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アルルの女  作者: 高田 朔実
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 青野君がちらちら私を見ていることに気づき、

「難しいね、言葉にするのって」

とわざとらしく笑って見せる。

「俺も帰国したら、その本探してみようかな」

 偉そうなことを言いながらも、きっとこの国を出て、お礼に一回くらいメールを出して、こうして姿を目にすることがなくなったら、彼がいた日々のことも、やがて遠くのものとなっていくのだろう。彼が私の人生からいなくなったとしても、ほかにしないといけないことも、考えないといけないことも、たくさんある。いつまでも報われなかった出会いにかまけているひまはない。

 かつてこの人は私の中でいつもなにやら特別なところにいたようだけれども、そんな感情を抱いていたことはすっかりどうでもよくなっていて、普通に友達として再会できるはずだった。会った瞬間、あの頃の気持ちに戻ってしまうなんて思っていなかった。あの高揚感を体全体で思い出してしまうなんて知らなかった。どこかで読んだ、アル中患者が断酒した後に、一滴でも酒を飲むと脳がアルコールのことを思い出してしまうという話を思い出すようだった。

まやかしだろうがなんだろうが、もう全部がどうでもよかった。とにかく、今は幸せな気分だということにしたかった。いつわりだろうが、思い込みだろうが、どうでもよくなってしまうくらいに、生きていてよかったと思った。今後どんなに誰かに夢中になっても、どんなに忙しさに埋もれて忘れていても、顔を見た途端に、もしかしたら気配を感じた途端に全部無意味になってしまうくらい、私はこの人が大事だった。まぼろしのような日々の中で、それだけは確かだった。

 でも大丈夫、会わなければ思い出さない。忘れたふりをしていれば、扉を閉めたまま生きていける。私はフレデリではない。彼がうらやましくありながらも、この十年足らずでそれくらい鈍感な人間になれたのだという自負があった。

 打ち上げ花火の球を引き出しにしまったまま、ちまちまと線香花火を燃やしながら日々を過ごす。今後私に用意されているのはそういう生き方だった。それを確認するうえでも、最後に会っておいてよかったのだろう。この私たちの生活圏から遠く離れた国、おそらくはもう二度と来ない国で、これといった思い出も作らずに、最後の日々を過ごすことができてよかった。「そろそろ出ようか」と言うと、彼はちょっとほっとした様子を見せた。

 立ち上がりながら、青野君が帰国後に『アルルの女』を読まないだろうことと同様、私は生涯ウユニ塩湖に行くことはないだろうなと思った。


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