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むかしむかし。
あるところに、フロランス・エモニエという娘がいました。
フロランスは貧乏貴族の長女として生まれ、八つのときに実母が病没。妻の医療費を捻出するために借金を重ねた父がやがて破産し、八年ほど平民以下の暮らしを経験しました。
その後、父がひょんなことから知り合った裕福な貴族の未亡人と再婚し、フロランスは十六の春に、社交界へ戻ることになったのです。
しかしながらその二年後の冬に、父は病没し、フロランスは血のつながらない母と妹ふたりと四人での生活を送ることになりました。
今はそれからさらに二年。
フロランスは二十歳になりました。
この国の貴族の娘は、おおよそ十代のうちに結婚します。結婚どころか、未だ婚約者もいないフロランスは、立派な行き遅れでした。父が破産する前は、古くから縁があった家の三男坊との婚約があったのですが、とっくのとうに白紙になっております。
フロランスの継母は、毎日、ため息混じりにこう言います。
「いつになったらフロランスは結婚するのかしらねえ」
それに対するフロランスの返事はこうです。
「結婚するつもりなんかないから。今さら、貴族の妻とかお断り!」
父の再婚をきっかけに、社交界に復帰したフロランスでしたが、一度零落したエモニエ家の娘として、風当たりは強かったのです。
そして、父が借金に苦しんでいたときに助けるどころか、まっさきに知らん顔をした元友人たちのことを、フロランスは忘れていませんでした。
復帰後、フロランスは数度顔を出しただけで、社交界にはほとんど関わろうとしなかったのです。
そのような娘に対して、継母の気持ちは複雑です。
彼女は血を分けた娘たちと同等に、フロランスのことは可愛がっているし、二人目の亡くなった夫の遺言通り、フロランスの将来がなるべく安定するように心を砕くつもりでした。
そのためには、しかるべき家のご令息と婚姻し、財産的にも地位的にも安定することが欠かせない。
ところがフロランスは頑なに、冷血な貴族どもとの結婚なんか嫌だと言って聞きません。婚約話もすべて蹴ってしまい、顔合わせの席には頑として出ようとしません。
おまけに、下の娘たちも、フロランスに感化されてしまったようで、
「お姉ちゃんが結婚しないのに、私たちが先に結婚したら、お姉ちゃんの外聞が悪くなっちゃうじゃない。だからまだ私も結婚しないわ」
「いっそ娘三人でほそぼそ暮らして、老後を楽しむのもありよね~」
などと言い出す始末。
(姉妹仲がよくて困ることもあるのねえ……)
継母の心娘知らず。
その日、新しくあつらえた靴の、最後の調整を職人にしてもらっていたフロランスは、待ち時間に、お屋敷の窓から、遠くの王城を見つめていました。
来月、齢二十五となる第一王子殿下の生誕祭が開かれます。その日は目も綾な王城のホールで、昼には高位の貴族と神官のみが参列する式典があり、夜には盛大なパーティーが催されます。夜のパーティーには、たくさんの着飾った貴族が王子に挨拶するのです。
エモニエ家にも、パーティーの招待状は届いていました。
そう。フロランスが今、最後の調整をしている靴は、生誕祭のドレスに合わせて新調したものなのでした。
「フロランス、お城のパーティーで素敵な方との出会いがあるかもしれないわ。いいえ、素敵な方を率先して見つけなければ!」
力説する母に、フロランスは「はいはい」と気のない返事をします。
(知り合いでもない王子の誕生日とか、別に祝わなくてもいいじゃない。どうやって逃げ出そうかなあ)
パーティー用の豪奢な靴を横目に、フロランスはそんなことを考えていました。