くまさんのスープ
むかしむかし遠い国で、長い長い戦争が続いていました。
領主たちは兵に命じて町や村をうばい合い、大勢の人が命を失ったり家を焼かれたりしていました。
いつはてるともない、なんのためかも今となっては誰にもわからない戦争でした。
アリンはお父さんの顔をよくおぼえていません。
アリンが4つの時に戦争につれていかれてしまったからです。
お母さんはやさしくてあったかい、笑顔のすてきな人でした。
でも妹のポリンと弟のポロンは、そのお母さんの顔さえよくおぼえていません。お母さんが病気でなくなったとき、アリンは8つになっていたけれど、ポリンとポロンはまだ3つだったからです。
アリンたちの小さな家は町はずれの森のそばにあって、幸い戦争で焼かれることはなかったけれど、両親がいなくなってしまったので、アリンは幼い妹と弟を食べさせていかなくてはなりませんでした。
両親が庭でヤギと数羽のニワトリを飼っていて、アリンは小さいころからそのお世話をしていたので、ミルクと卵をとることはできました。
けれどそれだけではとても暮らしていけません。
そこでアリンは、森に入って栗や山菜をとったり薪を拾って町で売ったり、やっとの思いで暮らしていました。
でも、ある年の冬、戦争と飢饉で町の人たちも飢えるようになってしまいました。
薪を売ったぐらいでは、とても妹や弟を飢えさせないだけのパンも買えません。
「おねえちゃん、おなかがすいたよう」
まだ小さい弟が泣きながらうったえます。
「ポロン、がまんしなよ。おねえちゃんの方がもっと食べてないんだから」
そういう妹のおなかも、ぐーっと鳴って、ひもじさをうったえます。
「おねえちゃんはこれから森のずっと奥まで行って、たくさん栗や山菜をさがしてくるから、ポリンとポロンはヤギとニワトリのお世話をしてね」
そう言ってアリンは、凍えるような寒さの中をずんずん森の奥深く入っていきました。
けれど、この年はとても寒くて、農作物だけでなく木の実も山菜もろくに育っていませんでした。ましてや、もう冬ですから木の実だって森の動物たちが食べてしまい、雪が積もった中で見つけることなんてできませんでした。
食べるものが見つからず、だんだん雪が深くなる中を、アリンは必死に奥へと進みます。
アリンの手袋はお母さんがなくなる前にしていたものです。
むかしお母さんが作ってくれた手袋は、もう小さくなってポリンにあげたからです。でも、古い手袋はところどころ穴があいていて、雪をかいて進むうちに手は冷たくなってきました。
しかもどこからか、おそろしそうな狼の吠える声が聞こえてきました。
「どうしよう・・・」
アリンはこわくて、寒くて、ひもじくて、とうとう動けなくなっていまいました。
その時、気のせいでしょうか?どこからか、あたたかく美味しそうなにおいが漂ってきました。
こんなだれも住んでいない、1軒の家もない森の中で、食べ物のにおいなんてするはずがありません。
あまりのひもじさに、ありもしない夢でも見ているのでしょうか?
でも、アリンはフラフラと無意識のうちに、そのにおいがする方へと歩いて行きました。
どれぐらいの時間がたったでしょう。
突然アリンは、広場のように開けたところに出ました。
そこには雪はなく、広場のまんなかに火がたかれ、大きなお鍋がかけられていました。
美味しそうなにおいはそこからです。
「くま?」
驚いたことに、一頭のくまが、陽気な鼻歌を歌いながら、そのお鍋をかき混ぜていたのです。金色のふさふさの毛につつまれた大きなくまです。
「おやおや、小さな人間のこどもじゃないか。こんな森の奥にめずらしいおきゃくさんだ」
振り向いたくまが、アリンを見てそう言いました。
「めずらしいおきゃくさんだ」
「めずらおだー」
くまのあしもとにはキツネやリスや森の小さな動物たちがいて、口々にくまのまねをして言いました。
「えーっと、わたしはアリン・・・」
アリンはなにか言わなきゃ、と思ったのですが、なにをどう話したらいいかわかりません。
寒さとひもじさで舌もよく動かないうちに、アリンのおなかがきゅーっ、と鳴りました。
「わたしはアリンキューっていうのか、にんげんはかわってるな」
キツネがいいました。
「ちがっ・・・」
言い返そうとしたとたん、こんどはぐーっ、とまたお腹が鳴りました。
「ちがぐー?にんげん、ちがぐーか?」
リスが甲高い声でいいました。
アリンは泣きたくなってしまいました。
けれどくまさんが、動物たちに言いました。
「こらこら、おまえさんたち、いじわるを言っちゃいけないよ。このこはきっとおなかがすいているんだ。おまえさんたちとおんなじだ」
「ぼくらとおんなじ?」
「そうさ。そしてわしともおんなじさ」
「くまさんともおんなじ?」
「そうさ、わしらみんなハラペコだ」
「「「そうだそうだ、みんなハラペコだ!」」」
動物たちが笑い出しました。
「だからスープをみんなで食べるのさ」
「「「そうだそうだ、食べるのさ」」」
