エメラルドの怪鳥
『国王様へご報告いたします。
「不知火」の町“翠”にて血に塗れた路地が発見されました。国王直属部隊『朱』でその路地を確認したところ、およそ数十メートルに渡ってその光景が続いており民への被害は絶大なものだと想定されます。現場の状況を鑑みて八星の派遣を取り急ぎお願い申し上げる。
追伸
路地の調査中にて怪我をする者が多発したため願わくば隊員の補填もお頼み申し上げる。』
「これは…どうしたものか。」
煌ノ国の中央都市「煌」にある城の執務室にて、報告書を手にした女性の悩ましげな声が室内に響く。
「王よ、不知火のこの件はおかしな点が多いように思われます。」
「王」と呼ばれたその女性は夜空に月明かりがさしたような色の長い髪をサッと払い、悩ましげに閉じていた目を開けた。
「そうだな、私も同意見だよ。」
開かれた瞳は満月のように美しい黄金色で、目は吊り上がっていてキツイ印象を受けるもののどこか頼もしさが漂う。
王、アザレア・ノーチェ・キラは鮮かな紅が引かれた口元へ手を添えた。
「そもそも、なぜ今になってその血塗りの路地が発見された?もし、路地中が血塗りにされるほどの人々が襲われているのならその血の持ち主達はどうした?まず、それだけ大量の血が流れているのなら、死人が出てることも考えられるがその点はどうなんだ?」
アザレアが話し終えると側近の男は「把握しているところで死者はまだ確認されていないとのことです。」と送られてきた書類を渡した。
「しかしながら、このままいけば死人が出るのは時間の問題ですね。…この件、おそらく禍牙が関係しているように感じます。」
アザレアは「あぁ、私も同じことを考えていたよ。はぁ、私の“理想”を叶えるまではまだまだ時間がかかりそうだな。こうも難しい問題が発生するのなら、神々は永遠とか理想なんて言葉がお好きではないようだな。」と言い、やれやれといった様子だ。
そして王として威厳ある態度を露わにして側近の男に命ずる。
「では、現在この周辺近くにいる“あの二人”を至急向かわせろ。あ奴らならこの件は任せても問題なかろう。」
所変わって「不知火」の観光地にある宿にて。
僕はレイ。この煌ノ国にて小物細工を売りながら旅をしている者だ。今は「不知火」の人気観光地、華浮湖周辺にて自作の小物細工を売りに行こうと、泊まっている宿で準備をしているところだ。
華浮湖は時期になると、湖の中一面に咲いている水中花「炬蘭」の花びらが一斉に浮き上がってきて水面に花が咲いたような美しい光景を見ることができる。色とりどりの花々が透明度の高い湖に浮かび、陽の光が反射してキラキラしている様はまるで極楽にでもいるかのような気分にさせてくれる。しかし、僕的には夜の時間帯にこの光景を見るのが好きだ。なぜなら不知火では当たり前のように火の玉が浮遊しているのだが、これが夜の華浮湖の上を浮遊すると炎に耐性のある炬蘭は火の玉が近づいても燃えることはなく火の温かな光に照らされてより一層幻想的な光景になるからだ。
今回売り出す作品はそんな華浮湖を連想させるような小物細工ばかりだ。「また、夜の華浮湖見たいな〜。」と物思いに耽りながら商品の最終確認をしていると、宿の廊下をトタトタと走ってくる音が聞こえてきて僕の部屋の襖が『スパーンッ』と勢いよく開いた。
「レイお兄様!国王様からの勅令書ですわ!」
そう言って僕の部屋へスタスタ入ってくる小豆色の髪を肩くらいで切りそろえたドヤ顔の少女。
「ユキナ…。君はお嬢様口調の割にいつも行動は突拍子がないね。」
僕がそう言うと、ユキナは茶色がかった灰色の大きな瞳を見開いて大層驚いたように「まぁ!」と言い、
「レイお兄様ったら、まだそんなガチガチな固定概念をお持ちなのですね!お嬢様言葉を使うからといってお淑やかな性格とは限りませんわよ。」
そう言って僕たちはこれまで何度もやっているやりとりを交わす。ユキナは最近流行りだという鮮かな色の紅を引いた唇に弧を描き、ニコニコと嬉しそうに笑っている。どうやらユキナはこのやりとりが気に入っているらしい。別に「〜ですわ」とか言いながらその辺を走り回っていても僕はなんとも思わないんだけど、ユキナが“これ”を楽しみにしている事を知っているから会話の切り出しはだいたい僕の「君はお嬢様口調の割にいつも行動は突拍子がないね。」だ。
「それで?国王からの勅令書というのはどんな内容かな?」
僕が本題に戻すとユキナはニコニコと笑っていた顔をハッとさせて「そうでしたわ!」といい、まだ封がされている国王からの勅令書を渡してきた。『国王の勅令書』がなぜしがない細工職人の僕の元へと届くのか。もちろん僕は国王御用達の職人────ということはない。ならこの勅令書は何かというと僕のもう一つの役職に理由がある。
