エメラルドの怪鳥2
わたくしとレイお兄様はスズくんをご自宅にお送りした後、何事もなく国王軍の基地に着くことができました。軍の方から現状の報告を受けて、わたくし達は国王軍の基地内にある宿舎にお泊まりすることになりました。レイお兄様を交えた調査は明日から始めるとのことですわ。
そしてわたくしはというと、貸していただいた宿舎の一室にていただいた書類を確認しているところです。部屋に備え付けられたシンプルな木製の机の上に書類を広げて、ある程度内容を頭に入れた後ふと窓へ目を向けてみますと、外に見慣れた舛花色の髪をした人影が基地を出ていくのが見えました。
わたくしはその人影を追いかけましたわ。今は夜ですが、「不知火」特有の火の玉のおかげであたりはうっすらと明るいため、目的のお人を見失うことなく追いつくことができました。その方は川に掛かった橋の上で、火の玉から散らばる火の粉がハラハラと舞う中、自身の浅葱色の瞳を物憂げに細めて月明かりの差す空を見上げています。その光景はハッとするほど綺麗ながらも何かが胸に押し寄せてくるような、うまく言い表せないような、哀しい気持ちになるほど静かでした。
「レイお兄様……?」
最初外に出ていくお姿を拝見した時はお兄様だと確信したからこそ後を追いかけましたが、今は目の前にいる方が本当にお兄様なのか自信がなくて尋ねるように呼びかけるわたくし。そこにいる“お兄様”はまるで別の方のように感じられるのと同時に、そのまま消えてしまいそうな儚さがありました。
「ユキナ。……どうしたの?」
お兄様はわたくしの呼びかけに反応したようで、ゆっくりとこちらを向きました。こちらを向いた顔はいつもの優しげに笑うお兄様でわたくしはほっと胸を撫で下ろしました。そしていつもの調子でレイお兄様に話しかけます。
「…どうしたって、それはわたくしのセリフですわ!お兄様ったらこんな夜更けにお仕事以外で出ていくんですから。心配でついてきてしまいましたわ。」
するとお兄様は困ったように笑って「ごめんね。ちょっと気になることがあったからさ。」とおっしゃいました。
わたくしは長年の付き合いからくる勘で、お兄様が嘘をついていることに気づきました。ですが、わたくしは特に追求することもなく「左様でございますのね。」と橋の下を流れる川を眺めながらそっと言葉を返します。
わたくし達はその夜のひと時を、優しく吹き抜ける風の音とさらさらと流れる水の音を聞きながら静かに佇んで、夜が更けていく様子を眺めていたのでした。
翌朝、重い瞼をぐっと押し上げて起きたわたくしの目元にはうっすらとですが隈ができていました。仕方ありません、昨晩はお兄様を追いかけたがために夜更かしをしてしまいましたもの。そうわたくし自身に言い聞かせながら、隈を隠すように化粧を施します。そして仕上げには中央都市「煌」で流行しているというお気に入りの紅を引きます。“いついかなる時でも見目を美しく保つことを怠ってはいけない”というお母様の教えを忠実に守り、日課の化粧を済ませてお兄様のご様子を見に参りますわ!