「おいで、人間のこどものアリン」
くまさんがアリンをまねきます。
「いいの?わたしもう、ひもじくてたおれそうなの・・・」
「もちろんいいとも。わしらもみんなひもじいのさ、いっしょに食べよう」
そうしてくまさんが作ったスープを森の動物たちと一緒に食べました。
それはたいそう不思議なスープでした。
美味しくてあったかくておなかがふくれるだけでなく、それまでアリンの心をうめつくしていた、不安や怖さや寂しさも無くなっていくのです。
「この山菜や木の実は知ってるわ、でもこのキノコははじめて見るわ?」
虹色をした不思議なキノコが、スープをひときわ美味しくしているようでした。
「うんうん、それが魔法の森の魔法のキノコだよ。森のめぐみに感謝するものだけが見つけられるんだ。わしらのスープにおいしさと栄養と、魔法の力をあたえてくれるのさ」
「魔法のちから?」
「そうさ、魔法の力だ。よく見てごらん」
アリンがスープ鍋の中をのぞきこむと、不思議なものが見えました。
「・・・お母さんだっ!」
それはアリンの記憶の中にあるお母さんの姿です。でも、アリンが覚えているよりずっと若くて、その隣りに赤ちゃんを抱いた背の高い男の人がいます。
「! もしかしてこの人、お父さん?」
「きっとそうだよ」
くまさんが優しい声で言いました。
その男の人もくまさんと同じように優しそうで、どこかちょっと弟のポロンと顔立ちが似ているような気もします。
「くまさん、これは?」
「魔法のキノコのスープは、心の中にしまってある大事なものを映し出してくれる力があるんだ」
「わたしの心の中に?わたし、お父さんのことをよくおぼえていないんだけど、心のどこかにはおぼえているのかな・・・」
「きっとそうだよ。本当にたいせつなものは消えたりしないんだよ」
アリンは動物たちといっしょにスープを味わいながら、ぽろぽろと涙をこぼしました。
キツネやリスたちも、無言でじっとスープ鍋の中を見つめています。
もしかしたら、彼らも彼らのたいせつな何かが、その中に見えているのでしょうか。
やがてスープを食べ終わると、アリンはくまさんに言いました。
「ありがとうくまさん。・・・ひとつお願いがあるの」
「なんだい?」
くまさんはアリンがなにを言い出すのかわかっているようでした。
「あのね、わたし小さな妹と弟がいて、とってもひもじくて泣いているの。それに町にもお父さんもお母さんもなくした子供たちがいて、戦争とききんでなにも食べるものがなくて死にそうなの・・・このスープをみんなに食べさせてあげられないかな?」
「わしら動物は町には行けないんだよ。おそろしい人間たちに殺されてしまうからね」
くまさんはさびしそうに言いました。
「くまさんたちがいいくまさんたちだって、だからひどい目にあわせないでって、わたしが言うから!おねがい」
くまさんはしばらく考え込んでいましたが、やがて決心したようにうなずきました。
「わかったよ、森の外れまでなら行ってみよう。そこに飢えたこどもたちを連れてきておくれ」
「うん、わかった。ありがとう、くまさん!」
雪がやんで森から帰ると、寒々とした家の中で泣き疲れた妹と弟が抱き合って眠っていました。
アリンは自分だけ美味しいスープを食べてきたことがもうしわけない気持ちでした。
翌日、町に行って親をなくしたこどもたちを呼び集めました。
「ほんとうなの?アリン」
「動物がスープを食べさせてくれるなんて、信じられないよ」
「キツネにばかされたんじゃないのか?」
多くのこどもたちはアリンの言うことを信じようとはしません。
「うそじゃないよ、くまさんが作ってくれたスープはとっても美味しくて、それに魔法の力があるんだよ」
なんにんかの仲の良いこどもだけは、アリンの言うことを信じて町を出て森のはずれまでやってきました。
すると、森の奥の方から美味しそうなにおいが流れてきました。
「くんくん、だれだろう、食べ物のにおいだ」
「ひくひく、なんだろう、おいしそうなにおいだ」
「ほらっ!言ったでしょ、くまさんのスープのにおいだよ」
アリンは嬉しくなって大きな声をあげました。
「くまさんのスープ、くまさんのスープだ」
ポリンとポロンも期待に目をかがやかせています。
「やあアリン、みんな集まったかい?」
「くまさんっ、来てくれたんだね。わたしたち、おてつだいできることはある?」
「ああ、人間のこどもたち、てつだっておくれ」
くまさんは大きなお鍋を荷車に積んで運んで来ました。
キツネやタヌキが、薪を背負ってついてきて、その薪を地面にならべ、スープ鍋を上にのせました。
冷めかけたスープ鍋をもう一度あたため、リスたちがとってきた木の実をさらに加えます。
こどもたちは、栗の皮をむいたり、薪をくべたり、お鍋をかきまわしたり、おてつだいをしました。
「そろそろできたよ。さあ、みんなで食べよう」
くまさんの合図で、木のおわんにとりわけたスープをみんなで食べます。