僕のもう一つの役職────それは煌ノ国に出現する悪鬼、“禍牙”を専門に討伐する『八星』。八星とはその名の通り八人しかいない。しかし、その一人一人が煌ノ国に伝わる禍牙を討伐するための書物に選ばれた有能な人材だ。(…自分で有能というのはいささか気恥ずかしいが)八星はそれぞれ旅をしながら、国王より命があれば禍牙を殲滅する。書物に選ばれてしまえば、命尽きるまでその業を背負わなければならない。
まあ、僕としては自由気ままに旅ができて嬉しい限りなんだけど。
翠で禍牙と思われる被害……。“血塗りの路地”ね。あんまり良い響きではないな。僕は勅令書に目を通して一つ息をつく。
「はぁ、これはまた面倒そうな案件だね。それに急を要するときたからあんまりうかうかしてられないね。ユキナ、急かして悪いけど出発の準備をするよ。勅令書は渡しておくからユキナも目を通しておいてね。」
僕から勅令書を受けとったユキナは「分かりました。」と短く返事をしてスタスタと自分が借りている部屋へと戻っていった。
あーあ、せっかくユキナに手伝ってもらって作った作品達だったのに…。お披露目はまだ先になりそうだ。仕方ない、観光地は逃げはしないのだから今回の命令を早めにかたをつけて戻ってこよう。
────さて、僕も準備を始めようか。
「まったく!レイお兄様ったらお仕事の腕はピカイチですのになぜ、ご自分の身の回りのこととなりますとこうもダメになってしまわれるのかしらね…。」
ハーフアップにまとめた髪を留めている髪飾りを撫でながら、ユキナは呆れた様子で僕に小言を投げかける。まあ確かにまとめていた荷物をいざ持って行こうとすると鞄のふたがあいていて中身をぶちまけたり、やっとのことで荷物を詰め終わったかと思えば部屋まで迎えにきてくれたユキナに「お兄様!なんですか、その寝癖は‼︎」と言われ速攻で直されたりと自分の抜けている性格はよく理解している。おかげで毎回ユキナには苦労をかけているし、彼女は出会った頃とは桁違いにたくましくなったと思う。……苦労をかけて申し訳ないやら立派に育ってくれて嬉しいやら複雑な感情だ。
「いつも世話をかけてすまないね。でも、こんな僕でもユキナがいてくれるから楽しく旅が続けられているよ。ありがとう。」
素直な気持ちを口にすると彼女は照れる様子もなく、なんならとても頼もしげににっこり笑って
「レイお兄様はわたくしが付いていなければ全然ダメダメですもの。何かありましたら遠慮なくわたくしを頼ってくださいまし!なぜならわたくし達は“相棒”なんですもの。」
ユキナのその言葉に僕は「そうだね。」と返す。僕達は出会ってから八年ほど一緒に旅をしている。短い様で長い時間だ。その間に僕達はたくさんの困難を乗り越えてきた。僕の仕事柄ユキナには危ない思いも寂しい思いもたくさんさせてきてしまったが、それでもユキナは僕を兄のように慕ってくれた。実際僕も彼女のことは可愛い妹のように思っている。だからこそ僕が守らなくちゃならないんだと思っていた。
しかし、それは大きな間違いだった。ユキナはいつの間にか成長し、僕が守るばかりではなく彼女に守られているんだと感じることが多くなった。僕らは“兄妹”でもあり、互いを支え合える“相棒”という関係性となっていたのだった。
もともと、禍牙の討伐は僕一人で行っていたのだが、ここ数年はユキナと連携して戦っている。実際僕が選ばれた書物は攻撃型とは少し違った要素が主となっているため、ユキナが接近戦を学び始めたときは驚くよりも僕の禍牙との戦闘を見て自分にできることを模索してくれていたことに兄としてとても感動した。────感極まりすぎて号泣した挙句、当のユキナに「レイお兄様、そこまで感動されます⁈」と引かれたのはいい思い出だ。
牛車に乗せてもらって揺られること半日ちょっとで僕達は「不知火」の北東に位置する町“翠”へとたどり着いた。牛舎に乗せてくれた主人へお礼をして、今は町の中にある茶房にて休憩中だ。
「さてと、まずは軍と合流しなくちゃだね。」
「ええ、先に軍の方と連絡を取っておきましょうか。」
そう言ってユキナは通信端末を取り出した。これは一見ただのガラスの板に見えるが、地図を出したり一定の範囲内にいる人と通信したりといろんなことができるという。新し物好きな国王より最近支給された連絡手段なのだが、僕にはいじり方がさっぱりで今ではユキナの方が上手く扱っている。しばらくすると軍から返事が来たらしく、ユキナが僕を呼ぶ。
「お兄様、本日中に合流したいとのことですわ。」
ユキナは僕に向かって得意げに軍からの返事が書かれた通信端末の画面を見せてくれる。
「ありがとう。じゃあ、もう少し休憩したら向かうとしようか。」
