね。」
そんなことを口にするとお兄様は「あははっ」と笑って
「ユキナは本当に心配性だね。スズだって小さくとも立派な男さ。あれだけ元気なら絶対大丈夫。」
頬杖をついてそう言ってくるレイお兄様に「それもそうですわね!」とニッと笑ってお返しします。そうこうしているうちにお茶を持ってきてくれるスズくん。お礼を言ってそれを受け取り一口飲んでみると、ふわりと緑茶の香りと風味が心身ともに満たしていってくれます。「とてもホッとしますわね。」と独りごちますと、それを聞いていたお兄様が「そうだね。」と穏やかな顔でお茶の透き通ったみどり色を眺めながら言葉を返してきます。
「スズくんはお茶を淹れるのがお上手なのですわね。お茶の抽出具合が完璧ですもの‼︎」
「えへへ。ぼく、お茶を淹れるのは得意なんだ!一番上のお兄もよく褒めてくれるんだ‼︎」
わたくし達の反応を見て、嬉しそうに笑うスズくん。後からスズくんのお母様が拳より一回り小さい大福を「当店お勧めのクリーム大福です。」といってわたくし達の前に出してくださいます。くりーむ?とはなんでしょう?とても異国情緒の漂うお名前に、わたくしはワクワクしてその大福を一口で食べられる大きさに切り分けてみると、大福の中は二層に分かれていて粒餡の他にふわふわとした白いものが入っていました。それをわたくしは躊躇いなく頬張ります。……口に入れた途端にとろけて粒餡と混ざり合う味に今までにないほどうっとりしてしまい、頬に手を添えます。
「あの、大福の中に入ってるこの白いのがくりーむ、というものですか?」
お兄様が興味深げに尋ねますと、スズくんのお母様がお上品に「ふふっ。」と笑った後、お兄様の疑問にお答えしてくれます。
「左様でございます。それは最近『煌』で流行っている“生クリーム”というものですわ。国王様が国外から積極的に仕入れていらっしゃられるものですのよ。」
すると、スズくんのお母様はふと何かを思い出したのでしょうか「私情で申し訳ないのですが」と話を切り出します。
「先日、スズの件で国王軍基地へいった際に聞いた話なのですが、レイさんはあの八星なのですよね?」
自分に質問が来るとは思っていなかったのでしょう。レイお兄様は不意を突かれたような顔で大福を食べる手を止めてスズくんのお母様の質問に「あぁ、まぁ、そうですね。」と歯切れ悪く答えます。それを聞いたスズくんのお母様はとても嬉しそうに頬を染めて衝撃的な事実を告げます。
「まぁ!なら、うちの子に会った事はあるかしら。長男のセンカもあなたと同じ八星なんですよ〜。その“生クリーム”もセンカが旅をしている中で見つけてきたものでして、異国の商人と交渉してくれてうちでも取り扱っているんですよ〜。」
「僕のお兄、すごいんだよ!火をゴォーって操るんだよ!!」
嬉々として話す親子お二人とは一変して、レイお兄様は微笑んだ顔のまま石のように固まってしまいました。
確かに先日のスズくんのお話でご長男様が国王に仕えていることはお聞きしておりましたが、まさかそれがセンカ様だったなんて。センカ様といえば“八星の業火”と呼ばれるお方ですわ。わたくしも何度かお会いしたことがありますが、とても気さくな方だったのを覚えてますわ。…まぁ、お兄様とは昔何かしらあったご様子で、いつも険悪な雰囲気なんですけれどね。
「センカ様にはわたくし達とてもお世話になってますの!ご実家はお店をやっておられると聞き及んでいたのですけれど、ここがそうなのですわね!」
固まったままのお兄様の代わりにわたくしが話を切り出します。それでも固まったままのお兄様の脛を蹴り付けて(いくらセンカ様のことが気に入らないからってご家族を蔑ろにするのは違いましてよ。)という意味を込めた目線をレイお兄様にお送りすると(べ、別にそんなつもりはないよ。結構驚いてしまっただけで…)と目線を返してきます。
