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「はじめまして、ユーグ・アングラードと申します。……いえ、厳密に言えば『はじめまして』ではないですね」


(待って待って。頭が追いつかないんだけど――)


 混乱したフロランスは、王子にお辞儀を返すこともできず、口をあんぐり開けて硬直していました。


(あの時の変態が王子殿下ってことは……王子を暴行した犯人はやっぱり私!? えっ、だとしたら私、ここで逮捕されるの!?)


 フロランスがパーティーの夜、月明かりの下で見た男の面立ちに既視感を覚えたのは、きっとユーグ王子の肖像画を見たことがあったからなのでした。それに気づいたとて、混乱は収まりません。


「フロランス嬢、立ったままでは疲れますので、どうぞソファにお掛けください。今、お茶をお持ちいたします」


 ユーグ王子に促されるまま、操り人形のようにフロランスはソファに腰を降ろしました。ローテーブルを挟んだ反対側のソファに、ユーグ王子が姿勢を楽にして着席します。

 そして、ユーグ王子はかすかに苦笑したのです。


「驚かせてしまって申し訳ありません。突然、話したいだなんて、ご迷惑でしたよね」

「いや、謝るべきはそっちじゃないでしょ。パーティーの夜のほうがずっと迷惑被りましたし」


 反射的にツッコミをいれ、はっとなったフロランスでした。


(うあああ! ついいつもの調子で……!)


 フロランスは、王家におもねるつもりはないのですが、とはいえここでの受け答えは、エモニエ家全体の評判に響くのは間違いありません。家族に迷惑をかけるのは、本意ではなかったのです。


「も、申し訳ありません……、失礼なことを」


 慌てて、うつむいて謝罪の言葉を口にしました。


「ぷ……!」

「殿下?」


 顔を上げたフロランスは、肩を震わせ口を手で押さえているユーグ王子を見ました。


「いえ、こちらこそ失礼いたしました。おっしゃるとおりです。僕はまず、先日の非礼をあなたにお詫びしなければいけません。

 ……改めて、パーティーの晩は、大変失礼いたしました。さぞ、驚かれたことかと思います。そしてご不快で恐ろしい思いをされたことでしょう、申し訳ございません」


 立ち上がり、深々と頭を下げた王子のつむじを見て、フロランスはまばたきしました。


「僕の悪い癖なのですが、女性の足に目がなくて。あの晩、まさか城で、あんな魅力的な御御足をお持ちの方に遭遇するとは思わなかったのです。つい、我を忘れて、あなたに嫌な思いをさせてしまいました」


 社交界のことはあまり興味のないフロランスでしたが、ユーグ王子の一連の婚約解消には、この足好きが一因となっているのだろうなと、ぼんやり思いました。


 まさか、堂々と、変態行為を「女性の足に目がなくて」と開き直られるとは思わず、フロランスはぽかーんとしてしまいます。一拍置いて、はっとなり、立ち上がりました。


「いえ。こちらこそ、……その、殴って申し訳ありません。怪我までさせてしまって」

「なんの。まさかあんな……はぁ……荒々しい靴の使い方を、はぁはぁ……身を持って味わえるとは思わなかったので、むしろありがとうございます」


 うっとりした顔をしていたユーグ王子は、ふと表情を改めると、ソファに座り直し、フロランスにも着席をすすめました。フロランスはなんだか釈然としないものを感じながら、また座ったのです。


(深く考えたら負けだ……)


 世の中、自分の理解の範疇を超えた事象はあるのだとフロランスは心得ているのでした。


「実は、あなたに謝りたい、靴もお返ししたいと、捜していたのです。あなたはあまり社交の場に顔を出されないので、いろんな人に確認したのですが、すぐには身元がわかりませんでした。それで、人相書きという手段に至ったのです」

「ええと、すみません、王子殿下。まるで私を指名手配するつもりはなかったとおっしゃってるように伺えるのですが」

「つもりも何も、指名手配したことなど、一度もありませんよ」


 ユーグ王子が指を鳴らすと、隣の部屋から人が来て、紙をフロランスにくれたのでした。

 同時に入室してきたメイドが、甘い香りのお茶をテーブルに用意します。


 受け取った紙は、人相書きでした。新聞に縮小されて転載されたものの、元のものです。

 紙面の文字を、フロランスの琥珀色の瞳が追いかけます。


『第二王子ユーグ殿下がパーティーの夜に拾得されたこちらの靴の持ち主を捜しておいでです。中庭にいた女性のものとのこと。パーティーの出席者とは思われますが、はっきりしたことは不明。お心当たりのある方は――』


「どうやら、記者たちは、僕が怪我をしたタイミングと、その人相書きを紐付けて、人相書きの人物を捕まえようとしていると記事にしたんですね」

「いやいや、誰だって普通に指名手配だって思うでしょ!? 人相書き出すタイミング考慮してます!?」


 またついツッコミを入れたフロランスに、ユーグ王子はにっこりします。


「もし本当に逮捕するつもりなら、王族に対する暴行なのですから、そんなまだるっこしいことせず、あらゆる道の封鎖・検問、他国への渡航制限をして、懸賞金をかけますね~。

