エメラルドの怪鳥3
スズが襲われた翌日、医務室へスズの様子を見に行くとすでにそこにはユキナがいて眠っているスズを心配そうに見ていた。昨日、スズが血を流して倒れている姿を見たユキナはとても動揺していたし、頭に血が昇っていて今にも飛び出して行きそうな雰囲気だった。そして、スズの治療が始まった途端に安心して廊下で眠ってしまったみたいだから部屋まで運んだんだけど、起きたら起きたで心配になって様子を見にきたってところかな?…ほんとに優しい子だね。
「ぅん………?」
「スズくん!お目覚めになられたのですね!」
僕がユキナに声をかけようとしたと同時にスズが目を覚ましたようで、僕も思わずスズに駆け寄り声をかける。
「スズ!よかった…!」
「お兄様?!いつの間にいらしていたのですか?…っは!わたくしは治療班の方を呼んで参りますわ!」
僕が突然現れたことに驚きつつも人を呼んでくるとパタパタ医務室を後にしたユキナ。それを見送った僕は目覚めたスズに向き直り質問をしてみる。
「スズ。僕のことはわかるかい?」
「レイお兄ちゃんだよね?昨日ぼくが泣いてるとこを助けてくれた‼︎……ねぇ、ここはどこ?なんでぼくはここにいるの?」
僕の質問にコクリと頷いた後、不思議そうに辺りをキョロキョロと見回すスズへ状況を説明する。
「スズは昨日、怪我をして倒れてたんだよ。それをユキナお姉ちゃんがここに運んでくれたんだ。…覚えてない?」
スズは少しの間考えるような仕草をした後、「あ!そうだった!!」と何か思い出したようだ。
「ぼくね、きれいな鳥を見つけんたんだ!それでね、その鳥をもっと近くで見たくて高いところに登ったらそこから落ちちゃったんだ…。」
…あぁ、やっぱりそうか。スズの傷は明らかに高いところから落ちたことによる損傷ではなく、生き物の鋭い爪によるものだった。そうすると、昨日僕が立てた推察が確信に変わることになるね。……禍牙に関する情報だけが“喰われてる”って言う推察がね。すると黙り込んで考え事をしていた僕の様子が怒っているように見えたのだろうか。「お兄ちゃん…?」と伺うようなスズの声で我に返った僕は
「あぁ、ごめんね。少し考え事しちゃった。……これからはあんまり危ないことはしてはいけないよ。君にもしものことがあったら、お父さんやお母さん、いろんな人が悲しむからね。」
と不安そうな表情のスズに優しく微笑んで頭を撫でていると、「失礼します。」とユキナが呼んできたらしい治療班の人が声をかけてきた。そちらに目を向けるとそこには治療班の人だけではなく、スズの母親らしき人が心配そうに目に涙を浮かべて立っており、スズが「お母さん!」と呼ぶと駆け寄って優しく抱き寄せ、涙を流して泣いている。
「もう!心配したんだから‼︎無事に目を覚ましてくれて、本当に良かった……っ!」
ここは退散した方が良さそうだと判断し、ユキナに目配せして僕達兄妹は静かにその場を後にしたのだった。
…母親の愛情とはいいものだね。
「お兄様、スズくんの心の状態はいかがでしたか?」
廊下へ出てしばらくすると、おずおずといった様子でユキナが尋ねてくる。
「昨日立てた推察通りだよ。……でも、僕達と話をしたこと自体の記憶は喰われてなかったみたい。」
それを聞いたユキナは「……左様でしたか。」と小さく応えるだけだった。
僕とユキナ、ヨウさんの三人しかいない国王軍基地の一室で今回の禍牙に関する情報をこれまでに分かってきたことと共に整理する。
まず今回の件で不可解なことは、“血塗りの路地”にて一面を覆い尽くすほどの血が流れているにもかかわらず、あの場で怪我をしたなどの報告がヨウさんの部下以外なかったことだ。