「お兄様!おはようこざいます! 気持ちのいい朝がやってまいりましたわよ!!!」
わたくしは元気に挨拶をしてお兄様が借りているお部屋へ突撃します。
「おはよう、ユキナ。お嬢様口調の割に突拍子がないのはいつものことだけど、…………僕のせいでちょっと寝不足かな?ごめんね。」
そう言ってわたくしを気遣いながらいつもの挨拶を返してくれるお兄様は、どうやら朝風呂あがりのようで半裸姿でしたわ。もくもくと湯気が上がるお体は日焼けを知らない白さで、程々に鍛えられており逞しい男性らしさも伺えます。まぁ、レイお兄様のお体なんて見慣れたものですからなんとも思いませんが、世のお嬢様方が見たら黄色い声が上がること間違いなしですわね。その上、お顔が整ってらっしゃいますからいつも道ゆくお嬢様方やご婦人方までお兄様を振り返りますもの。
「あぁ、もうお兄様ったらお洋服も着てない上に髪の毛が濡れたままではありませんか!早く拭かねばお風邪を召されましてよ!」
わたくしのお小言に「あはは…。」と苦笑するお兄様。チラリとお兄様のお部屋を覗きますと、あの後眠れずに小物細工を作っていらっしゃったのか机の上には道具が散らばっており、床にはさまざまな材料が無造作に置かれておりました。もしお兄様とご結婚してくれる方が現れましたら、ご苦労をお掛けすることになるかもですわね…。
「それでは、わたくしは先に集合場所へ参りますので、お時間までにご支度なさってきてくださいね。」
「はーい。」というあくび混じりのお兄様の返事を聞きながら、部屋を後にしたわたくしは集合場所に指定されている基地の玄関口へ向かいます。
そちらにはすでに調査隊の方がお一人いらっしゃっているようで、黒っぽい赤毛に左目に傷のある方で……!!
「お久しぶりでございますわ、ヨウおじ様!!今回の調査にはヨウおじ様がついてくださるのですね!心強いですわ‼︎」
そういってわたくしはヨウおじ様の大きな手を取り、ぶんぶん上下に振ります。それはもう腕が引きちぎれそうなくらいに。当のヨウおじ様は「久しぶりだな!ユキナ!!見ない間にまた別嬪になったか⁉︎」と眩しいくらいの楽しそうな笑顔をわたくしに向けてくれます。まさしく太陽のようなお人で、わたくしはこの方の笑顔を見るのはとっても好きですの!そしてわたくしも負けないくらいにっこりと笑い、「ヨウおじ様もまた筋肉に磨きがかかりましたわね!」とお返しします。
ヨウおじ様は国王直属部隊で一部隊の隊長をしております。…確か部隊名は「朱」でしたわ。そして、レイお兄様が八星になりたての頃にとてもお世話になった方ともお聞きしています。お二人の出会いをわたくしはよく知らないのですが、その縁あってわたくしもこうしてヨウおじ様にはたくさん可愛がってもらっております。なんだかお父様ができたみたいでヨウおじ様に会った時はつい、はしゃいでしまいますわ。
「ユキナ、レイはどうした?まだ来ちゃいないようだが…。」
「お兄様なら、お支度を整えてもうすぐっいらっしゃるかと思いますわよ。昨晩は遅くまで起きていましたもの。………あの、ヨウおじ様。レイお兄様のことでお聞きしたいことがありますの。」
ふと昨晩のお兄様の様子が過ぎり、わたくしよりも付き合いが長いヨウおじ様なら何か知っているやもと思い話を切り出します。
「昨晩のことなのですが────」
わたくしは昨晩の月を哀しげに見上げるレイお兄様の様子を伝えました。するとヨウおじ様は「もしかすると、レイは────」と思い当たる節があるのでしょう。何かを言いかけましたが、「おはようございます。」というレイお兄様の声により遮られてしまったのでした。
「ヨウさん!久しぶりですね。半年ぶりくらいかな?あはは、また老けましたか?」
レイお兄様はとても良い笑顔でとても不躾な質問をしております。それにヨウおじ様が「お・ま・え・は本当に口が減らねーなぁ!」とお兄様の頭をわしゃわしゃされています。お兄様にとってもヨウおじ様はお父様のような存在なので、いつもこんな風におちょくっておられます。その上、久方ぶりに会えたのがよほど嬉しかったのでしょう。いつもの“優しい大人の表情”ではなく、子供のように無邪気に笑うお兄様を久方ぶりに拝見して、わたくしは先程ヨウおじ様が言おうとしたことは気になりながらも聞かずにいるのでした。
レイお兄様とわたくし、ヨウおじ様とその部下お二人の五人で翠の町へ繰り出します。まず、例の“血塗りの路地”へ案内してくださるとのことでしたわ。
「着いたぞ。ここが報告にあった現場の路地だ。」
案内された場所は人通りのない薄暗い路地裏でした。そこの地面や壁には大量の血痕が残っており、見るも無惨な状態です。さらにはそれが長い路地裏全体に続いているのですから、一体ここでどれだけの方が襲われたのでしょう。……考えるだけで腹が立ちますわ。
「これは…想像以上の被害ですね。」
レイお兄様はその場をぐるりと見て静かに呟きました。
そしてわたくし達は“血塗りの路地”を見てまわりましたわ。酷いところは隙間なく血に塗れているところもあり、襲われた方の人数が伺えます。……報告書にもありましたが、この血の持ち主達は大丈夫だったのでしょうか…?