 とはいえ、人相書きは悪手でした。あなたに会いたい気持ちが強くて、焦ってしまいました」

「悪手にもほどがあります、風評被害甚だしい! 世間じゃ私は、靴で王子をぶっ飛ばした暴行犯です」

「そこは違いないじゃないですか」

「そうですけど!!」


 フロランスがぐしゃりと丸めた人相書きを投げ捨てると、王子は窓際のチェストからもう一枚人相書きを取り出して、どこか楽しげにそれを眺めるのでした。


「僕にはあなたを訴えるとか逮捕させるとか、そんなつもりはまったくありませんから、ご安心を。怪我は僕の自業自得だと納得しています。

 もちろん、父である国王陛下もそうです。今頃、エモニエ夫人は、父から謝罪されているはずです」

「それを! 今すぐ! 世間にむかって公表してくださいっ!」


 いきり立つフロランスの前で、次の間からやってきた身なりのきちっとした男性が、王子にこそこそと耳打ちし、うやうやしく一礼して退室しました。


「別のことを公表することになりましたよ、フロランス嬢」

「別の? 王子殿下がド変態だということを、ですか!?」


 今にも噛みつきそうな形相で聞き返すフロランスです。


 ユーグ王子の話を聞いているうちに、なんてバカバカしい顛末だと、呆れ三割、怒り七割でイラつきが抑えられなくなってしました。

 つくづく、自分は迷惑を被った。回りくどい問答は終わりにして、さっさと不名誉な噂を一蹴してほしい。


 かっとなると周りが見えなくなる、フロランスの悪い癖はここでも発動していたのです。


 フロランスの前に歩み寄ってきたユーグ王子は、流れるような仕草でフロランスの手をとります。そして片膝をつき、手袋に包まれたフロランスの手の甲に口づけを落としたのでした。


「あなたと僕の婚約を三日後に公表いたします。よろしく、婚約者殿」


 婚約者殿。

 該当する言葉が、脳内の辞書に見当たらず、フロランスはしばし呆然としていました。


「あなたの母君の許可はいただけたと先程の使いの者が」

「待って、変態の話す変態語は、私には理解できないの」


 引き抜こうとしたフロランスの手をがっちり握って拘束し、ユーグ王子は微笑むのでした。


「僕に先日の非礼の責任をとらせてください。そう申し出たところ、お義母さまはご快諾くださいました。なんだったらすぐに婚姻も、と」

「おああああおかあさまあああ!?」

「いやあ、よかったです。急いであなたを捜した甲斐がありました。しかも見つけてみたら、夫も婚約者も恋人もいない。幸運でした」


 娘の嫁ぎ先を捜していたエモニエ夫人が、逆転勝利の歓喜に打ち震える姿がまざまざと想像できたフロランスでした。娘が指名手配されたと思っていたのに、なぜか王子殿下の婚約者に選ばれた。財はあれど、中流の貴族でしかないエモニエ家には、王家の縁故など、僥倖でしかありません。娘によりよい婚姻相手をと考えている母からしたら、断る理由のない話でした。


「待ってください、何かの間違いです! 継母(はは)と話をさせてください!」

「それは構いませんが……、つまり、フロランス嬢は僕との婚約はお嫌ということですか」

「この状況で喜ぶわけないでしょ!?」

「まあ、そうですよね……」


 ユーグ王子の、悲しげな笑みを見てフロランスはさらにむかっとします。


(どーせ私の足が目当てなんでしょ!? 責任をとるなんて、都合のいいこと言っちゃって!)


「母君は、陛下とのお話が済み次第、こちらに戻っていらっしゃいます。

 ……僕はこれで失礼いたしますが、またお会いできることを祈っています、フロランス嬢」


 声に一抹の寂しさを宿して優雅に一礼し、ユーグ殿下は部屋を出ていったのでした。


 ◆


 しばらくして、エモニエ夫人が部屋に戻ってきました。フロランスは勢いよく立ち上がり――何も言えなくなってしまいました。


 フロランスの顔を見るなり、夫人は涙ぐみ、満面の笑みになったのでした。


 靴を受け取り乗り込んだ帰りの馬車で、夫人は何度も同じことを繰り返し言います。


「ああ、よかったわ、フロランス。本当によかった……。あなたへの疑いは晴れるし、何より王子殿下の婚約者になれたのですもの。私も肩の荷が降りました。旦那さまのお墓に報告できます」


(お母様――)


 きっと、夫の忘れ形見であるフロランスの将来の安寧を確保するのが、夫人の大きな目標で、不安にもなっていたのでしょう。夫人がただの義務からの開放で喜んでいるのではなく、本心から喜んでくれているのも、フロランスは感じ取っていました。


 ユーグ王子との婚約だなんて、絶対にお断り――と思っていたフロランスでしたが、夫人の喜びの涙の前に、口をつぐむしかないのでした。

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