これについては簡単だ。“血塗りの路地”にて怪我をした者はそもそも存在したのだ。ではなぜ報告がなかったのか、それは禍牙が“人々の心を喰らう”ことにある。今回の禍牙は『自身が襲ったこと』の記憶自体を喰っていたのだ。
そんなことをすれば人々があの場で怪我、ましてや禍牙に襲われたなんて報告をすることができるはずがない。なんなら、今回の禍牙はご丁寧に記憶の空いたところに怪我をした原因っぽい記憶をはめ込むなんてことをしてくれているから調査が余計に難しくなることに納得がいく。
「まぁさっきまでこの話は僕の憶測に過ぎなかったんだけど、襲われたはずのスズから禍牙に関することが一切出てこなかったことによってこれが確信に変わったものだから……なんと嫌味なことだろうね。」
ここまで話をして僕が苦笑していると、ユキナがたった三人しかいないながらも挙手をしたので話を聞いてみる。
「記憶をはめ込んでいると言うことは今回の禍牙は“能力持ち”ということでよろしかったでしょうか?だとしたら、禍牙はかなり強力と予想されます。万全に準備していかなくてはいけないのではないでしょうか。」
そう、今回の禍牙は“能力持ち”だ。能力持ちとは稀にいる特殊な能力を持った禍牙のことだ。どうやら今回の禍牙の能力は《記憶を植え付ける》というもののようだね。
「準備か…。じゃあ、作戦を立てていこうか。まずは────」
ある程度作戦が形になったところで、ヨウさんはふと、何か思うところがあったのか顔を上げた。
「今思ったんだが、オレの部下ももしかしたら禍牙にやられたことによる怪我だったかもしれないのか………?確かに多少不思議に思う点もあったが、こんなに簡単なことに気づけなかったとは隊長として、情けないっ…。」
ヨウさんが肩を落として落ち込んでいるところにユキナがすかさず「そんなことありませんわ!」と前のめりになって宣言する。
「だいたい、今回の禍牙は特殊すぎますわ。今まで禍牙自ら『喰う』ものを選ぶなんてことありませんでしたもの。さらに“能力持ち”となりましたら厄介この上ないですから仕方のないことでしてよ!」
ユキナは力強く語るが、当の本人は「あぁ、そうだな…。でも部下のことをしっかり見ることができていなかったオレがこれから隊長なんて務まるのか……?そもそも、オレはなんて言って部下へ顔出せばいいんだ……!」とどんどん暗い方向へ向かっていっている。ヨウさんのこの明暗の差が激しいのは昔から変わらない。出会った当初この様子を見た僕は『なんだこの人。』のひと言しか出てこなかった。
仕方ないから完全に気落ちしているヨウさんに僕から一言励ましを言っておこうかな。
僕はヨウさんの肩に手を置いて声をかける。
「ヨウさん、元気出してくださいよ。『朱』の隊員の人達はヨウさんをとても頼りにしてるじゃないですか。見ててわかりますよ、ヨウさんしか『朱』の隊長は務まりませんよ。なんだかんだ、昨日もヨウさんの判断の速さのおかげでスズを命は助けられたんですし。」
僕の言葉を聞いたヨウさんは「…レイ、お前……!」と感動したように熱い眼差しを向けてくる。
「後、あんまりしょぼしょぼしてると老けが進みますよ。」
はっきりと、そしていつもの優しい笑顔でからかいの言葉を付け足すと
「な・ん・だ・と!お前の言葉を聞いて成長したかと感動に浸ってりゃ、一言多いんだよ!ったく…。」
といつもの調子が戻ってきたようで、人差し指で僕の頭を小突いてくる。僕がいるときはだいたいこの方法でヨウさんを元の調子に戻している。ヨウさんはぶつぶつと僕に対する悪態をつきながら自分の部隊を動かすために部屋を出ていく。それを見送っていると