「あの、ヨウおじ様。これだけの血が流れているにも関わらず、この路地で怪我をした人は本当に見つからなかったのですか?」
「あぁ、この路地で怪我人の報告はないな。オレの部下が数名ヘマして怪我したくらいだ。おかしな話だよなぁ。」
わたくしの質問にヨウおじ様は肩をすくめつつもと答えてくださいます。
「そういえば、昨日ここに着いた時にスズって男の子と話をしたんです。スズは血塗りの路地で“見たこともない大きな鳥”に襲われている人を見かけて────」
レイお兄様はふと思い出したように昨日出会ったスズくんの話をしました。人を襲っていた大きな鳥のこと、襲われていた人が眠っていたこと、翌日襲われた人の記憶が曖昧だったことをヨウおじ様達に説明しました。
「“襲われた後に眠っていた”なんて禍牙の仕業以外考えられんな。ってことは話にあった大きな鳥ってのが禍牙と見て間違いないな。記憶が曖昧だったってのが気になるが…。」
ヨウおじ様は顎に手を当てて考え込むような仕草をなさいます。するとレイお兄様が静かに呟きます。
「…禍牙は人々の“心”を喰らう。」
お兄様のその言葉でわたくしは一つの仮説が立ちました。「まさか、そんなことがありえますの?!」と焦った様子でお兄様の方を見やりますと、こくりと頷くレイお兄様。おそらくお兄様も同じ考えなのでしょう。
「おいおい、二人だけで盛り上がってねーで何かわかったならオレらにも教えてくれよ。」
とヨウおじ様が難しい顔で腕組みをしてわたくし達に訴えかけます。それにお兄様が「今回の禍牙は────」と答えようとした瞬間、あたり一体に子供の悲鳴が響き渡りました。声の主はわたくし達がいる地点からだいぶ近くにいらっしゃるようで、真っ先にレイお兄様が声のした方へ走り出しました。わたくしもそれに続いて駆けていきます。…聞こえてきた悲鳴の声には聞き覚えがあり、目的の地点へ近づくにつれてわたくしの胸の中には不安が広がっていくのでした。
レイお兄様を追いかけて行きますと、お兄様が見覚えのある栗色の髪をした男の子を抱き抱えて、必死に声をかけておられました。胸に広がっていた不安が溢れてきて、堪らず男の子に駆け寄ります。
「スズくん!しっかりなさってくださいっ……‼︎ なんて酷い傷っ!!!」
スズくんの背中には大きな爪痕が残っており、血に塗られた地面をスズくんの血がさらに赤く染めていきます。
「ユキナ、暗緑の大きな鳥が飛び去っていった。おそらく今回の禍牙だ。…逃げられてしまったけどね。」
そう言うレイお兄様のお顔は険しく、禍牙に傷つけられたスズくんの状態がよほど思わしくないためやむなく禍牙を見送った事が伺えます。スズくんにこんな酷い怪我を負わせておいて、ご自分はそそくさとお逃げになられるなんて心底腹が立ちましてよ。
禍牙は鳥の姿をしているのですね。まだこの周辺にいるはずですから、探せば仕留められますわ。そう考えてどこからともなく取り出した二本の小太刀を手にして走り出そうとしますと、わたくしの肩にお兄様が手を置いて宥める様に話します。
「ユキナ、落ち着きなさい。今はスズを治療することが最優先でしょ。大丈夫、次に会った時は必ず仕留める。」