「僕もあい、センカさんにはいつもお世話になったりしてまして〜。はははっ!あい、センカさんのご家族とお近づきになれるなんて偶然ですね〜。今度あい、センカさんによろしくお伝えください〜。」
と若干ひきつりながらも笑顔で応対するお兄様。センカ様のことを“あいつ”と言いそうになってはいますが…。
「やっぱり会ったことがあったのですね〜。こちらこそウチの愚息が大変お世話になってます。」
「お聞きした話によりますと、センカ様はご実家のお店のために八星として旅をしながら、様々な交渉事をなさっているのですよね?」
「そうなのよ〜。あの子のおかげで昔よりも商売がしやすくなって助かってます。」
「ねぇねぇ!レイお兄さん、お兄と友達なんでしょ?お兄の活躍するお話聞きたいな〜!」
「え?!えぇ〜…。そうだね〜…。あ、そうだ。この話はどうかな────」
そうして少しの間わたくし達は他愛もない話をした後、“翠”を出発することにしました。それを聞いたスズくんは寂しそうに眉を下げて涙を堪えているようですわ。それを見たレイお兄様は最初に出会った時のようにスズくんと目線を合わせて
「スズ。寂しがることはないよ。僕らはいついかなる時も同じ煌ノ国の空の下にいるから。それに、またここにきたら必ず顔を出すよ。」
優しい表情と手つきでスズくんの頭を撫でるお兄様。
「本当?約束だよ!」
寂しさを滲ませながらもレイお兄様に指切りをするように小指を差し向けるスズくん。それに自身の小指を絡ませてお兄様は「もちろんさ。僕はもうスズの淹れるお茶の虜だからね。」と約束を交わしたのでした。
今わたくし達兄妹は“翠”から“華浮湖”の方向へ、来た道を牛車に揺られて戻っているところです。
「それにしても、センカ様のご家族にお会いできたのは驚きましたわね。」
わたくしがセンカ様のご家族の話題をふると、レイお兄様は微妙なお顔になって
「あいつに、あんなにいい弟がいたことが今だに信じられないな…。スズはあいつに似ずにあのまま育って欲しいものだね。」
そんなことをボソリとおっしゃるお兄様。そして一つ息をつきますと、今回の禍牙の話を始めます。
「はぁ……。それにしても最近薄々とは感じていたけれど、禍牙に進化が見られるようになったね。能力持ちの禍牙の目撃情報も後を絶たない。その上、禍牙に喰うものに対する嗜好の様なものが芽生えてきているみたいだし。」
雲ひとつない晴天を見上げながら、レイお兄様は静かに語ります。
「また、国王の語る“理想”が遠ざかっていくね。」
お兄様は表情や仕草で明らかに気落ちしたようにしています。そんなお兄様を励ますためにわたくしは声を張り上げて
「レイお兄様!!“理想”から遠ざかってしまったのなら、また近づけばよろしいのですわ!わたくし達の実力なら進化したであろう禍牙に打ち勝つことは容易いことでしてよ!そして、国王様の語る“理想”を必ず実現させますわよ!!」
とお兄様の手を握って上下にブンブン振りながら熱く、それはもう熱く語ります。
「あははっ!やっぱり君はお嬢様口調の割にいつも行動は突拍子がないね。でも、そうだね。ユキナの言う通り遠ざかったら、また近づけるようにすればいいんだよね。」
お兄様は心から安心したような表情をなされて、微笑んでおられました。
────拝啓、親愛なるレイお兄様。
お兄様は元気にされていますか?わたくしは元気です。今はセンカ様達と行動を共にさせていただいております。
お兄様が姿を消されて一週間ほどになりました。
お兄様がいつか語ってくださった“理想”を叶えるため、必ず見つけ出してみせますから、待っていてくださいまし。
どうか。どうか、わたくしのことを忘れないで……。