「もう!お兄様ったら、なぜもっと素直に元気付けられないのですか?いつもいつも一言余計でしてよ。」
ユキナが不満げな表情に腕組みをして、横目で見ながらそう言ってくる。だってヨウさんを揶揄うのは面白いし……なんと言うか、ヨウさん相手だと素直に気持ちを伝えるとむず痒くなるんだよね。だから毎回照れ隠しでからかいの言葉を付け足してしまう。……照れ隠しってのはナイショだけど。
“血塗りの路地”にて。月明かりに照らされた狭い路地にポツリと一人で立つ僕。路地の真上から覗く満月を見上げていると、月明かりを反射して暗翠に怪しく光る大きな鳥がいつの間にか目の前にいる。
「禍牙にしては綺麗な羽を持っているね。月光に照らされて訝しげに光るサマは“エメラルドの怪鳥”と言ったところかな。」
僕がそんなことを語っていると、禍牙は僕に向けて攻撃を放ってくる。しかし単純な攻撃だったため軽く躱してみせるとそんな僕の様子に腹を立てたかのように耳をつんざくような甲高い鳴き声をあげる禍牙。
「“自分が襲ったこと”のわずかな記憶を喰うだけでは君は満たされないだろうから、“血塗りの路地”のような状態になってしまうまで人を襲っていた。ということは、絶対にまた来ると思っていたよ。ついでに、自分の姿を見た僕みたいな存在は消しておかないといけないからね。スズをわざわざ誘い出して襲ったのも見られたことが原因だろう?だとすれば、僕が一人なら姿を現してくれると思っていたよ。僕の読み通り。」
ニコリと禍牙に対して笑ってみせる。しかし、気配でここにいるのが僕だけでないのだと気づいたのか禍牙はその身を翻して逃げようとするが、時すでに遅し、周りをヨウさんの部下が囲っており逃げることができない。焦れた様子の禍牙は自身の大きな翼をバタバタさせて暴れはじめた。
「ユキナ、頼んだよ。」
僕がそう呟くと二本の刀を構えたユキナがどことなく現れ「お任せください。」と静かに応えて暴れる禍牙に躊躇うことなく突っ込んでいく。それに気づいた禍牙がユキナに向かって無数の攻撃を放つが、難なくそれを散らして路地の壁を走り禍牙の後ろへ回り込む。そこへすかさず禍牙の背中を十文字に切り付け、幾度となく攻撃を繰り返す。禍牙は痛みに苦しみながらも自身を傷つけている元凶を仕留めるべく振り返るがそこには誰もいない。ユキナは禍牙が振り返る前に空中に飛び上がり禍牙の頭上を舞っていた。
『レイの名においてルヴァトゥに命じる。かの者と我の空間を入れ替えよ“アラギシス”。』
僕は空中にいる状態のユキナと入れ替わり、禍牙の頭上へ。そしてルヴァトゥのページをめくり術を唱え────ようとしたが目線の先に禍牙はいなかった。いや、そもそも僕は最初の場所から動いてすらいなかった。………禍牙の術中にハマってしまったな、まさかここまで強力な能力持ちだったとはね。時空を司る書物に選ばれときながら空間系の能力に翻弄されるとは、なんて様だろう。そんなことを考えていたら「お兄様、後ろですわ!」とユキナの呼びかけにハッとして振り返りざまに結界の札を発動させるが、またもや禍牙はいない。
あちゃー、ユキナの声も植え付けられた記憶なの?あーいけない、いけないこのままでは禍牙の思う壺だよね。…今のところ記憶の植え付けをしてくるだけで、攻撃はない。僕の様子を伺ってるってところかな。そもそも能力を使うための条件があるはずだから、それを見つけなくては…。
うーん。まず、先程の植え付けられた記憶はどこからが偽物だろうか?
