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 フロランスが泊まるのは客室のひとつです。ダンスの練習が終わり、客室に到着したときには、フロランスが城に持ち込んだ荷物も運び込まれていました。

 歓迎を示すように、テーブルには熱い紅茶が用意され、どうぞくつろいでくだいと言わんばかりです。


「どああああ、疲れたあああ」


 おっさんじみた太い声を出し、フロランスは靴と靴下を脱ぎ捨て、ベッドに倒れ込みました。長時間のダンスで脚がぱんぱんでした。


 転がったふかふかのベッドは広く、横回転を四回しても余るほどの幅があります。天蓋の内側には星物語の一幕が描かれており、ぼーっとそれを眺めているうちに、眠たくなってきてしまったのでした。


「だめだめ、晩餐会の用意をしなきゃ」


 夜には晩餐会があるのです。両家顔合わせの前に、王家のみなみな様に先んじてご挨拶するというのが、この国の王家に嫁入りする娘の慣例となっているのでした。

 支度の時間になれば、手伝いの人たちが来てくれるはずですが、その前に、家から持ってきたドレスやアクセサリーを確認しておこうと思ったフロランスです。


 フロランスはかばんから、使用人が詰めてくれたドレスやアクセサリーを引っ張り出し、ベッドに並べます。靴も足元に置きました。

 一応、義理を通す意味もあって、靴はユーグ王子が送ってくれたものを持ってきたのでした。紺色の生地に黒色の刺繍が施された一品は、きっと唯一無二のものです。派手すぎず、あわせるドレスを選ばない品のよいデザインでした。かかとに共布のリボンが縫い付けられており、ふくらはぎが美しく見えるのでした。もちろん、ふくらはぎを見せる機会など、そうないのですが。


 こんな、高価で美しく素敵な靴が、エモニエ家の自室に帰ればもっとたくさんあるのです。ありがたいような、迷惑なような。

 はあ、とフロランスはため息をつきました。


(先が思いやられるわ。さっきのダンスといい、ユーグ王子の趣味といい……あと、王妃殿下のことも)


 肩をすくめ、靴下もかばんから取り出します。これもユーグ王子の贈り物でした。


 ノックの音がし、フロランスは顔を上げました。お手伝いが来てくれたのだと思ったのです。


「はーい、どうぞー」

「失礼します、フロランス嬢」


 ところが、ドアを開けたのは、ユーグ王子殿下でした。彼の背後にはふたりの老女が控えています。ひとりはたらいを、もうひとりは大きなポットを持っていました。


「お、王子殿下? どうしたんですか」


 王子殿下は、ぱちぱちとまばたきをし、フロランスの足元をごく自然に確認しました。そしてますます笑みを深くしたのです。


(あー、……誰もいないからって裸足で歩いていたんだった。しまった)


 淑女として、大減点ですが、王子殿下はむしろ喜んでいらっしゃるようでした。フロランスは何食わぬ顔で室内履きに足を入れました。


「フロランス嬢、疲労に効くハーブを浸したお湯を持ってきました。どうぞお使いください」

「お気遣いありがとうございます……?」


 老女のひとりからたらいを受け取った王子殿下は、にこにこと近寄ってきてたらいをスツールの前に置きます。ポットを持った老女がたらいの中に湯気の立つお湯を注ぎました。爽やかなハーブの香りが広がります。

 そして王子殿下はたらいの前に膝を付き、「さあどうぞ」とフロランスを手招きしました。


「僕が足をもみほぐして差し上げます」

「遠慮します」

「そうおっしゃらずに!」

「婚前ですよ!?」

「今更では?」


 期待にきらめく目を向けられ、フロランスはぐっと言葉を詰まらせました。王子の背後の老女ふたりがじっと視線を向けてくるのにも圧を感じていました。


「王子殿下にそのようなことをさせられません」

「よいではないですか。夫婦になるのですし。むしろさせてください、お願いします」


 いさぎよく頭を下げられ、フロランスは折れたのでした。


(練習中、いっぱい足踏みつけちゃったしなあ……)


 実はちょっと気にしていたフロランスでした。王子殿下のつま先を、靴のかかとでぐりっと何度もやってしまったのです。王子は「大丈夫ですよ」とにこにこしていましたが、あれは絶対に痛かったでしょう。


