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 第一王子の生誕祭は天気にも恵まれ、日中の式典は滞りなく済んだのでした。


 そして夜、花火が開催を告げるなか、パーティーへの招待状を持つ貴族たちは、飾り付けられた王城のホールへ赴きました。少しでも王子の記憶に残るようにと、思い思いに着飾り、挨拶の順番を待つのです。


 ふと、貴族の一団にいたエモニエ夫人が振り返ると、ひとりの娘の姿がありませんでした。


「ねえヴェロニク、フロランスを知らない?」

「あら……いらっしゃらないわね。トイレかしら? ヨランド、お姉ちゃんを知らない?」

「さっき、靴ずれがひどいと言っていたので、手当てを受けに行ったのかもしれません」

「ふたりとも、フロランスを探してちょうだい。ばらばらにはご挨拶できませんわ」


 言うなり、胸騒ぎを感じたエモニエ夫人は、自らも会場から出て、休憩室へ向かいました。こういったパーティーでは、気分が悪くなった人のために、会場からほど近い部屋が休憩室にされるのです。靴ずれの手当を受けるのであれば、世話係のいる休憩室にいるはずと考えたのでした。


 しかし、エモニエ夫人が覗いた休憩室に、フロランスはいなかったのでした。



「あー、ほんっとうにバカバカしいったらありゃしない! 何よこのドレス。一人で階段を上るのも苦労するなんて。火事が起きたら、焼け死ぬしかないじゃない!

 なんでこんな機能性のない靴が、動きやすいブーツの何倍も値段がするのかも理解できない。おかげで靴ずれしちゃったじゃない」


 ぼやきながら、人気のない城の中庭を歩くフロランスの薄紅色のドレスには、あちこちに葉っぱがついています。


 貧乏生活中、貧民の子どもに混じってたくましく生きてきたフロランスにとって、城の歩哨の目を盗んで茂みの中を匍匐前進するなど、造作もないことでした。


 歩哨たちも外からの侵入者には目を光らせていたものの、バルコニーに風にあたりに来たらしい令嬢はほぼノーマークでした。重たいドレスを着た令嬢が、自分と目礼を交わしたあと、さっと茂みの中に潜り込むとは想像もしなかったことでしょう。


 きらびやかなホールに負けぬくらい、美しい花々が咲き誇っている中庭は、夜目にも楽しいものでした。

 その中庭に降り注ぐ月明かりに、フロランスの淡い金色の巻毛はきらきらとし、琥珀色の目は月そのもののように輝きます。頭に葉っぱさえついていなければ、フロランスもなかなかの美人なのですが、あいにく、眉間には深くシワが寄り、不機嫌さから口角はさがっておりました。


 片手でスカートの前を掴み、もう片方の手で靴を持ったフロランス。もしその姿を継母が見たら、悲鳴を上げて卒倒したでしょう。


 一度、財産をすべて失った時、フロランスは受けていた淑女としての教育もまた、捨てたのでした。恥じらいや慎みは、パンに変えられないからです。捨ててしまえばその重苦しさに気づき、いっそ自分は生まれる場所を間違えた、本来は市井で生きるべきだったのだと謎の確信を得たのでした。


 とはいえ、継母のことは、フロランスなりに愛しておりました。彼女の体面と自分の言い分を天秤にかけ、パーティーの最後、会場を辞去する時の挨拶だけは付き合おうと考えていたのです。その時を、ひっそりと中庭で待つ予定でした。


 持ってきた靴を放り出し、ベンチに腰を降ろしました。

 右足のかかとは靴ずれで火箸を当てたように痛みます。明るいところで見たら、赤くなっているかもしれません。絹の靴下を脱いで手当てしたいところですが、靴下は腰から吊るタイプのため、簡単には脱げません。金具を外すにはスカートを持ち上げなければならず、いかなフロランスとはいえ、そこまで大胆にはなれなかったのです。