次々と植え付けられる記憶の数々を見ていると、僕はあることに気づいた。先ほどから記憶を植え付けられるたびに禍牙の甲高い鳴き声が聞こえてくる。
(……これか⁈)
禍牙の能力の条件に気づいたのと同時に頭上で金物がぶつかるような音が響き、僕の足元に何かが刺さるような感覚があった。その後「レイお兄様!」と聞き慣れた声が聞こえてきて、夢から覚めるような感覚が頭を駆けていく。足元を見てみると、鋭く尖った禍牙のものと思われる羽が刺さっている。おそらく僕を狙って禍牙が攻撃したけど、ユキナが弾き飛ばした感じかな。というか、頬がジンジン痛いな…。もしかしてユキナ、棒立ち状態の僕を結構強めに叩いた?え、ほんとに痛いな…。いや、でもおかげで禍牙の術中から抜けられた。
「ユキナ、ありがとう。おかげで目が覚めた心地だよ。…できれば、もうちょっと優しい起こし方が良かったけど!」
赤く腫れてジンジンする頬をさすりながら禍牙に向き直る。
「あら、お兄様の整ったお顔がさらに男前になっただけではないですか。それよりも現実に戻ってこられたのでしたら、さっさと次の攻撃に備えてくださいまし。」
と二本の小太刀を構えたユキナ。僕よりも前に出て背を向け、禍牙を見据えている。僕は「そうだね。」と可愛くも生意気な煽り文句にに応えてルヴァトゥを開く。
それと同時にユキナは禍牙に向かって素早く駆け出し突っ込んでいく。禍牙はそれに対するように自身の羽を投げナイフのようにユキナへ向けて放つが、ユキナはすばしっこく走り回ってそれらをうまく避けていく。そして勢いそのままに禍牙の股下を潜って禍牙の背後をとると、重い一撃をくらわせた。しかし、深傷を負ったであろう禍牙の断末魔は聞こえてこない。そして僕はユキナの攻撃によってできた隙を見逃すことなく術を唱える。
『レイの名においてルヴァトゥに命じる。忌敵へ鉄槌を下せ“アイオーニオンメラン”』
キン────と空間が割けるような音が響き、同時に禍牙の首が飛ぶ。
それを見計らった『朱』の隊員たちが特殊な札で結界を発動させ、禍牙の血が辺りに飛び散らないようにする。何せ片付けが大変だからね。
「流石お兄様ですわ!瞬殺です!!しかし、わたくしの一撃を喰らいつつも鳴き声をあげないあの禍牙もなかなかでしたわね。」
そう言って小太刀についた血を振り落としながら悠々と歩み寄ってくるユキナ。
「あぁ、禍牙が声を上げなかったのは僕が声を封じてたからだよ。あの禍牙の能力発動条件は対象の者に自身の声を聞かせることのようだったからね。でも、ユキナとの連携があってこそだからユキナも流石だよ。それに僕が禍牙の能力に飲まれている時にしっかりユキナが助けてくれたじゃない。」
ユキナの頭をポンポンと撫でると、「当然ですわ!」と得意げに胸を張っている。それを微笑ましく見ていると、ヨウさんの大きな声が響き渡る。
「おーいっ!一仕事終えて義兄妹仲睦まじくいちゃついてるとこ悪いがなぁ!こっちも手伝ってくれぇ!」
それを聞いていたヨウさんの部下たちはアワアワした様子で「た、隊長!流石に邪魔しちゃダメでしょう…。」とか「もっと空気読んであげてくださいよ!!」とかヨウさんを収めている。そんな部下たちの様子を見てヨウさんは心底訳がわからないという顔をして
「何言ってんだお前ら。確かにあいつらは義兄妹っていう距離感を超えている点はあるが、お前らが思ってるような間柄じゃねーぞ。」
あっけらかんとして言い切るヨウさんの言葉に部下たちは僕達を交互に見ると「えぇ、血のつながりのない兄妹であの距離感なのに恋仲じゃないとかありえん。」やら「でも、付き合いが長い隊長が言うなら間違い無いでしょ。」やら「じゃ、じゃあ俺らにもユキナさんの恋人になれるチャンスがあるってことか…!」やらと作業の手を止めることなく駄弁っている。流石、国王直属部隊。器用な人が多いなぁ。
…それにしてもユキナの恋人に、ねぇ。僕はユキナのことを恋愛対象として狙っているであろう輩を見据えて
「ユキナの恋人になりたいかぁ……。じゃあ、ユキナの兄である僕に勝てたら考えてあげてもいいよ。まぁ、完膚なきまでに叩きのめしてあげるけど。」
と微笑んで言い放つと、「あ、これ絶対ダメなやつじゃん。」「兄が怖すぎて近づくことも出来ない。」「さっきまで往復ビンタをかまされてた人のセリフじゃないけどな。」と今度はコソコソと話し始めた。…最後のは聞かなかったことにしよう。ちなみに当のユキナは僕のこの態度を見て、赤の他人のフリをして遠くでヨウさんの手伝いをさっさと始めていたのだった。