店で軽い食事をした後、ユキナが化粧を直してくるとのことで席を立ち、それを待っていると僕の服の裾が軽く引っ張られる様な感覚があった。僕が不思議に思って引っ張られた方を向くと栗色の髪をした男の子が、緊張と不安が織り混ざった表情で見上げてくる。僕はその男の子と目線を合わせるようにしゃがみ込み「ボク、どうしたのかな?僕に何か用事かな?」と怖がらせないように優しめな声で尋ねてみる。
しかし、なぜか男の子の表情はだんだんと歪んでいき最終的にはわんわんと泣き出してしまった。今まで子供にはこの接し方をして泣かれたことがなかったため、僕はどうしたらいいかわからなかった。え、僕の顔そんなに怖かったかな??この顔で生きてきて怖がれたことなんてあんまり無いしな…。知り合いの一人は僕の顔見ると大体「爽やかにスカした顔しやがって」とか言ってくるぐらいなのに。僕がそんなことを考えている間も男の子は泣き続けているわけで、するとだんだん周りからの目線が突き刺さってくるわけで…。僕がアワアワしていると、化粧直しから戻ってきたらしいユキナが「まあまあ!」と言ってトタトタ駆け寄ってくる。僕と同じようにしゃがみ込んで男の子を優しく撫でながら心配そうに話しかける。
「こんなに泣いてしまわれて。レイお兄様、こんなに小さい子を泣かせるとはいただけませんわね〜。」
ユキナはそう言って、自分のハンカチで男の子の涙を拭いながら僕を見てくる。まったく、この子は…。僕が何もしていないのをわかった上でこんなことを言うんだから。僕が反論するために口を開こうとすると、泣きまくっていた男の子が慌てたように「違うよ!」と訴える。
「お姉ちゃん、違うよ!このお兄さんは何にもしてないよ…!僕、やっと相談できる人にッ、うれしくてッ…!」
男の子はしゃくりあげながらも言葉を紡いだ。それを聞いたユキナは「あら、そうですのね。ごめんあそばせ。」と良い笑顔で言う。あらぬ濡れ衣を着せられた僕は、ジト目で彼女を見たが当の本人は「ふふふっ」とイタズラが成功した子供の様に笑うだけだった。そりゃ、ユキナのおかげで周りからの突き刺さる視線は無くなったけども…。
男の子はスズという名前でこの辺に住んでいるらしく、最近身の回りで起こったことについて国王軍に相談したかったが中々話すことができず、やっと僕に話しかけることができた安心感から泣いてしまったらしい。
さっきまで泣いていたけど、この茶房で人気の団子セットをご馳走するとそれを頬張りながら少しずつではあるが、スズは話をしてくれた。
スズはある日の家の手伝い帰りに件の“血塗りの路地”周辺を通ったらしい。その際、見たこともない大きな鳥が人を襲っているところを目撃。その鳥が去った後に勇気を出して、襲われた人に駆け寄ると傷を負いながらも眠っていたらしい。僕は「襲われた後に眠っていた」というスズの話に禍牙の存在を垣間見た。なぜならそれは禍牙に襲われた者と同じ症状だからだ。禍牙に襲われた者は誰かが引っ叩いても、大量の血が流れていようともどんな状態でも一日中眠り続けるのだ。そのため最悪、死に至る可能性だってある。
そしてスズは翌日襲われた人が心配で様子を見に行ったらしいのだが、その人物は「怪我をして倒れていたところを助けてくれて助かった。」とは言うが、スズが見た大きな鳥については聞いても全く覚えていなかった。挙げ句の果てにはスズが何かと見間違えたのだと周りの者に言われてしまう始末だったようだ。
「なるほどね…。話はわかったよ。でも、なんでスズは僕達にその話を聞いて欲しかったの?」
国王軍に聞いてもらいたかった話をなぜ僕達にしてくれたのかが気になり、スズに疑問を投げかけると彼は目をパチクリさせてかなり不思議そうに
「だって、お兄さんたち国王様がハケン?してきた人でしょ?だってお兄さんがつけてるソレ、国王様の家来だって証でしょ?」
と言って、僕が腰から下げている国章の形をした証明手形を指差す。僕はそれを聞いて「あぁ!なるほどね。」と合点がいったように拳を掌に打ちつけた。
「確かに、僕がつけているこれは“国王様の家来の証”だよ。スズはよく勉強しているんだね。」
僕がそう言うと、スズは照れたように頬を染めながらも得意げに「ぼくの一番上のお兄もね、こくおう様のけらいなんだ!お兄もおんなじの持ってたから分かったんだ‼︎」と言った。証明手形はどんな役職でも見た目は一緒だ。スズの兄上もどこかしらで国王に仕えているのだろう。
スズに目を向けると楽しそうに話す様子が昔出会ったばかりの頃のユキナと重なって、口の周りに食べ屑を付けているスズと「あらあら」と言いながらそれを拭っているユキナを交互に見て笑ってしまった。その様子を見たユキナが「何笑ってるんですの?」と不思議そうに見つめてくるが、僕は「ううん、なんでもないよ」と緩んだ顔で言葉をかえすのだった。