 フロランスは、スツールに腰掛けて、軽くスカートの裾をさばき、たらいのお湯に足を浸しました。お湯は少しとろみを帯びているようです。


「湯加減はいかがですか?」

「……気持ちいいです」

「よかったです! 王家の者が狩りの後や剣術の稽古の後に使うために調合したハーブです。古くは、戦場で傷を負った戦士を癒やしたという」

「そうですか……ん」

「やはり張っていますね。痛かったらいってくださいね」


(くっ……気持ちいいじゃない……っ、ん、屈辱だわ……んっ)


 ふくらはぎを揉みほぐされ、土踏まずを圧迫され、足の指の間に指を差し入れられて広げられ――気持ちよさに吐息をもらしてしまうフロランスでした。


「王子殿下、なんでそう慣れているんですか」

「ふふふ、兄上や父上にもよくしているのですよ。実は僕の、数少ない特技のひとつなのです。なんでしたら、全身してあげられるのですが、婚前ですしね」

「揉みほぐすのは男性の足でも王子殿下はいいんですか?」

「いいも何も、足が張るのは男女関係なく辛いのでは?」


 フロランスは口をつぐみました。自分が無粋なことを言った気がしたからです。王子が混じりけなしの善意でこうしてくれているのかもしれないと思い当たったのでした。


「もちろん、あなたの足の爪の形をじっくり見てみたい気持ちもあるので、意気揚々とこちらに伺った次第ですが」

「私の、一瞬前のしおらしさを返してください。あと、いいんですかそんな発言して」


 ちらっと背後の老女ふたりを見やったフロランスでした。

 王子は、フロランスのくるぶしをなでながら、首を振ります。


「大丈夫です、彼女たちは僕のことをよく知っていますし信頼できる人物ですよ。乳母として、古くから仕えてくれているふたりです。僕と彼女たちの間に隠し事はありません」


 得意顔でそううそぶくので、フロランスはちょっと意地悪を言うことにしました。


「では、どうして殿下はそんなに足がお好きなんですか」


(本当は王妃殿下とのことを聞こうと思ったけれど、それはさすがに……ね)


 かっとなると周りが見えなくなるフロランスも、人並みの配慮は持ち合わせています。

 かのご趣味について問いかけるのはぎりぎり大丈夫だろうと、声にする直前で言葉を変えました。

 王子殿下は笑顔を崩しませんでした。


「それについては追い追い、むしろぜひ聞いていただきたいので、あらためて」

「あ、できれば手短にお願いいたしたく」

「というか、僕はさっきの母の態度について問われるかと思いましたよ、フロランス嬢」


 いたずらっぽく微笑まれ、フロランスの方が言葉に詰まってしまいました。


「驚かれましたよね。母はちょっと、こう、気難しいところがありまして、至らぬ僕は家族の中で特に注意を受けやすい傾向にあるのです。

 決して母がフロランス嬢に含むものがあったわけではなく、僕への叱咤激励ですので、あの一言はどうかお気になさらずに」

「そう……なのですか?」


(ええと……。嫁いびりの姑じゃないってこと? 王妃殿下って、ユーグ王子の生母よね。実の息子が嫌いなの?)


 家族との不仲で悩んだことのないフロランスには、わからない状況でありました。


「ですがフロランス嬢、そう怯えずともよいですよ。母上は根に持つタイプですが、あまりいじわるなことを露骨にする人でもありませんから」


(うわ、一番面倒くさいねちねち冷戦タイプってことじゃん。これは先が思いやられるわね、くわばわくわばら)


「さっきのあれは意地悪には入らないのですか?」

「あの程度僕は平気ですから。……ああでも、兄の奥方はちょっと怯えているようで、可哀想です。別段彼女に厳しく当たっているわけではありませんが、母は態度がつっけんどんなので。昔はああではなかったのですが……仕方ないんです」


 仕方がない。

 そういいながらも王子殿下はどこか寂しげな顔をしていました。


「仕方がない、とは?」

「……ああ、フロランス嬢、すみませんそろそろ身支度の時間ですね。長居しすぎました。あとは彼女らに任せます」

 

 王子は強引にフロランスの声を遮って立ち上がり、老女ふたりを残して部屋を出ていきました。

 ですが、彼の寂しげな表情は、きっちり、フロランスの脳裏に焼き付いたのでした。


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