こどもたちも動物たちも、ひもじさも寒さも寂しさも忘れて幸せな気持ちになります。
そして、こどもたちはスープ鍋の中に、たいせつな思い出を見つけました。
自分でも忘れていた、それぞれのあたたかい思い出が、そこにはありました。
いい香りは町の方まで流れていき、やがて町からも人がやって来ました。
けれど、それは良くないことのはじまりでした。
「おい、でかいくまがいるぞ!」
「キツネだ、うちの畑をあらしたやつじゃないか」
「兵隊をよべ!」
くまさんもこどもたちも、心配顔になります。
「おい、おまえたちっ、なにをしている!」
やがて、列を作った兵隊たちが向かって来ました。
「待って、やめてっ!くまさんたちはいいくまさんたちなの!わたしたちにスープを食べさせてくれてるの、ひどいことはしないでっ!」
アリンがひっしにさけんで止めようとしましたが、おおがらな兵隊につきとばされてしまいました。
「くまさん、にげて!」
それでもアリンは起き上がり、くまさんの前に小さな体で立ちふさがって守ろうとしました。
長い槍を持った兵隊たちが向かって来ます。
「アリン、だいじょうぶ、わしらは帰るよ。これを」
くまさんはアリンの手に、そっと小さな袋をわたすと、どうぶつたちを連れて、走って森の中に去って行きました。
兵隊たちは動物たちをおいかけましたが、森の中では動物たちに追いつけっこありません。
アリンたちはくまさんたちが傷つけられなくてほっとしました。
「お前たち、なにをしていたのだ!」
ひげを生やした兵隊たちの隊長が、えらそうにアリンたちを問いつめました。
こどもたちはくまさんが、飢えた自分たちにスープを食べさせてくれたのだとうったえましたが、なかなか信じてはもらえません。
「なら、兵隊さん、このスープ鍋の中を見て」
アリンが言いました。
「鍋の中だと?」
もう残り少ないスープ鍋の中には、わずかなスープしかありません。
水面を見ることができたのは、ほんの2、3人でした。
「なんだなんだ?」
「スープがどうしたっていうんだ?」
「・・・!」
えらそうなたいどだった隊長が、不意にだまりこみました。
「こ、これは・・・」
「このスープは、その人のたいせつな思い出を見せてくれる魔法のスープだって、くまさんが言ってたの」
「なんだって!?・・・そんなばかなっ、いや、しかし・・・」
隊長がいったいなにを見たのか?それは誰にもわかりません。
けれど、やがて、隊長が兵隊たちに命じました。
「もうよい。帰るぞ」
「え?いいのですか隊長?くまもこどもたちも捕まえなくても?」
「よい、ひきあげだ」
そう言って、兵隊たちは引き上げていきました。
こどもたちは残ったスープをお腹がいっぱいになるまで食べました。
「最後の一口はアリンが食べなよ」
「そうだよ、アリンのおかげだし」
そう言われて、わずかに残った最後の一口を飲もうとしたとき、アリンはくまさんがくれた袋を思い出しました。
袋の中には、塩か胡椒のような粒がたくさん入っていました。
アリンはそれを、残ったスープに少しだけ振りかけてみました。
「えっ!?」
その途端、わずかなスープの水面に、なにかが浮かび上がりました。
「お姉ちゃん」
「これって?」
ポリンとポロンにも何かが見えたようです。
「・・・きっとそうね。くまさん、ありがとう」
アリンは森の奥を見つめて、小さな声で言いました。
翌朝、アリンがヤギの世話をしようと裏庭に出ると、ヤギがしきりになにかのにおいを嗅いでいるような仕草をしています。
その様子をたどっていくうち、アリンはびっくりして声をあげました。
「これってあのキノコだわ!?」
裏庭にいつのまにか、あのスープに入っていた魔法のキノコが生えていたのです。
でも、そんなものが生えているのをこれまで見たことはありません。
それに、ヤギはにおいにひかれているのに、そのキノコを見つけられないようなのです。
そのときアリンはくまさんの言葉を思い出しました。
“魔法のキノコは森のめぐみに感謝するものだけが見つけられるんだ”
「そうなのね、だから・・・」
きのう、くまさんのスープを食べたときも、他のこどもたちはキノコを食べようとせず、最後に残ったキノコをアリンが食べたのです。
「わたしもこれまでは、このキノコが見えていなかったんだわ。きっといつだってそばにあったのに」
それからまもなく、町では小さな女の子がさらに幼い弟妹といっしょに始めたスープ屋さんが評判になりました。
“美味しくてあったかくて、しかも食べた人を優しい幸せな気持ちにしてくれるスープだ”と。
姉弟が営むスープ屋さんには、やがて町の兵隊や領主一家まで訪れるようになりました。
不思議なことに、いつしかその町のまわりでは戦争がおさまり、貧しいけれど穏やかな町として知られるようになりました。
いえ、それはアリンにとっては不思議なことではなかったのです。
なぜって、アリンはあの日最後に残ったスープの水面に、思い出だけではなく、未来を見ていたのですから。