レイお兄様の優しげな声に頭に上がっていた熱がスッと下がっていくのを感じました。そうですわよね、まずはスズくんの状態が最優先ですわ。わたくしは懐から手拭いを取り出してスズくんに応急処置を施します。
「なぜ、子供がこんなところに…。もしかしてそいつがさっき話してた禍牙を見たって坊主か?」
わたくし達の後を追ってきたヨウおじ様は、惨状を見て一つ息を吐きますとレイお兄様に問いかけます。質問にこくりと頷いて答えるお兄様。ヨウおじ様は状況を見て察しがついていたようで「レイ、どうすんだ。治療班ならもう部下に手配させているが。」と判断を仰ぎます。
「ありがとうございます。判断が早くて助かります。……ルヴァトゥの力でスズの時間を止めます。その後、基地の治療室に転移しますのでヨウさん、ここから基地までの距離を割り出してください。」
お兄様の言葉に「あぁ、了解した!」といつもの太陽のような笑顔で言い、すぐに通信端末で部下と連絡を取り始めます。さすがヨウおじ様ですわ!もう治療班を手配していらっしゃったとは、本当に頼りになります。
レイお兄様は自身が選ばれた書物“ルヴァトゥ”を開き術を発動させます。
『レイの名において、ルヴァトゥに命じる。かの者の時を止めよ。……“クロノステイシィス”。』
お兄様が静かにそう唱えると、今まで聞こえていたスズくんの寝息がぴたりと止みました。レイお兄様はスズくんをわたくしに託すと、すぐにヨウおじ様をお呼びになって術の発動準備に入ります。
「ヨウさん!基地までの距離は?」
「ちょっと待ちな。地図に出すからよ。」
そう言ってヨウおじ様は通信端末から地図を出してお兄様に見せます。地図を確認したお兄様は“ルヴァトゥ”のページをめくり、再び唱えます。
『レイの名において、ルヴァトゥに命じる。我と我の示す空間を繋げよ。……“コーロキネシィ”。』
すると、お兄様の目の前に空間の裂け目のようなものが出現し、レイお兄様がわたくしに目くばせをしてきます。わたくしはそれに従ってスズくんを抱えてその空間の裂け目に躊躇うことなく入ります。空間の先はしっかり基地の治療室に繋がっていたようで、わたくしの目の前には呆然と見つめてくる治療班の方々がいらっしゃいました。しかし、お兄様の術で時間が止まっているにしてもスズ様の容態はとても良いとは言えない状態です。
「怪我人の状態は一刻を争うと判断させていただいたため八星の術でわたくし達を転移してもらいました。驚かせてしまって誠に申し訳ございません。」
わたくしは治療班の方々にスズくんの状態を説明して治療室の外に出ます。
レイお兄様が術によって開いていた空間の裂け目は、わたくし達を通すとすぐに閉じてしまわれたようですわ。あの場所からここまで距離があったのと別の術も併用している状態だったため、お兄様のつなげることのできる時間に限界が来たのでしょう。スズくんの治療が始まったことをお兄様から預かっている通信端末でヨウおじ様に報告いたしました。すると『よくやったな。レイもほっとした表情してるぜ。今から基地に戻る。』と返事が返ってきました。
そこでようやく張り詰めていた緊張が解けて、基地の廊下に置いてある椅子でうつらうつらしてしまい、ついにはゆっくりと瞼を下ろして眠ってしまったのでした。今思うと、昨晩は遅くまで起きていたからというのもあったのでしょうね。