 それでも、淑女のマナーを考えれば、膝小僧までスカートをからげるのは、とんでもなくはしたないことではありました。


「いたた……」


 フロランスは、足をさすりました。

 継母のことは嫌いではないのです。彼女なりのやり方で自分を愛してくれているのだとわからぬほどフロランスは幼くありません。財産も、実の娘であるふたりの妹たちと同じだけフロランスに残すと、すでに遺言状をしたためて準備してくれていることも知っています。


 ただ、結婚を毎日のように薦められるのには閉口したものです。継母自身、愛する人を失ってしばらくふさぎ込んでいて、体調を崩していたのです。父だって、母を失った時は悲嘆に暮れ、フロランスはとても心配したのでした。


 結婚し愛し合ってもいずれ別れが来る。それが想像を絶する辛さをもたらすならば、私は結婚などしたくない。

 するとしたら心の通わない形だけの結婚で、相手に求める条件は私をバカにし父を見下していた貴族以外、というのが絶対である。


 常々そう考えていたフロランスに、今宵のパーティーなど、時間を無駄にし足を痛めつけるだけの拷問でしかないのです。


「早く終わらないかしら」


 ため息をついたフロランスの背後から、声がしました。


「もし」

「ひゃあ!?」


 茂みの向こうの小道から出てきたのは、着飾った青年でした。

 薄暗く髪や目の色ははっきりしませんし、顔の細部は見えません。ですが、立ち姿はしゃんとして、声は低くなめらかです。きっとパーティーの参列者でしょう、盛装をしています。肩から胸を飾る宝石が、暗闇できらきらと月光を反射する様は美しいものでした。


「どうなさったのですか、供のものも連れず、レディがこのようなところで……足を怪我してしまったのですか?」

「あ、いえ、これは」


 流石に、男性の前で膝上までスカートをからげるのは、礼儀以前に恥ずかしい。フロランスは慌ててスカートをおろそうとしました。


 ところが、素早く片膝をついた青年が、立てた腿の上にフロランスの靴ずれをした足を乗せたのです。


「ああ……! なんてことだ! キュッと上がった土踏まずに美しいアーチを描くつま先、まあるい踵。完璧な足だ! その柔肌に怪我を――」

「え、いやちょっと離して」


 突如語気荒く語り始めた青年は、フロランスの足を撫で回します。フロランスはぎょっとし、スカートをおろそうとしました。が、青年は足を離してくれません。それどころか、フロランスのスカートをたくしあげ、ふくらはぎに指を這わせました。


「締まったふくらはぎ、はあ……適度に筋肉があって弾力があり、はあはあ、膝下は締まっている……。スネは骨の形がわかり、ひかがみのこの、はあ、禁断の、はあ、ぬくもりと……香り……っ」


 こともあろうか青年は、フロランスのむこうずねに頬を擦り寄せました。

 顔を傾け顕になった青年の目鼻立ちは、人形と見紛うばかりの美美しさで、面影をどこかで見かけたような気がしましたが、フロランスはうっとりしている場合ではありません。


「ぎゃあああああっ! へんたあああああいっ!!」

「ふぐうっ!?」


 手元にあった靴の踵で青年の頬を殴りつけます。渾身の力で一発。それでも青年が頬をすねに擦り付けるのを辞めないので、もう三発。


 拘束が緩んだところで、フロランスは駆け出しました。スカートを膝の上までからげて、全力疾走です。日頃から階段を駆け上り駆け下りては継母に淑女としての嗜みを説かれている彼女ですから、健脚は当然でした。あっという間に城の中庭を駆け抜けます。


(へ、変態だ! 城には変態がいるんだ! 魔窟だったんだああ!)


 フロランスは、パーティー会場を出て中庭近くをうろうろしていた妹のヴェロニクに発見・保護されました。

 ふたりと合流し、事の次第を聞いた継母のエモニエ夫人は、娘が変質者に襲われかけたと聞きその場で卒倒してしまったのです。




 さて、エモニエ母娘は知りません。

 フロランスが落としてきた靴が、変質者――もとい、第二王子ユーグ・アングラードに回収されたことも。王子がフロランスの身元を洗うよう、臣下に命じたことも。

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