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 すっかり寝支度が整い、フロランスはベッドにごろんと横になりました。


 星辰の間のあとは、図書室や美術室、ユーグ王子の執務室など様々な部屋を案内してもらいましたが、小一時間で回りきれる王城ではなく、残りは数日かけて案内してもらうことになりました。王子は部屋までフロランスを送り届け、手の甲に口づけをひとつ残し、去っていったのです。


 フロランスはしばらく、天蓋の内側に描かれた星物語の内容を思い出していたのですが、気づくと、星辰の間でのユーグ王子の話を思い返していたのでした。


「もう寝よ。明日も忙しいし」


 そうは思ったものの、まだ眠くはありません。

 いつものようにホットワインでも飲みたいわ、とフロランスが実家のことをちょっと恋しく思っていると、ドアをノックする音がしました。

 まさか、王子殿下がまた足を揉みにきたのかと、ガウンを羽織って、フロランスは「はーい」と返事をしました。


 ドアの向こうにいたのは、昼間、たらいを持ってきてくれた方の老女でした。皺深い顔に笑顔を浮かべ、銀の盆の上にコップを置いています。漂う香りで、それがホットワインだとフロランスは気づきました。


「フロランス様、ユーグ王子殿下が、お疲れのときによいでしょうと。ホットワインをお持ちしましたよ」

「ありがとうございます!」


(ちょうど飲みたいと思っていたのよね~。気遣いがありがたいわ。……なんだかんだで気遣い屋なのよね、ユーグ王子は)


 コップを受け取って一口すすり、飲みやすさににっこりしたフロランスでした。老女はその様子を確認し、一礼して部屋を出ていこうとしました。


「あの、おばさん」

「マルゥカと申します。なんでございましょう、フロランス様」

「ちょっとお聞きしたいんですけど……その、ご内密に」


 そう言いつつ、立ち上がって、テーブルセットの椅子を老女に進めたフロランスでした。マルゥカは、曲がった腰を椅子に落ち着けました。

 フロランスは、優しかった自分の祖母を思い出しました。マルゥカの目の横の笑いジワを見ると、ほっとするのです。


「どうぞ何でもお聞きください。私は国王陛下が第一王子殿下であったころからお仕えしておりますから、お答えできることもあるでしょう」

「では、……王妃殿下って、いつからあんなふうなんですか? さっきユーグ王子殿下に聞いたら、王妃殿下も王子殿下が幼いころは優しかったようで」

「ああ、そのことですか」


 老女はにこにこしたままうなずきました。


「フロランス様は、十一年前のゴシップをご存知ですか?

 陛下が巡遊された時、宿泊するため立ち寄ったお屋敷のご令嬢が、国王陛下のお手つきとなってお子を身ごもったという」

「……覚えてないわ」


 十一年前となると、フロランスは九歳。家のごたごたがあり、すっかり落ちぶれて、辛酸を嘗めているところでした。貴族や王族など、関わりのない世界に生きていたのです。


「フロランス様のご年齢を考えると、覚えてらっしゃらなくても仕方ありません。ですが、あの時、王家はそれはもう、ひどく不安定な状況に陥ったのです。

 あとから、すべてはご令嬢の口からでまかせだった、別の男との子を身ごもったと言えなくて、陛下のお子を身ごもったと言ったのだと判明したのですが――王妃殿下は、そのころから、あのように心を閉ざしてしまわれたのです」


 老女は優しげな顔を曇らせます。フロランスは眉間にシワを寄せ、続きを促しました。


「それまでの国王陛下と王妃殿下は仲睦まじく、誰もが羨むおふたりだったのです。ところが、王妃殿下はそのことをきっかけに、国王陛下のことを信じられなくなってしまったのですよ」

「……それはどうして? 嘘だってわかったんでしょ?」


 老女は、フロランスに語ります。


 王妃殿下は隣国のご出身。国内の有力貴族の娘たちは、我こそ王妃に相応しいと思っていたのに、妃殿下に王妃の座を奪われる形になり、それはそれは悔しい思いをされたのです。

 ですから、ゴシップが広まる前から妃殿下は『美貌が衰えたら陛下に愛想をつかされる』とか『年をとったらきっと陛下は他の美しい娘に乗り換える』とか、心無い言葉をぶつけられてきたのです。気にしていないように振る舞ってらしたのですが、……本当はとても不安だったのでしょう。そこにきて、落胤騒動です。妃殿下の心はとても深く傷ついたに違いありません。

 国王陛下は、妃殿下に何度も『身に覚えのないことだ』とおっしゃいました。妃殿下は表面上は受け入れたように振る舞っていらっしゃいますが、わだかまりがあったのでしょう。そのあたりから、陛下と妃殿下の間では、諍いが増えました。


「可哀想なのはユーグ殿下です。ユーグ殿下は、王妃殿下に連れられて星辰の間へ行き、ガラスの靴を眺めるのがお好きで。その日も王妃殿下に星辰の間に連れて行ってくれるよう、せがんだのです。私めは、よおく覚えていますよ、あの日、『母上、ガラスの靴を見たいです』と言ったユーグ殿下のお声を。きっと、王妃殿下に、国王陛下へのお気持ちを思い出して欲しかったのでしょうね。

 ですが、それは王妃殿下の激高を誘い――翌日、妃殿下のガラスの靴は何者かに盗まれてしまいました。以降、妃殿下はとくに、ユーグ王子に辛く当たるようになったのです」


 マルゥカが語り終え、フロランスは手の中の、冷め始めたホットワインのかすかな温かさを感じていました。


(それは、仲が良いことですね、……かあ)


 フロランスは、王妃殿下の言葉を思い出しておりました。


 しばらく室内を支配していた沈黙を、マルゥカがおもむろにかき消しました。


「フロランス様、ユーグ王子殿下をどうぞよろしくおねがいします。殿下は、ちょっとこだわりが強い方ですが、悪い子ではないのですよ」

「モノは言いようね……。でも、まあ、それはわかるわ」

「ふふふ。このところ、フロランス様のことばかり、殿下はお話しされているのですよ」

「私の、じゃなくて私の足のこと、でしょ」

「いいえ、いいえ。フロランス様は何を召し上がるのがお好きか、とか、香りはどんなものがお好みかとか、避暑にはどこへ行こうかとか。……靴のこと以外、自分ではわからないんですよ、王子殿下は。面白いでしょう」


 なんとなく、もぞもぞした気持ちになって、フロランスは残っていた冷めかけのワインを一気に飲み干しました。



 翌日、フロランスはドレスの採寸が済み、昼食を摂ったあとはユーグ王子に城を案内してもらう予定でした。


「ユーグ王子、お願いがあります!」


 場内見学の案内のため、客室まで迎えに来てくれた王子に、フロランスは言いました。


「案内は後回しにして、私と踊ってくれませんか?」

「どうしたのですか、やけにやる気ですね」

「昨日、王妃殿下と約束した通り、婚約発表の場で、完璧なダンスをしなければなりませんから」

「昨日の今日でお疲れなのでは?」

「大丈夫です! 私、元気なのが取り柄なので。お付き合いいただけますよね」

「それは構いませんが」


 ユーグ王子をホールに連れてきたフロランスは、体当たりする勢いで王子とポーズを取りました。引っ張られる格好になったユーグ王子は、目を瞬かせます。昨日は遠慮がちで警戒しているような距離感のあったフロランスでしたが、今日は図々しいくらいに自己主張しています。一、ニ、三、で足を踏み出せばそれはなお顕著で、うっかりするとリードされてしまいそうでした。


 ユーグ王子は、こっそり微笑みました。リズムがずれそうになり、危うく引き戻す。それを繰り返しているうちに、楽しくなり、自然と息があってくる気がしたのです。


 殿下の胸に頭を預け、昨日の講師の言葉を、フロランスは反芻します。


(身も心も委ねる? そんなの私には合わないわ!)


 ぱっと顔をあげたとき、ユーグ王子と目があったのですが、彼も生き生きとした表情で微笑んでいたので、――フロランスも微笑み返したのでした。

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